群馬県信用保証協会

新町宿周辺の道

折々の散歩道

新しいまち並みに歴史を読み取る

高崎市

 先日、東京の神田古書店街を散策していて、面白いものを見つけたので、買いこんできました。戦前から戦後間もなくにかけての群馬県の観光絵葉書です。時代特定の根拠は、写真に添えられた横書きのキャプションや、裏面の「郵便はがき」という文字が、右横書き(現在とは逆で、右から左へと文字が並べられている)であることによります。多くはモノクロで、カラーであっても、色調がずれていたり手彩色であったりと、古い印刷物特有のえもいわれぬ味わいが漂っています。よく見知った有名な観光地も、かつてはまったく違う風景が広がっていたことに、改めて気づかされます。例えば、赤城山の大沼(赤城湖とキャプションがついたものもあります)の湖畔には、かつて牧場が広がっていて、多くの牛たちが放牧されていたことを、初めて知りました。榛名湖の全景写真を見ると、湖畔には木造家屋がぽつぽつと建っているだけで、深山の気が漂っています。伊香保温泉街も、木造の低層旅館がこぢんまりと身を寄せ合っていて、現在とはだいぶ趣きが違います。温泉街から榛名山頂近くまでかつてケーブルカーが走っていたことは知っていましたが、写真で見るととてもいい雰囲気で、廃止されたのが残念に思えます。妙義山の「金洞山片手下り」というキャプションがついたものには、鎖か紐に掴まって崖を降りる登山者が三人写っているのですが、うちガイド役とおぼしき二人は和装です。太田大光院の東屋にも、和装の男女が六人写っています。昭和11年に建立された高崎市の白衣観音を写したものは、使用済みの葉書で、東京から宮城県玉造郡の知人に宛てて出されているのですが、達筆すぎて内容は判別できません。消印が薄れていていつ頃投函されたものか分からないのですが、東郷元帥の5銭切手が貼られています。この5銭切手は昭和17年4月1日から発行され、昭和22年9月1日に遁信省令により使用禁止となっています。また、葉書の郵便代金が5銭だったのは昭和20年4月1日から昭和21年7月24日までのことです。よって、この葉書は、終戦直前から直後の間の激動期に出されたものであることが分かりました。……と、埒のないことを書き連ねてしまいましたが、古絵葉書を眺めることは、決してまち歩きと無関係ではなく、古い風景と比較することで、眼前に広がる風景の奥行きはぐっと深まってくるものです。

 さて、今回は、高崎市の新町地区を訪れ、中山道新町宿周辺を散策しましょう。高崎市役所新町支所に駐車をして、歩き始めます。県道40号(藤岡大胡線)に出て、南に向かうと、広大な陸上自衛隊新町駐屯地が現れます。旧中山道である県道178号(中島新町線)と交差する角にある八坂神社には、敷地内の滑り台にリアルな大トカゲが貼りついていて驚かされます。県道178号が国道17号と合流する地点には、文化12年(1815)に夜間の標識として建立された見通し灯籠があります。往時の石灯籠は明治24年に大八木町の諏訪神社に移されてしまいましたが、現在は、昭和53年に復元されたものが建っています。国道17号を西に進むとガトーフェスタハラダの大きな新本館があり、その先の神流川の手前には、神流川古戦場跡の碑があります。天正10年(1582)に関東管領滝川一益と小田原北条氏の間で、神流川原において両軍合わせて約4万人の合戦があり、3千人余りが戦死したと伝えられています。国道17号を東に向かうと、間もなくJR高崎線新町駅が現れます。新町駅舎は昭和9年竣工と古いのですが、駅前ロータリーとともにきれいに整備改修されています。南北を結ぶ跨線橋に登ると視界が開け、驚いたことに富士山がよく見えました。南口から線路に沿って東に向かうと、岡崎醤油があります。大正12年築の事務所は、大正ロマンの香り漂う名建築で、一見の価値があります。同じ年に竣工した煉瓦煙突は、最近取り壊されてしまい、建築ファンに人気のあるランドマークだっただけに、残念です。

岡崎醤油

岡崎醤油

 跨線橋を再び渡り、北口から伸びる道をまっすぐに進みます。国道17号との交差点脇にある高長大神という小さな神社を眺め、古民家を利用した雰囲気のいいむそう庵でそばを手繰ってから、旧中山道である県道178号を左折し西に向かいます。ときおり残る古い建物や、小林本陣跡の案内板などを眺めながら進むと、温井川の手前に、ケヤキの巨木が存在感を放つ弁財天公園があります。サイクリングロードになっている温井川の土手を北東へ向かいます。川面は冬の青空を映し、鴨たちがのんびりと羽を休めています。やがて小さな虚空蔵橋と桜木立の美しいシルエットが見えてきます。橋のたもとには洪水除けの虚空蔵や道祖神などが祀られ、のどかでうららかな景観を作っています。歌川広重による「木曽街道六拾九次」の「新町宿」は、この近辺を描いたとの説があります。次第に広くなる河川敷を眺めながら進むと、上武大学の大きなキャンパスが現れます。目の前は温井川と烏川の合流点で、大きな岩倉橋が架かっています。岩倉橋を渡らず県道40号を南に向かい、新町変電所の近くを西に折れ、静かな住宅街を於菊稲荷神社へと向かいます。この神社の由来には、宝暦年間(1751-63)に評判の娼妓於菊の病を平癒させたことで多くの参詣人を集めたと伝わっています。40余りの赤い鳥居が立ち並び、狐の石像も何体も設置されていて、なかなか見応えのある神社です。於菊稲荷神社を南に下ると、行在所公園が現れます。行在所は、明治11年に明治天皇が新町に行幸した際、宿泊施設として建築されたもので、その後役場や公民館として使用されてきました。県道178号を右折し東に向かいます。かつての宿場町のよすがは残念ながら余り残っていません。広い敷地を持つ五区諏訪神社を眺めてから、裏道に入り気ままに歩くことにしました。新町は、まち並み整備がだいぶ進み、古い建物は余り残っていませんが、大きな煙突が目立つ銭湯や、美好園と書かれた看板の残る立派な木造建築を見つけました。道端にひっそり並んで建つ閻魔堂と神流川合戦供養塔を最後に眺め、車を停めた新町支所へ戻りました。

行在所

行在所

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース