群馬県信用保証協会

世良田地区の道

折々の散歩道

新田庄と徳川家発祥の地の歴史を辿る

太田市

 都道府県別ブランド力が時おり話題になりますが、ブランド総合研究所と日経リサーチが、全国のランキングを発表しています。ブランド総合研究所の「地域ブランド調査」は、2006年から年1回実施され(都道府県ランキングは2009年から)、現時点で最新の調査結果は2011年9月に発表されています。67項目について30,537人から調査した結果、魅力度ランキングは、1位北海道、2位京都府、3位沖縄県、4位東京都、5位奈良県となっています。日経リサーチの「地域ブランド戦略サーベイ」は、2006年から隔年で実施され、現時点での最新の調査結果は2011年2月に発表されています。5つの項目について19,801人から調査した結果、総合評価は1位北海道、2位京都府、3位沖縄県、4位東京都、5位神奈川県となっています。さて、我が群馬県はといいますと、地域ブランド調査では44位(ワースト4位)、地域ブランド戦略サーベイでは47位(ワースト1位)と、はなはだ残念な結果となっています。地域ブランド調査では、群馬をはじめ下位にランクする北関東3県は、首都圏に近いため地域のイメージ作りなどの必要性が弱かったのでは、と分析しています。確かに群馬県は、豊かな自然と温泉地を多く抱え、地の利もあって首都圏から観光客が大勢来ますので、積極的にPRする必要はなかったのかもしれません。ともあれ、このような状況に甘んじているわけにはいかないので、全国に群馬県の魅力を積極的に発信していかなければなりません。群馬県には自慢できる場所や風物、郷土食や工芸品などがたくさんありますので、それらを磨き上げ、アピールしていけば、きっと評価が上がることでしょう。

 さて、今回は、太田市の世良田地区を訪れ、新田庄や徳川家発祥の地として知られる歴史の里を散策しましょう。長楽寺の駐車場に車を停め、歩き始めます。長楽寺は、世良田の地を開拓した新田義重の子徳川義季が、承久年間(1219-22)栄朝禅師を招いて創建し、多くの参詣により、鎌倉末期には周辺に宿が生まれ市が立つなど、隆盛を見せました。戦国時代には荒廃しますが、江戸時代に入り徳川家康の庇護を得て天海が入寺し、再び繁栄しました。広大な境内には、江戸時代初期建立の勅使門の前に蓮池(心字池)があり、寛政8年(1796)築造の石橋、渡月橋(太鼓橋)を渡りまっすぐ進むと、慶安4年(1651)に徳川家光により再建された三仏堂(本堂)があります。江戸時代初期建立の太鼓門(鼓楼)を抜けると、開山栄朝禅師を祀る開山堂、鎌倉時代の宝塔(国指定重要文化財)や徳川氏累代の墓のある文殊山、宝蔵、現在の本堂が点在しています。長楽寺の南隣には、世良田東照宮があります。徳川家光が日光東照宮を改築した際、旧奥社拝殿等を移築してきたもので、本殿、唐門、拝殿、鉄灯籠は国指定重要文化財となっています。長楽寺と東照宮の建物の多くは朱塗りされていて、日光東照宮にも似た絢爛な佇まいは、徳川幕府の庇護の厚さを物語っています。東照宮の南には新田庄歴史資料館があり、市内11ヶ所からなる中世新田氏の荘園「新田庄遺跡」(国指定史跡)を中心に太田市の歴史資料を展示しています。資料館の隣にある「葵」でお昼を食べ、散策を続けます。県道14号(伊勢崎深谷線)を南に向かい、早川にぶつかるので左折し、鴨たちがのんびりと川面を滑っている様子を眺めながら、川沿いの道を進みます。県道298号(平塚亀岡線)にぶつかるので左折すると、間もなく右側に永徳寺が現れます。天台宗開祖最澄の弟子宥海上人により大同元年(806)に創建され、その後長楽寺とともに徳川氏の庇護を受けてきました。本堂は火災のため弘化2年(1845)に再建されたものです。永徳寺の向かいには満徳寺があります。ここは徳川義季が開基、その娘浄念尼が開山した尼寺で、徳川家康が天正9年(1591)に再興し、大阪落城の際、豊臣秀頼の内室であった孫の千姫を入寺させ離縁、本多氏に再嫁させたのを機に、鎌倉の東慶寺と並ぶ縁切寺(駆込寺)として認められました。明治5年に廃寺となりましたが、跡地は、縁切寺満徳寺資料館のほか、本堂などが復元され、公園として整備されています。

横堀宿旧本陣

長楽寺三仏堂

 

 満徳寺から北へ向かって農地の中の細い道をしばらく進みます。国道354号を越えた先を右に曲がると、木々がこんもりと茂る一本松稲荷神社が現れます。鬱蒼とした木々に覆われた質朴な神社ですが、たくさん立ち並ぶ赤い鳥居が信仰の厚さを思わせます。西にしばらく進むと、右側に二体地蔵塚が現れます。ここは、玄弘3年(1333)に幕府北条氏から、戦費のための臨時税6万貫を要求された新田義貞が、重なる不満を抑えかね、幕府の使者黒沼彦四郎、出雲介親連を斬首のうえ晒し首にした場所で、後に供養のため地蔵が置かれました。これをきっかけに、義貞は討幕の挙兵を決意しました。左折するとすぐに国道354号が現れるので右折して西に向かいます。左に少し逸れたところに普門寺があります。寛弘年間(1004-12)に靜算により開山され、戦国時代は領主由良氏、江戸時代は徳川氏の庇護を受けてきました。この辺りから世良田の信号までの354号沿いには、「お江戸見たけりゃ世良田へござれ」と歌われた往時の繁栄を窺わせる、大きな木造建築がたくさん残っていて、見応えがあります。県道69号(大間々世良田線)を北に向かい、世良田郵便局を左に曲がると尾島文化財事務所(旧世良田村役場)があります。昭和3年に竣工の鉄筋コンクリート造2階建てで、装飾が少なく豪華ではないのですが、実直な美しさがあります。北には、貞観18年(876)創建と伝わる八坂神社があります。新田祇園社とも言われ、祇園祭はかつて関東三大祭りに数えられていました。西に向かうと悪源太義平の墓のある清泉寺があります。源義平は源義朝の長男で、平治の乱で敗れたため、婚約者新田義重の娘がここに埋葬したと伝えられています。寺はなぜか荒れ果てていました。盛りだくさんの歴史散策を振り返りつつ、帰路に着きました。

大鳥神社

尾島文化財事務所

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース