群馬県信用保証協会

岩宿周辺の道

折々の散歩道

爛漫の春に歴史の宿る里山を歩く

みどり市

 平成23年3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方を中心に、日本に甚大な被害をもたらしました。この原稿を書いている4月中旬においても、まだ1万人超の行方不明者、10数万人の避難生活者がいて、原発事故や風評被害、自粛ムードの高まり等が、私たちの生活に暗い影を落とし、復興への道のりは非常に険しいものとなっています。三陸沖では、貞観11年(869)の貞観地震をはじめ、慶長16年(1611)、明治29年(1896)、昭和8年(1933)に、マグニチュード8を超える大きな地震に見舞われてきました。この地域の地震の特徴的なところは、地震そのものよりも津波による被害のほうが大きいことです。今回の東日本大震災の最大津波は、日本の観測史上最高の38.9メートルと見られていますが、明治29年には38.2メートル、昭和8年には28.7メートルの津波を記録していたので、それらの経験を踏まえ、津波に対する万全の体制を構築することはできなかったものか、との思いにかられます。過去の地震を教訓にして、防波堤を築造していた地域も多かったのですが、多くの防波堤は、今回の地震では充分にその効果を発揮できず、甚大な被害が発生しました。人間の命はなにものにも変えられないものです。三陸沖のほかにも、90年から150年周期で繰り返される東海地震などもありますので、津波や原発については、国を挙げて、充分すぎるほど充分な対策を講じることが望まれます。近年、国は、災害発生時において組織が事業継続するためのリスクマネジメント手法である「事業継続計画(BCP)」の策定の普及に力を入れていますが、企業も地方公共団体も、策定はさほど進んでいないようです。国民全体の防災意識が高まっていますので、今後は、すべての企業や地方公共団体に対し、BCPの策定を義務付けるような仕組み作りが必要ではないでしょうか。

 さて、今回は、みどり市岩宿を訪れ、旧石器時代に思いをはせつつ、早春の里山歩きを楽しむことにしましょう。笠懸野岩宿文化資料館の駐車場に車を停め、最初に、資料館に足を運びます。鹿の川沼の畔にある資料館は、一部が地面に埋まった個性的なデザインをしており、見る角度によって建物のイメージがまったく違うので、周囲を回って外観を鑑賞するといいでしょう。1階の企画展示室では、定期的に転じが変わるのですが、この日は、近隣の小学校や幼稚園の子供たちが作った土器が展示されていました。2階の常設展示室では、岩宿遺跡の発見や発掘の様子や、岩宿時代の自然環境やヒトの暮らしぶりを、親しみやすく展示してあります。ここで、岩宿遺跡についておさらいしましょう。岩宿遺跡は、昭和21年、在野の考古学者相沢忠洋氏によって発見されました。関東ローム層の中から打製石器を見つけ出したことが契機となり、昭和24年に明治大学による発掘調査が行われ、旧石器時代にも日本でヒトが生活していたことが明らかとなりました。それまでは、日本における人類の歴史は縄文時代からとされていたのです。日本の考古学にとってエポックメイキングとなる遺跡であることから、昭和54年には、国の史跡に指定されています。

丸山宿

笠懸野岩宿文化資料館

 資料館の隣にある岩宿人の広場には、旧石器時代の住居3棟が復元されていますが、うち1棟は、マンモス象の骨で作られていて、なかなかインパクトがある一方、工夫を凝らした造形の妙には感心させられます。車道を東に向かって少し進むと、北側に、昭和24年に明治大学が発掘調査をした岩宿遺跡が現れます。南側には、相沢氏が最初に石器を発掘した場所が、岩宿ドーム(遺構保護観察施設)として整備され、ガラス越しに地層の観察ができるほか、往時の岩宿人の暮らしぶりをアニメーションで放映しています。岩宿ドームの東側にある駐車場から、琴平山のハイキングコースに歩を進め、雑木林の中の静かな道をゆっくり登ります。標高196.2メートルの山頂では、葉を落とした木々の間から、周囲のまち並みを見ることができます。更に南に進むと、突き出た岩場に設えられた大岩展望台が現れます。眼下に国道50号が走り、絶好のビューポイントです。琴平山を下り、国道50号に面している国瑞寺に向かいます。国瑞寺は、江戸時代の代官岡登景能が創建し、県指定文化財である景能の墓があります。北に向かってしばらく歩くと、鹿の川沼が現れます。景能は、笠懸野に新田開発をしたことで知られ、鹿の川沼は、寛文10年(1670)に景能によって作られた溜め池で、岩ノ下溜井と呼ばれていました。沼の南側の土手は、桜並木となっていて、この日は2分咲き程度でした。沼には釣り人たちが竿を垂れ、のどかな風景が広がっています。岩宿遺跡まで戻り、すぐ脇にある稲荷神社の参道を進みます。稲荷神社は、標高188.3メートルの稲荷山の山頂にあり、参道は登山道も兼ねています。山頂から西に向かう道を進み、滑りやすい急傾斜を下ると、カタクリ群生地のすぐ近くに出ます。カタクリ群生地は、稲荷山の北麓一帯に広がり、私が訪れた4月上旬にはちょうど見頃を迎えていました。楚々とした紫の花が広大な斜面に咲き乱れているさまは見事で、ほかにも、アマナ、アズマイチゲ、スミレ、ダイコンバナなども見ることができ、多くの人で賑わっていました。

丸山(米山)

カタクリ群生地

 カタクリ群生地の北には、岡登用水が流れています。この川は、その名のとおり、岡登景能が渡良瀬川から水を引き作ったもので、水利権を得るために苦労しましたが、完成後間もなく下流域の住民とトラブルにより廃渠になり、再び用水が復活するのは明治5年(1872)のことでした。用水に沿って東に進むと、周囲は岡登親水公園阿左美緑道として整備されていますが、過去の歴史を知ると、この小さな清流も、ぐっと存在感を増して見えてきます。用水を二つに分ける三俣分水口には、往時の木製の分水口が復元されています。校門に立つ満開の辛夷が麗しい笠懸北小学校の脇を通り、再びカタクリ群生地を鑑賞して、駐車場に戻りました。

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース