群馬県信用保証協会

一ノ宮・七日市周辺の道

折々の散歩道

歴史と信仰が穏やかに彩なすまち

富岡市

一之宮貫前神社

一之宮貫前神社

 建築工学博士浅野平八氏の「風土の意匠 次代に伝える民家のかたち」という本があります。日本各地の伝統的な民家建築やまち並みの探訪記なのですが、取り上げられている36ヶ所の中に、わが群馬県は残念ながら入っていませんでした。だからといって、群馬に伝統的な民家建築がないということではなく、他の地域で取り上げた民家建築に、群馬と共通する要素をたくさん見つけることができます。また、この本の中では、岩手県陸前高田市や宮城県柴田郡村田町といった、東日本大震災で被害を受けた地域も取り上げられています。村田町は津波の被害は受けていませんが、小京都と呼ばれる蔵の町並みは、地震により大きな被害が出ています。陸前高田市は、大震災の影響が最も大きい地域のひとつで、地震ばかりでなく津波によっても甚大な被害が発生しています。陸前高田市のページでは、気仙大工について次のように書かれています。
「気仙大工とは、陸前の国・気仙地方の農民が生活を支えるために建設現場の仕事につき、やがて出稼ぎするようになった技術者集団をいう。/その技量は高く、家大工でありながら社寺仏閣まで手がけるようになった。気仙大工の仕事は宮城県北部から岩手県南部に集中している。」

  気仙大工の手になる建築が、今回の大震災でどれくらい被害を受けているのか、その全貌は明らかではありませんが、気仙大工発祥の地である陸前高田市小友町は、津波により壊滅的な状態になっていることを考えると、被害は甚大であることが想像できます。しかし、気仙大工の伝統は、震災後の復旧にも大きく役立っています。気仙郡住田町では、大震災の3日後には、気仙大工の技と気仙杉を活用した仮設住宅作りをいち早く決定し、注目を集めました。気仙大工の伝統は、きっと震災後も未来へと続いていくことでしょう。いずれにしても、東北地方をはじめとして、大震災により被害を受けた地域の皆さんに対し、お見舞いの気持ちとともに、早期の復興を心から祈らずにはいられません。

  さて、今回は、富岡市を訪れ、一之宮貫前神社を起点にして周辺を散策することにしましょう。総門の周囲にある駐車場に車を停め、歩き始めます。総門の背後には、大鳥居が見え、総門をくぐると、下りの石段が続き、下り切ったところに楼門と拝殿が広がっています。石段を登り切ったところに社殿があるのが、一般的な神社の作りですが、貫前神社は、「下り宮」と呼ばれる特殊な作りをしています。上毛かるたの「ゆかりは古し貫前神社」のとおり、社伝では安閑天皇元年(531)の創建とされ、正月の初詣客数では県内一を誇っています。本殿、拝殿、楼門は国指定重要文化財となっており、本殿は残念ながら改修中で白いシートに覆われていましたが、紅色に塗られた拝殿と楼門の端正な姿は見ることができます。社域内には、スダジイとイチョウの巨木があり、神社の由緒の古さを物語っています。貫前神社を出て、東へ進むと、隣に富岡市社会教育館があります。この建物は、東国敬神道場として昭和11年に建てられ、国の登録有形文化財となっています。敷地内は自由に見学でき、総檜造りの近代和風建築を鑑賞することができます。庭からは眼下に一ノ宮のまち並みを眺めることができます。北へ向かって大きくカーブする坂を下り、県道47号にぶつかると、道の向かい側に、北甘変電所(旧西毛電気一ノ宮変電所)があります。大正8年に竣工した鉄筋コンクリート造2階建ての変電所で、ここも国の登録有形文化財となっています。現在も東京電力の変電所として活用されており、数年前に外壁の改修工事を行ったため、古さを感じさせない佇まいをしています。

富岡市社会教育館

富岡市社会教育館

  県道47号を東へ向かい、国道254号バイパス(富岡バイパス)を右折してしばらく進むと、上信電鉄の上州一ノ宮駅があります。駅舎は、明治30年の開業時のものを改修しながら現在も使っていて、懐かしい佇まいをしています。254号バイパス沿いのとんきんでとんかつを食べてから、一峰公園へ向かいます。東西に長い高台に走る桜並木のある道を進むと、自然の地形を生かした一峰公園が現れます。周辺は花見の時期には多くの人で賑わいます。高台のため眺望がよく、北には高田川、南には鏑川の流れを見ることができます。かつての信州街道だった国道254号に合流し、しばらく東へ向かうと、富岡高校の敷地内に、七日市陣屋が残されています。元和2年(1616)に前田利孝(前田利家の五男)が立藩した七日市藩は、小藩ながらも明治維新まで存続しました。現在の建物は、天保14年(1843)に建築されたもので、美しい和風庭園とともに、清澄な気に満ちています。

 富岡高校から北に進むと、右側に、シーボルト事件で処罰された長崎出島の通訳稲部市五郎種雅の碑が、牢屋跡に建っています。引き続き北に向かうと、上信電鉄の上州七日市駅が、住宅外の中、隣家と密着するように建っています。駅舎の建築年ははっきり分かりませんが、木造の味のある佇まいからして、開業当時のものかもしれません。富岡高校の南へと進むと、高校の校庭と隣接して、蛇宮神社が現れます。創建は平安時代以前で、明応3年(1494)に現在地に遷座、七日市藩主の崇敬社、領内総鎮守として信仰を集め、そんな由緒を物語るように、広い境内に巨木が林立し、4基の古墳が残されています。国道254号を西に歩を進めると、住宅街の中に、太子堂塚古墳が現れます。こんもりとした小丘で、現在は果樹園として利用されています。登ってみると、宝暦12年(1761)に地元の文人らが建てた芭蕉句碑があります。「花の陰諷に似たる旅寝かな」と刻まれた句碑から、この古墳は、旅寝塚古墳という風雅な別名を持っています。254号バイパスを越え、県道199号を進むと、貫前神社の参道が現れます。参道入り口の右側にある富岡市シルバー人材センターには、懐かしい火の見櫓が立っています。広くて長い参道の立派な石段を、息も絶え絶えになって登り切り、駐車場に戻りました。

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース