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玉村宿周辺の道

折々の散歩道

歴史が織りなす懐かしいまち並み

佐波郡玉村町

玉村八幡宮

玉村八幡宮

 彫刻家、画家であり詩人としても知られる高村光太郎の代表作「道程」は「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という有名なフレーズで始まります。若かりし頃この詩を読んで心を鼓舞された方も多いと思いますが、波乱に富み苦難の多かった光太郎の生涯に思いを馳せると、この詩は深みと重みをもって迫ってきます。この詩は、説明するまでもなく、「道」を人生や生き方の喩えとして使っているわけですが、古い街道などを歩いていると、字義どおりの「道」(狭義の「道路」)を詠んだものとして、ふとこの詩が心に浮かんでくることがあります。私が今歩いているこの道は、何世紀も前に誰かが拓いた道であり、その後大勢の人によって歩き続けられてきた道なのだ……といった具合に。今回紹介する玉村宿が置かれていた日光例幣使道は、現在は交通量の多い国道354号として活用されていますが、丹念に歩いてみると、ところどころに往時の様子を窺い知ることができ、一本の道にも多くの人々の歴史が刻まれていることを再認識させてくれます。

  玉村町文化センターに駐車をして、まずセンター内にある玉村町歴史資料館で玉村宿について勉強します。日光例幣使道は、毎年4月15日に開催される日光東照宮春の大祭に、京都の朝廷が奉納する幣帛(贈り物)の使者(日光例幣使)が通る道として、江戸時代に整備されました。中山道倉賀野宿の東から分岐して、伊勢崎市、太田市、栃木市、鹿沼市等を経て日光へ至るまでに設置された13の宿のうち、最初の宿が玉村宿で、例幣使は毎年4月11日に宿泊していました。正保4年(1647)から開始された例幣使の派遣は慶応3年(1867)に終了しましたが、翌年の大火で玉村宿のほとんどが焼失してしまったそうで、残念でなりません。歴史資料館には、江戸時代の玉村宿の夕闇迫る情景がジオラマで再現されていて、往時の宿場町の情緒が伝わってきます。無料配布している資料類も充実しているので、ここを散策の拠点にすると良いでしょう。

神楽寺のムクロジの実

神楽寺のムクロジの実

 歴史資料館で入手した「日光例幣使道玉村宿まち歩き」というイラストマップを参考に、コースを組み立てました。静かな住宅街の中の道を西に向かってしばらく行くと、玉村町役場が現れ、斜め向かいの古い民家には、防風林の名残りと思われる生垣があります。玉村小学校前の道路はきれいな歩道が整備されており、その先には、広大な社域を持つ玉村八幡宮があります。玉村八幡宮は、建久6年(1195)に源頼朝が鶴岡八幡宮から勧請し玉村町角淵に創建、永正4年(1507)に現在の本殿が完成し、慶長15年(1610)に現在地に移築修造されました。この本殿は国指定重要文化財に指定されています。19世紀中頃の築である大きな随神門をくぐり、二宮金次郎像や狛犬、力石、芭蕉句碑、竹内勇水句碑などを眺めながら参道を進むと、紅く塗られた鮮やかな社殿が現れます。正面に見えるのは拝殿で、次いで幣殿、本殿と連なっており、拝殿と幣殿は築年不明ながら本殿よりも時代が下がり、重要文化財である本殿を鑑賞するには横に回らなければいけません。隣接する神楽寺には、ムクロジの実がたくさん落ちていて、風変わりな形状が珍しくて幾つか拾ってきました。

 神楽寺の先を左に折れ、少し進むと国道354号にぶつかるので再び左折します。ここから1キロほどの区間が、かつての日光例幣使道玉村宿の表通りです。西から東に向かって進むと、明治初期の農家建築である菱田屋(井田家)、慶応4年の大火を免れた江戸時代築の造り酒屋和泉屋(井田酒造)、壁が部分的に煉瓦で覆われた木造の母屋と白壁の蔵が印象的な栄屋(町田酒造店)、町家建築の亀桝屋・原本屋商店・宇田川農機、大正末期に荒物商の倉庫として建てられた赤煉瓦倉庫、白壁の蔵を持つ伊勢屋(猪野家)・日野屋(瀬川家)など、古い建物が次々と現れ、これらが積み重ねてきた時間に思いを馳せながら鑑賞していると、あっという間に時間が経ってしまいます。

赤煉瓦倉庫

赤煉瓦倉庫

 下新田の信号を通り過ぎ、萩原そば店で腹ごしらえをしてから、今度は裏道に入り込み、東から西へと歩きます。最初に通った役場前の道と国道354号の間を並行して走る細い道は、江戸時代は水路だったそうで、表通りの端正な表情と違い、風景もどこか緩んでいて、こちらの気持ちも和らいできます。本陣跡を示す碑を越すと、前方に味わいのある和泉屋の煉瓦煙突が見えてきて、歩くにつれて次第に近づいてきます。和泉屋の塀に突き当たると左折して、国道354号を通り越し、国道の南を走る裏道を西から東へと歩を進めます。間もなく立派な長屋門を持つ綿屋(堀米家)が現れ、更に進むと、栄屋の白壁の蔵とコンクリート製の高い煙突が見えてきます。下新田の信号の近くに出ると、右折して南に下り、小さな水路に沿って走る道を今度は東から西へと進みます。この道は、かつて滝川(用水)だったところで、江戸初期に関東郡代伊那備前守忠次が、新田開発のため前橋の天狗岩用水から水を引いてきました。玉村八幡宮の移築はこの滝川の竣工を祝って実施されました。現在、滝川は流れを南へと変え、旧滝川を偲ぶよすがは小さな水路と道端の記念碑だけとなっています。称念寺には、捕縛された国定忠治が江戸に送られる途中、嘉永3年(1850)玉村宿に留置された際に、目明しの柳澤佐十郎が中風で悩む忠治に治療のためアヒルの血を飲ませ、そのアヒルの供養のため建立された家鴨塚があります。最後に、再び日光例幣使道を歩き、福嶋屋製菓舗とみよし乃製菓舗に立ち寄ってお菓子を土産に買い、歴史が織りなす懐かしいまち並みに名残りを感じつつ、帰路に着きました。

文/企画課 新井基之
画/新井紀子

●今回ご紹介したコース