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赤堀地区の道

折々の散歩道

爛漫の春のなか歴史を感じとる

伊勢崎市

 芸術新潮2010年1月号の特集「わたしが選ぶ日本遺産」は、各界を代表する68人が数個ずつ自分にとって日本遺産と思えるものを挙げているのですが、富士山、伊勢神宮、那智の滝といった正統的なものや、居酒屋、カラオケ、銭湯、築地市場、イチロー、歌舞伎といったなるほどと思わせるもの、更に、小津安二郎の東京物語、古今亭志ん朝の落語といった個人的思い入れが伝わってくるものなど、ヴァラエティに富んでいます。ちなみに、群馬県に関係するものでは、草津温泉、絹、こけしとダルマが挙げられています。本連載では、身近な風景を愛でながら散策する楽しみを伝えたいと思っているのですが、そのような視点からは、水田、木造家屋、電線や電信柱のある風景、鉄塔、横丁、スナック街が関係してきます。この芸術新潮の特集は、私たちは日本遺産に囲まれて暮らしているのだな、ということを再認識させてくれる、とても興味深いものでした。

 さて、今回は、伊勢崎市の赤堀地区を訪れ、古墳や城址等を巡る歴史散歩をしましょう。4月上旬の晴天の日に出かけました。最初に、伊勢崎市役所赤堀支所(旧赤堀町役場)の近くにある伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館に向かいます。1階には遺跡や古墳からの出土品が多数展示され、馬形埴輪や子持勾玉、鳥形平瓶などの優品もあり、歴史の厚みを感じさせられます。2階には養蚕関係の用具や資料のほか、農家の一部が移築されていて、昔の農家の暮らしぶりを感じ取ることができます。資料館に車を置いて歩き始めます。県道73号(伊勢崎大間々線)に出て南へ向かい、五差路となっている西久保の交差点から県道76号(前橋赤堀線)へと歩を進めます。鏑木川を渡ると北側に赤堀城(今井城)址が現れます。赤堀城は、観応・正平年間(1350頃)に赤堀直秀により築かれ、その後、北条氏幕下の小菅氏が在城しましたが、天正18年(1590)北条氏滅亡とともに廃城となりました。本丸のあった場所は畑となり、北側に残る土塁に、かろうじて城があったことの痕跡を留めています。粕川を渡るとすぐに宝珠寺が現れます。安永5年(1853)建立の山門をくぐると、平成19年に建て替えられた端正な本堂が佇んでいます。境内には、天慶2年(939)に建立された、赤堀氏の祖先藤原秀郷の墓と伝えられる、伊勢崎市指定重要文化財の五輪塔があります。冒頭にも書いた芸術新潮の特集で、国文学者青柳恵介氏は日本遺産に「石搭」を推し、具体的に「京都神護寺の五輪塔」を挙げていますが、五輪塔の有する五つのカタチからなるシンプルかつ巧妙な構成は、確かに日本の伝統美を宿しています。

 茶臼山古墳を目指し前橋赤堀線をしばらく西へ進みます。この日は絶好の花見日和だったので、途中、コンビニに寄り弁当を買いました。前橋市との境界の手前を右に折れます。周囲の多田山丘陵は、北関東道の盛土採取によりだいぶ平坦になり、伊勢崎市が県営サッカースタジアムの誘致活動に乗り出し、注目が集まっています。茶臼山古墳は畑が広がる小さな丘陵の頂にあり、細い農道を行くので分かりづらいのですが、資料館で戴いた案内図が役に立ちました。古墳は藪に覆われて、不明瞭で地味な姿なのですが、昭和4年の帝室博物館による調査で埴輪の優品が出土しています。次に、毒島城址を目指します。築廃城の時期は明確ではありませんが、中世の豪族毒島氏が居住していました。城の周囲はかつて沼だったと伝えられていますが、現在は田んぼになっています。城址を登ると、本郭(城内の平坦部分)も田んぼになっていますが、周囲には桜の木が植えられ、今まさに満開。中央に佇んでいると、まるで桜色の茶碗の中に入り込んだかのような気分になります。爛漫の春をぞんぶんに堪能しながら、桜の木の下で弁当を食べました。この近辺には、轟山古墳があるらしいのですが、しばらく探索したものの見つけることがでませんでした。諦めて、県道352号(三夜沢国定停車場線)を北へ向かい、西野神社を目指します。西野神社は、こんもりとした小さな諏訪山の頂にあり、赤い鳥居をくぐると紺色の奉納旗が立ち並び、参道の桜並木も満開で、まことに華やかです。

毒島城址

毒島城址

 天幕城を目指し、西野神社の鳥居の前の道を、東へしばらく進みます。大正用水とも接する交差点で、用水沿いの未舗装の土手道へ歩を進めます。大正用水は、周辺農家の水不足解消を目的として、大正7年に計画が立てられましたが、着工は昭和19年で、戦時中のため機械を使わず人海戦術で25キロメートルを掘り進め、素掘りの状態で昭和20年に供用を開始しました。その後、コンクリート等による水路橋や護岸等の工事を進め、完成したのは昭和53年のこと。計画から61年にも及ぶ多難の歴史を有しているのですが、春の土手道は菜の花やタンポポが咲き乱れ、どこまでものどかです。蕨沢川を過ぎると、小さな丘が北側に現れます。蓮園として活用されている外堀を回りこむように北へ向かうと、天幕城(磯城)址があります。永禄年間(1558‐69)に赤堀城の支城として築かれ、天正18年(1590)赤堀城とともに廃城となりました。この日三つの城址を見ましたが、いずれも自然の地形を上手に使い築城していることに古の人の叡知を感じます。城址のすぐ近くには、公園として整備された磯沼があり、沼畔には桜が植えられ、大勢の花見客で賑わっていました。北側の丘陵は峰岸山で、頂には配水場があります。広大な緩斜面は小菊の里として整備され、10月に見頃を迎えます。近辺には峰岸山古墳群として古墳が点在していますが、私が見たところ、十二所古墳以外は案内板がありません。これは古墳かな、と推測しながら散策する楽しみ方ができますが、せっかくの遺産ですので、何らかの対策が望まれます。伊勢崎大間々線に出て、爛漫の春のなか、歴史を身近に感じとることができたことに満足しながら、資料館まで戻りました。

天幕城址あかぼり蓮園と磯沼の桜

天幕城址あかぼり蓮園と磯沼の桜

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース