群馬県信用保証協会

須川宿・たくみの里

折々の散歩道

宿場町と山里の田園風景を歩く

みなかみ町

上神梅駅舎

泰寧寺

 高崎から北上し、三国峠を越えて新潟県の寺泊へと至る三国街道は、現在、国道17号にそのルートをとどめていますが、街道沿いの宿場町であった須川宿は、高台に位置していたため、国道17号のルートからはずれました。それゆえに、開発の波をかぶることなく、今もなお、昔ながらの宿場町の雰囲気を色濃く残しています。周囲の山里も含めた一帯は、古くから須川平と呼ばれ、現在は手作りの技を体験できる施設が点在し、「たくみの里」として知られています。

 今回は、須川宿を中心としたたくみの里を歩いてみましょう。
たくみの里総合案内所豊楽館前の広い駐車場に車を停め、案内所でガイドマップを入手し、まずは散歩コースを練ります。今回は、宿場町や山里の懐かしい風景を味わうことに専念し、技の体験は見送ることにします。たくみの里をぐるりと回る、おおよそ8キロ程度のコースを組みましたが、これはあくまで便宜的なもので、面白そうな道があれば、どんどん横道に逸れるつもりです。

  最初に、須川宿の町並みへと歩を進めます。南から北へと、300間(1間は約1.82メートル)もの長い道が、当時のままに一直線に伸びているさまは、なかなか壮観です。宿割は慶長6年(1601)頃、宿駅として利用され出したのは1650年頃とされています。未舗装の広い道の左右には、木造で白壁の古い家々が点在し、道端や家々の庭先には花が咲き乱れ、道の東端には、自然石で護岸された幅50センチほどの水路があります。少し歩いては立ち止まり、周囲をきょろきょろと眺めているので、なかなか前に進みません。

  やがて、右の奥のほうに変わった建物を見つけました。屋根の上に十字架らしきものがあるので教会のようですが、和風建築を模しながら、異国の情緒も感じさせる、不思議な建物です。後で調べたところ、これは須川ハリストス教会で、明治時代からの歴史を有し、現在の建物は昭和62年に建て替えられたものであることが分かりました。すぐ隣は須川宿資料館となっていて、須川宿の歴史や周囲の観光案内などについて、スタッフが丁寧に説明してくれました。この近辺は古い建物を活用した「たくみの家」が集中しています。

貴船神社

須川宿

 須川宿を抜けると、山里の田園風景が広がります。私が訪れたのは7月下旬だったのですが、一面に広がる青々とした田んぼと、人の背丈よりも高く伸び、収穫期を迎えたトウモロコシ畑が、印象的でした。視覚ばかりでなく、蝉の鳴き声や、植物や土や水の匂い、吹き渡る風など、聴覚や嗅覚、触覚などからも、山里の夏を感じ取ることができます。

うさぎとかめ

大黒天

  途上、折々に、道祖神や庚申塔などが立っていて、散策のアクセントになっています。9ヶ所の野仏めぐりスタンプラリーのコースも設けられていますが、このうちのひとつ、たくみの里の北西部、最も奥まったところにある大黒天を目指してしばらく歩きます。周囲には古い農家や土蔵が点在し、遠い昔にタイムスリップしたような感覚にとらわれます。集落を通り抜けた先の林の中に、ちいさな古い社が建っており、その脇に、愛嬌のある姿の大黒天が静かに佇んでいました。

  南に下ると、木造の水車が現れましたが、川の水量が少なく、残念ながら動いていません。そのすぐ近くには、赤く塗られた鉄製の火の見櫓が建っています。私の実家の近くにもかつてありましたが、30数年前の区画整理の際に取り壊されてしまったことを思い出し、しばらく懐かしい思いで見上げました。この日、他にもふたつ、同じような火の見櫓を見かけましたが、既に役目を終えているとしても、後世に伝えるに足る貴重な近代遺産に違いなく、ずっとこのままの姿をとどめていることを願ってやみません。

 この後は、一之宮地蔵尊や、如来堂史跡、月待塔等を経て、泰寧寺を目指しました。泰寧寺は、延慶2年(1309)に創建され、その後一時衰退しましたが、天文6年(1537)洞菴文曹により復興開山されました。寺の前には、堰きとめられて池のようになった川が流れ、橋を渡り切ると、周囲にアジサイが咲き誇る石段が現れます。青紫色のアジサイを鑑賞しながら石段を登ると、安永4年(1775)建立で、県指定重要文化財に指定されている、古色を帯びた大きな山門が現れます。下に立って見上げると、龍や鳳凰など、見応えのある4枚の天井画が描かれています。石段を登り切ると、寛永7年(1795)に再建された本堂が現れます。橋やアジサイに彩られたアプローチといい、格調ある端正な山門といい、なかなか趣のある寺で、季節を変えてまた訪れてみたいと思いました。

  泰寧寺をあとにして、再び山里の道を気ままに歩き回ります。野々宮神社から金泉寺を経て、スタート地点の総合案内所豊楽館へと向かったのですが、途中、面白そうな脇道があると逸れてみました。ガイドマップにも載っていない、農家の庭先を歩くような細い道を歩いていると、まるで近所を散歩している地元住民のような気がしてきます。

  都合4時間ほど歩き、豊楽館の近くまで戻ってきたところで、遅い昼食をとることにして、「八兵衛」という店で蕎麦を食べました。冷たい蕎麦が火照ったからだを冷ましてくれます。店を出ると、観光客の中に紛れて、部活帰りとおぼしき体操着姿の中学生が歩いていました。こんな古い町並みにも、子供たちが住んでいるということは、当たり前のことには違いないのですが、なんとなく不思議な気がします。毎日眺めている白い土蔵や赤い火の見櫓の記憶は、きっと彼らにとって、かけがけのない財産となることでしょう。

文/企画課 新井基之
画/新井紀子

●今回ご紹介したコース