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藪塚温泉周辺の道

折々の散歩道

藪塚石の宮殿と田園風景を味わう

太田市

 目の前に広がる魅力的な風景をひとに伝えようとするときに、いかに適切な言葉を選ぶかということは、簡単そうでいて案外難しいものです。美しい風景には「美観」という言葉がすんなりと出てきますが、美しいばかりでなく、複雑で独特な味わいを合わせ持つ風景に出合った場合、言葉に迷います。……例えば「奇観」。大辞泉に拠れば「珍しい眺め。ほかでは見られないような風景」を指します。あるいは「壮観」。大辞泉では「規模が大きくて素晴らしい眺め」を意味します。この日目にした石切り場跡は、美観であるのみならず、奇観にして壮観でもあるという、息を呑むような絶景が広がっていました。

石切り場跡

石切り場跡

 今回は、太田市の藪塚温泉を中心に、その周辺を散策しましょう。1月下旬の薄曇りの日に出かけました。茶臼山をはじめとする八王子山系の中腹にある、東毛少年自然の家の駐車場に車を停め、歩き始めます。車道をひき返すように西へ向かうと、すぐに滝野神社の赤い鳥居が見えてきます。境内に立つ「瀧の権現」の説明板によると、かつてこの地には八王子山系から流出する滝があったそうです。現在滝は見当たりませんが、すぐ南には沼があり、水に恵まれていることは確かのようです。滝野神社から沼の脇を経て続く、細いハイキングコースに歩を進めます。枯葉が深く積もり消え入りそうな山道を、心許ない足取りで行くと、やがて眼下に切り立った崖が現れます。崖の下へ回り込むように道は続き、突然、荘厳な風景が目に飛び込んできます。冒頭に書いた石切り場跡です。説明板によると、この地で採れる2千万年前の軽石凝灰岩はかつて藪塚石として知られていたそうで、明治中頃から小規模に採掘が始まり、明治36年に藪塚石材株式会社が創立され採掘が盛んとなり、大正2年の東武鉄道敷設により販路が拡大し、最盛期には350人もの労務者を抱えていました。石質は軟らかく熱にも強かったので建築物の土台や塀、竃(かまど)などに使われていましたが、反面、水に弱く割れやすいなどの欠点もあり、次第に大谷石などに押され、昭和30年頃閉山となりました。

 石の壁は、間近で見ると、確かに軟らかく脆そうに思えます。しかし、いくら軟らかく脆いといっても石は石。半世紀以上経過した現在も、採掘をやめた当時のままの姿で、鑿痕(のみあと)を生々しく残した石の壁が垂直に聳え立っています。かつて、ローマのコロッセオやポンペイの遺跡など、巨大な石造物の廃墟の近くに佇み、その壮観、奇観ぶりに息を呑んだ覚えがありますが、目的や成り立ちは違えども、この目の前の光景は、古代の石造物の廃墟ではないかと見紛うほどです。まるで回廊のように両側を石の壁で覆われた道を進むと、三方に分かれ、いずれに進んでも不思議な造形美を見ることができます。この造形が生み出されたのは、石の状態や切り出し易さ、安全性などを考えて採掘した結果であって、作り手は決して美を求めていたわけではなかったのでしょうが、まるで最初から意図していたかのような繊細に張りつめた美しさが厳然とあります。この石の神殿で、古典演劇や能、あるいは弦楽器のコンサートなどを開催したら……などと思わず夢想してしまいました。安全面で課題がありそうですが、実現したら素晴らしいと思います。

 石切り場跡の興奮冷めやらぬまま、山道を下ると、やがて車道に出ます。先ほど引用した石切り場跡の説明板は、車道との合流地点に立っていて、石切り場跡だけが目的ならば、こちらからアプローチするのがいいでしょう。目の前には下溜という小さな沼があり、上流を辿り東へ進むと中溜、勝負沼へと続きますが、今回は西へと歩を進めます。ほどなく小高い丘の上に、7世紀前半に造られた円墳、北山古墳が現れます。この付近は古墳のメッカで、藪塚古墳群と名付けられていますが、中でも北山古墳が位置する尾根は、昭和11年の調査で57基もの古墳が確認されたそうです。

西山古墳

西山古墳

 藪塚温泉街を目指して緩斜面の道を南に下ると、温泉街の中ほどに出ます。お昼どきだったので食事をするところを探したのですが、見当たらず、藪塚駅前の大通りを目指しましたが、開いている飲食店を見つけることができず、コンビニエンスストアで弁当を買うことにしました。藪塚温泉街まで戻り、入口にあるなつめの里公園で弁当を広げ、稲の刈り取り跡の点々と残る田園風景を眺めながら、食事をしました。なつめの里公園の裏手には、西山古墳が控えています。6世紀末の前方後円墳で、北山古墳とともに県指定史跡となっています。短い温泉街をのんびりと歩きます。高台に、パイプ蒐集家故石黒敬七氏が中心となって建立した「パイプ塚」がありました。「烟草ありて人生愉し」と大きく刻まれていて、最近肩身の狭い愛煙家は、ここで吸うとさぞ煙草がうまいことだろうな……煙草を吸わない私は勝手にそう想像しました。

 丘の斜面に建つ温泉神社にお参りをして、太田市立薮塚本町歴史民俗資料館に入りました。遺跡や古墳の多い太田市内で出土した石器や土器、埴輪、勾玉などの考古資料が展示されていて、見応え充分です。石之塔遺跡で出土した、文様が刻まれた白い楕円形の石(岩版)の、神秘的な美しさに目を見張りました。解説員の丁寧で楽しい説明もあり、この日散策してきた場所に対する興味や印象が一層深まりました。温泉街を外れ、巨大なかかしが立っている三島神社公園へ向かいます。公園といっても遊具はほとんどなく、大きな広場は「やぶ塚かかし祭り」の会場として、個性的な案山子に埋め尽くされます。その奥には、昔ながらの鎮守の森の風情が色濃く残る三島神社があります。農地に住宅が点在する静かな道を、駐車場まで戻りました。

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース