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野田宿周辺の道

折々の散歩道

歴史の奥深さを感じるまち

吉岡町

 かつて街道の宿場として賑わったまちも、時間の流れの中でそのありようを刻々と変化させ、今に至っています。宿場がそのまま商店街へと移行し、引き続き賑わいを見せているところもあれば、昔日の面影を徐々に失って、ひっそりと静まり返っているところもあります。なかには、商店街としていっとき賑わいを見せていたものの、ここ半世紀のモータリゼーションの進展などにより、郊外のロードサイドに商圏が移り、往来がぐんと減ったところも見受けられますが、このような変遷こそが、最も典型的な地方都市の姿といえるでしょう。

  今回紹介する吉岡町も、県内の他の地域と同様に、そんな盛衰が顕著に現れているまちといえます。前橋市街地から車を走らせ、大渡橋を経て産業道路から吉岡バイパスに入ると、ここ数年来急激に増加した大型店が軒を連ね、多くの買い物客で賑わっています。上毛大橋や駒寄スマートICなどが整備され、上武道路の工事も進み、これからも商業施設の集積が一層期待されるこのエリアを通り抜けると、農地と住宅街が混在する静かなまち並みが広がっています。自動車の往来の多い高崎渋川線沿いは、商店が自然発生的に点在しています。旧伊香保街道の野田宿は、残念ながらかつての面影はだいぶ失われていますが、最近、まち起しの機運が高まって整備が進められており、今後が期待されます。

  冬らしい青空の広がる一日に、散策に出かけました。吉岡町役場の駐車場に車を停め、歩き始めます。最初に野田宿のほうへ向かうと、道の端に「上野田南町まちおこしの会」の手による、宿の由来について書かれた案内板が立っています。それによると、伊香保街道は、坂東三十三観音札所巡りや伊香保温泉入湯のため中世から旅人が往来し、野田宿は江戸初期に宿場町として発足したそうです。案内板の近くには二体の小さな石仏が愛らしく並んでいます。宿場内の建物のほとんどは建替が進んでいますが、3年ほど前から各戸にかつての屋号を記した看板が設置され、往時を偲ぶことができます。三国街道と伊香保街道が交差する地点には、大きな双体の「上野田の道祖神」が佇んでいます。宿場の中心には、本陣森田家が往時の姿を留めていて、通りに面した長屋門から中を覗くと、立派な庭園と二階建ての大きな木造建築を見ることができます(個人宅につき立入禁止)。こじんまりとした常泉寺の近くには双体道祖神のほか石造物が集積しています。

野田宿本陣

野田宿本陣

 野田宿を抜けると、農地の中の道を北へ向かい、杉木立に囲まれた滝泉神社を目指します。樹齢4〜5百年にもなる一対の巨大な杉や、とある翁が村人に授けた小石が成長したと伝えられる「袂石」などからは、この神社が、村の鎮守として敬われてきたことが窺えます。東福寺や路傍の庚申塔、道祖神などを眺めながら進むと、やがて町指定史跡である「三国街道の一里塚」が現れます。大きな榎の根元に塚や庚申塔が佇んでいるさまは、どこか郷愁を誘います。広大な裾野を持つ赤城山の翠巒を眺めながら農地の中の道を東に向かい、一旦高崎渋川線に出て、野田薬師の脇を曲がって住宅街を進むと、正福寺、華蔵寺、野田神社が相次いで現れます。中でも華蔵寺は、中世から続く修験の寺で、鬼面が刻まれた町指定重要文化財の石造弁財天(石祠)がありますが、それ以上に興味深いのが、18世紀に亮衍、無幻の兄弟を輩出していること。兄の浄聖院亮衍は貴重な古典籍を収集し獅子園書庫を創設した国学者で、弟の角田無幻は光格天皇の書道の師を務めており、昭和32年には兄弟を顕彰し獅子園書庫が再建されています。

  路傍の石仏などを眺めながら高崎渋川線へ出て、しばらく高崎渋川線を南に下ったのですが、交通量が多い上に歩行スペースが狭いので、気が抜けません。北下の信号を右に折れ、のどかな道を西へと進みます。「蚕養育手鑑」を著した篤農家馬場重久の墓を眺めてから、蕎麦茶寮きむらでそばを手繰りました。シックなカフェ風の外観の店なのですが、そばはとてもうまく、分かりづらい場所にあるにもかかわらず結構賑わっていました。田舎道をのんびりと歩き、やがて小高い丘が現れるので、標識と勘を頼りに登っていくと、南北朝時代に築城されたという桃井城(大藪城)址に到達します。標高349.4メートルの通称城山にある城址は、残念ながら現在は農地や浄水場となっており、山頂には案内板と小さな木が立つばかりで、いささか寂寥としていますが、ここからの眺望は一見の価値があります。麓の大藪不動尊には町指定史跡である「金剛寺の宝篋印塔」があります。

貝野瀬の火の見櫓

桃井城址

 城山の頂から眼下に見えた大藪貯水池の脇をとおって東に向かい、再び高崎渋川線に出て、南下の信号を曲がり、下八幡宮を目指します。下八幡宮には、町指定重要文化財の石祠がありますが、大きな洞(うろ)が開き満身創痍ながらも樹勢を保ち続ける大木の姿も印象的でした。近くには、中世にあったという地頭の館に湧き出ていた泉「桃井の池」がありますが、水は枯れ、草木が鬱蒼と茂り、荒れ果てています。北東方向に少し進むと、南下古墳群が現れます。かつてこの近辺には、100基を超える古墳があったそうですが、そのうちの5基が、保存・公開されています。閑寂とした寒空の下、5つの古墳の石室を順番に覗き込んでいると、いつしか古墳時代にタイムスリップしたような感覚にとらわれます。関越自動車道の近くにある三宮神社は、天平勝宝2年(750)勧請と伝えられる古名社で、詩人伊藤信吉の揮毫による万葉歌碑「伊香保風吹く日吹かぬ日ありといへど吾が戀のみし時無かりけり」が建っています。歌の余韻に浸りながら、役場まで戻りました。歴史の奥深さを垣間見ることのできた一日でした。

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース