群馬県信用保証協会

万場宿界隈

折々の散歩道

豊かな自然に抱かれて歴史を刻むまち並み

多野郡神流町

今井屋旅館

今井屋旅館

 厳しい残暑が中休みしたような8月下旬の薄曇りの一日、国道462号を西へと車を走らせました。神流湖の辺りから、緑滴る山肌が間近に迫り、神流川の流れを遡るように道は続きます。車のドアを開け放ちながら運転していると、絶えず聞こえるセミの声の数と音量に圧倒され、「蝉時雨」とはまさにこのことだな、と実感させられます。時々現れる川沿いに広がる幾つかの集落を超えると、やがて、万場宿に着きました。

 今回は、神流町商工会作成の「神流町万場宿絵図」に紹介されている、地元のNPO法人紙ふうせんが定めた「万場宿まわり道」という散策コースを参考に、界隈を歩く予定です。まち並みのちょうど中心にある、コイコイアイランド会館近くの駐車場に車を停め、歩き始めます。万場宿を訪れたのは数年振りなのですが、会館の向かいに、モダンでありながら温もりを宿した新しい建物が建っており、近づくと、神流町万場医療センターと書かれていました。その隣、広い駐車場となっている、国道462号に面した一角には、かつて建物があったはずですが、果たしてどんな建物だったのか思い出すことができません。ぽっかりと歯が抜けたような風景にいささか物足りなさを感じながら、先に進みます。

 間もなく、江戸時代から当地で旅籠を営んでいた、築約百年の木造三階建ての今井旅館が現れ、少し先には、古い蔵を古民具などのギャラリーとして開放した「万(よろず)」があります。週末のみの開館でこの日は閉まっていたのですが、白塗りの壁を持つ蔵はまち並みのよいアクセントとなっています。裏通りに入り込むと、車も通れないほどの細い道に、生活感漂う家々が建ち並んでいます。古い大きな建物に、判読困難なほど薄ぼけた看板がかかっているのでよく見ると、かつてパチンコ店であったことが分かり、こんな路地裏によく……と感心します。一旦国道462号に出てから、今度は緑に覆われた急坂を登ります。「熊に注意」の看板が幾つも目につき、思わず足が竦みますが、気合を入れて前へ進むと、緩斜面に広がる畑地が現れ、農作業をしている人々の姿がちらほらと目につきます。この辺りは奴郷平(ぬごうだいら)と呼ばれ、近くには蛍の飛ぶ沢もあるようです。老人ホームの横を抜けると、万場宿界隈のまち並みを見おろすことのできるビューポイントが現れます。国道462号に沿って横長に建物が連なり、その向こうには緑の山並みを背にした神流川が横たわり、このまちが、豊かな自然に抱かれるようにして歴史を刻んできたことを実感できる風景です。

栃本地区から万場宿を望む
栃本地区から万場宿を望む

 農家の立ち並ぶ栃本地区へと歩を進め、石垣と古い木造家屋や蔵などが織りなす、懐かしい佇まいを味わいながらのんびりと歩いていると、山の斜面に張りつくように建つ千手寺が現れます。境内には大きな百日紅が見ごろを迎えています。国道462号に戻る途中、雰囲気の良さそうな細い道があるので進んでみました。道の真ん中に蓋をされた水路が流れる、まっすぐな路地です。左右には古い家々が建ち並び、蔵も多く目につきます。路地を抜け、国道462号へ向かって歩くと、大きな木々に守られるように建つ八幡宮が現れます。広い境内の心地よい緑陰でしばし休息してから、塩沢川に架かる八幡橋を渡り、更に神流川に架かる森戸橋を渡って、対岸に進みます。河原で遊ぶ子どもたちを眺めながら、町民プールや「森戸の森」と名づけられた公園を抜け、歩行者専用のコイコイ橋を渡って、車を停めた駐車場へと戻ってきました。歩き残した国道462号沿いの商店街西側部分を往復してから、上原食堂で手打ちの懐かしい味をした中華蕎麦を食べました。隣の新月堂菓子店で家族の土産にチーズカステラを買い、店主と少し雑談をし、道の反対側にあるオープンガーデン「黒沢家の庭園」を鑑賞するよう勧められたので、所有者である「まるはち」という店の女性に一声かけて眺めてきました。

八幡宮

八幡宮

 ところで、先ほど、現在駐車場となっている場所にかつてあった建物のことが思い出せない、と書きましたが、その場所には、3年ほど前まで、昭和初期に竣工した木造二階建ての純和風建築があったことを、近所の商店で雑談をしていて教えてもらいました。その建物(旧宮前家別荘)の往時の姿は、後日写真で確認することができたのですが、まち並みのモニュメントたり得る、格調のある美しい佇まいをしています。取り壊されてしまったことは残念ではあるのですが、そこに至る経緯には、地元の方々の熟慮があったはずですから、その決断は尊重すべきでしょう。

 まち並みの中に、モニュメンタルな建物があるかどうかで、そのまち並みの印象は大きく変わります。その建物は、景観の面で、そのまち並みを代表する「顔」になるばかりでなく、まちで暮らす人たちの、精神的な柱としても作用するはずです。もちろん、そのような建物がなかったとしても、まち並み全体が織りなすハーモニーに味わいがあれば、そのまち並みは魅力的であることでしょう。しかし、それが観光地や商店街であった場合、モニュメンタルな建物の存在の有無は、集客力やイメージに大きく影響してくるでしょう。

 幸いなことに、万場宿周辺には、まだ多くの古い蔵や木造建築が残っています。新しい建物はすぐにでも生み出すことができますが、その土地の歴史や伝統を反映した古い建物を生み出すには、時間の堆積を待つ以外方法はありません。万場宿のような山間部の商店街にとっては、訪れるものの郷愁を誘う景観を守り続けることこそが要諦であるように思います。古いものは古いままに、貴重な地域資源であるという誇りをもって、大切にしていってほしいと願っています。

文/企画課 新井基之
画/新井紀子

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