群馬県信用保証協会

川俣宿と利根川土堤の道

折々の散歩道

空の高さを感じる道

邑楽郡明和町

東武伊勢崎線をくぐるトンネル

東武伊勢崎線をくぐるトンネル

  群馬県の南東部に位置し、利根川や渡良瀬川などの沖積平野が広がっている邑楽郡は、県内でも標高が低い地域として知られています。自動車で走っていると、どこまでも平坦な土地が続くのを実感することができますが、今回紹介する明和町も、最高21.1メートル、最低17.4メートルと、ほとんど標高差のない低地が広がっていて、稲作のほか、梨やぶどうなどの果樹や、カーネーションやシクラメンなどの園芸栽培が盛んです。

  1月下旬のよく晴れた日、散策に訪れました。「ふるさとの広場」の駐車場に車を停め、歩き始めます。ふるさとの広場は、平成17年に新築された明和町新庁舎の東に位置しており、文化ホールや図書館、商工会などが入った複合施設のふるさと産業会館が建っています。公園スペースには遊具や植栽が効果的に配されていて、手入れが行き届いた心地よい空間が広がっています。

 明和町新庁舎前の道を南に下り、旧庁舎跡の空地を右折すると、すぐに地蔵寺が現れます。開山の時期は不明ながら、僧行鑁(ぎょうばん)が17世紀に中興した寺で、本堂は最近建て替えられたらしく、瑞々しい白木と白壁が冬空にきりりと映えています。住宅街を縫うように南に向かうと、広大な田んぼが現れます。乾いた焦げ茶色の土に、亜麻色の稲の刈り取り跡が点々と規則正しく続くさまは、まるでモダンな抽象画のようです。この冬一番とも思える強い空っ風が吹きつける中、往来する車も人もほとんどない、田んぼの中の一直線の道路を進みます。空はどこまでも高く、ごおおっと聞こえる風の音のせいか、何の変哲もない風景が、どこか非日常的な空間に思えてきます。

  やがて、コンクリートで護岸された、まっすぐに伸びる邑楽用水路と交差します。邑楽用水路は、千代田町の利根大堰から取水している灌漑用水で、千代田町、明和町、板倉町を経て埼玉県北川辺町へ至ります。幅1メートル程度の小さな水路ですが、周囲に広がる農地の面積からして、その存在意義はとても大きいことが窺えます。邑楽用水路を渡ると間もなく利根川の土堤(土手)が現れます。目の前に高く聳える急な斜面を登りつめると、頭上に広がる高くて青い冬空と、利根川河川敷の雄大な姿が目に飛び込んできます。東西に延々と続く立派な土堤は、この地が、古くから舟運で栄える一方、度重なる洪水による甚大な被害に悩まされてきたことを雄弁に物語っています。特に明治43年の洪水は深い傷跡を残し、邑楽郡の77%が浸水し、復旧は困難を極めたそうです。土堤の上は眺望のよい遊歩道が続くのですが、そのような過去に思いを馳せると、自ずと風景は違った見え方をしてきます。しばらくの間、土堤の上の道を歩いたのですが、遮るものなく吹きつける空っ風の、ふらつくほどの風の強さと身を切るほどの冷たさに、ついに根をあげ、土堤の下の道に避難しました。上州名物空っ風を身をもって体験したい方にとっては冬場の散策もいいでしょうが、やはり散策のベストシーズンは春と秋のようです。

東武伊勢崎線の鉄橋

東武伊勢崎線の鉄橋

 やがて、東武伊勢崎線の下をくぐるトンネルが現れます。車高制限2.0メートルのとても小さなトンネルですが、古色を帯びた煉瓦造りで、なかなか風格があります。利根川の手前の羽生市で止まっていた東武伊勢崎線が、橋梁の完成により足利まで抜けたのは明治40年のことですが、この煉瓦造りのトンネルもその頃のものと推定され、立派な鉄道文化遺産といえそうです。トンネルを抜けた反対側は煉瓦ではなくコンクリートで固められているのがいささか残念です。利根川に架かる橋梁を見ようと土堤を登りました。上り用・下り用2本の、白銀色に輝く全長660メートルもの長い鉄橋は、昭和30年代に架け替えられたものです。

粟島神社

粟島神社

  土堤の上下を行き来しながら利根川を遡るように西へ進んでいくと、交通量の激しい昭和橋の手前に、旧川俣宿が現れます。かつては日光脇往還(日光脇街道)の宿場町として栄えましたが、現在は建物の建て替えが進み、旧本陣が現存(非公開)するほかは、往時の面影はほとんど残っていないのが残念です。鎮守の森の風情が色濃く残る粟島神社を眺めてから、少し進むと、公園のように整備された一画に川俣事件記念碑が建っています。川俣事件は、日本公害史の原点といわれており、明治33年2月、足尾鉱毒の被害農民が上京請願に向かう途中、この地で警官隊と衝突しました。

 ここからは、邑楽用水路に沿って東に向かいしばらく進みます。鬱蒼とした木々に覆われた三島神社を経て、邑楽用水路から分かれ、農地の中の道を北へと向かいます。数十メートル先を並行して走る東武伊勢崎線の周囲には、住宅が建ち並び、農地とはっきりしたコントラストを見せています。道はやがて未舗装となりますが、そのまままっすぐ進むと、川俣駅前の道へ至ります。遅いお昼を食べるべく、駅周辺で飲食店を探したのですが見つからず、自動販売機のホットコーヒーで体を温めてから、先へ進みました。

  菅原神社(天満宮)には、ひっそりとしていて目立たないのですが、小さな石経塔が建っています。その由来は、地蔵寺の僧行鑁が、当時流行していた疫病救済のため、大般若経六百巻、光明真言百万遍をひとつの石に一文字ずつ書写し菅原神社に埋めました。その功徳を称えるため、行鑁の没後建てられたものです。ここまで来ればふるさとの広場はもうすぐです。目の前に広がる風景の裏に歴史を読み取りながら歩けば、散歩の奥行きはぐんと広がるものだ……そんなことを考えながら、散策を終えました。

文/企画課 新井基之
画/新井紀子

●今回ご紹介したコース