群馬県信用保証協会

鎌原宿周辺の道

折々の散歩道

自然災害から復興した小さな集落

嬬恋村

 平成23年8月末から9月初旬にかけて、宮城県、岩手県に大震災被災地視察に行きました。大震災から約半年経過し、瓦礫の撤去はおおむね完了し、取り残された建物がぽつりぽつり残る地域と、瓦礫が大きく山積みされている地域とがありましたが、いずれも、かつての姿が想像できないような光景が広がっていました。産業・経済的にも甚大な被害が発生しており、被災した企業経営者はまだ生活することで手一杯で、事務所・工場の新築・復旧及び事業の開始まで至らず、具体的な復興作業にはまだ時間を要することが窺えました。一方、周辺地域のタクシー業、土木・建設業、運送業、保険鑑定士、中古自動車販売業、宿泊業、飲食業、小売業等においては、震災需要、復興需要が生じていました。塩竃市では、アート・ギャラリー「ビルド・スペース」で「ビルド・フルーガス」を主宰する高田彩さんを始め何人かに被災や復興の状況について話を聞くことができました。興味深かったのは、「仙台市中心街は大勢の人々で賑わい非常に活気があるのはなぜか」という質問に対する高田さんの回答です。「震災により、人々の意識が変わり、街に出てお金を使うことが、復興につながるという意識が現れた。震災直後の大変な状況でストレスが溜まっていたので、一段落ついたところで、買物によりストレスを発散したいという意識もあると思う。買物することは、自分のためでもあり他人のためにもなると、考えるようになった。ほかにも、義捐金が入ったり、ボランティアや取材等さまざまな理由で多くの人が仙台市にやってくるようになったことなども、活気に貢献しているのだと思う」という説明を受け、得心しました。高田さんは、復興のための市民会議にも参加しているのですが、「復興の夢を語ることが心の支えであり、ある意味で心の復興を図っているともいえる」という言葉が強く印象に残りました。話を聞くことができた方々からは、震災を機に深まった郷土愛や、人とのつながりを大切にしたいという気持ちが伝わってきました。

 さて、群馬県の自然災害で思い出すのは、天明3年(1783)に発生した浅間山大噴火。今回は、嬬恋村鎌原地区を訪れて、自然災害の怖さと、復興のための人々の努力を確認することとしましょう。浅間白根火山ルート・鬼押ハイウェー沿いにある嬬恋郷土資料館に駐車をし、まずは資料館を見学します。資料館は、村の文化財の紹介や、特産物キャベツについて展示しているほか、天明3年浅間山大噴火のことも詳しく知ることができます。天明大噴火では、大規模な火砕流が土石なだれを引き起こし、鎌原村(現 嬬恋村鎌原)を直撃し、当時の村民570人の84%を占める477人もの生命を奪いました。被害はこれだけに留まらず、吾妻川に流れ込んだ土石なだれは川を堰きとめ、大洪水をもたらし、吾妻川から利根川にかけて沿岸の集落を飲み尽くし、更に千人近い人が命を落としました。また、この噴火による降灰は関東近辺の農作物に大きな打撃を与え、更に天空に漂う噴煙は天候不順(冷害)をもたらし、天明の大飢饉を引き起こしました。残された93人の村人たちは、村を離れることはせず、力を合わせて復興に取り組みました。妻を失った夫は夫を失った妻と、親を失った子は子を失った親と、新たな家族を作り、皆で助け合い、支え合ったそうです。

  資料館の隣にあるパン工房六角堂でパンを買い、高原を吹き渡る風を受けながらベンチで食事をし、すぐ東にある鎌原観音堂に歩を進めます。天明大噴火の際、村で唯一残った建物が、小高い丘の上にあったこの観音堂なのです。生き延びた93人のうち、村外にいた人を除く全員が、ここに避難してきて助かりました。観音堂は杉林に囲まれて立つ、鄙びた素朴な建物です。その前には、幅1メートルほどの石段があります。現在地表に現われているのは15段に過ぎないのですが、噴火前には50段あったことが、1979年に実施した発掘調査で明らかになりました。ここに押し寄せた土石なだれは5メートルほどの厚さにも及んだことになるのです。石段の発掘工事の際、埋まっていた石段に折り重なるようにして2体の遺骨が見つかりました。遺骨の様子から、若い女性が年老いた女性を背負っていたと推測されています。果たして親子でしょうか。死よりも強い愛情が伝わってきます。この観音堂は、今もなお、厄除け観音として地元住民に信仰されています。

鎌原観音堂

鎌原観音堂 

 鎌原観音堂前の道を東に進みます。左右は農地と民家が混在し、のどかな風景が広がっています。間もなくT字路に突き当り、左折して北に向かいます。この南北に延びる道はかつての鎌原宿で、北国街道の脇往還である信州街道の宿場町でした。道の両側には、改装されてはいるものの、往時の姿を偲ばせる、大きな農家建築がたくさん残されています。2階は養蚕が行われていたものと思われ、群馬の原風景ともいうべき場所だな、と感じました。土蔵や火の見櫓など、農村特有の建造物も見ることができます。宿の中ほどを東に向かうと、鎮守の森が見えてきます。鎌原神社の横には、茅葺屋根の集会所のような建物があります。見どころは、鳥居の横にある村指定文化財の郷倉。郷倉とは、公的な貯穀庫で、天明大噴火から5年後の天明8年(1788)に建てられました。茅葺き、土壁の小さくて質朴な建物には、被災後の村民の祈りが込められているように感じました。鎌原宿を再び北に向かい、人家が途切れると、東側に並行して走る道を北から南に歩を進めます。農地の中に人家が点在する静かな道です。浅間白根火山ルートを南から北へ向かい、右折して、鎌原宿へと向かう道を進みます。再び鎌原宿をのんびりと歩いてから、資料館へと戻りました。自然災害から力強く復興した様子に、深く感動を覚えた散策でした。

鎌原の郷倉

鎌原の郷倉

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース