群馬県信用保証協会

磯部温泉周辺の道

折々の散歩道

歴史と文学の香り漂う温泉街

安中市

 東日本大震災から1年が経ちました。復興に向けた努力が続いていますが、その道程はまだ遠く、原発の不安もいまだ抱えています。被災地出身の知人が3名いるのですが、うち2名は実家を津波で流されました。そのうちのひとり、前橋在住の写真家遠藤尚輝さんは、3月10〜12日に前橋で写真展を開催しました。この原稿を書いているのは、写真展開催前なのですが、写真展開催を決意し、撮影や現像に取り組むさまを近くで見てきて、被災した家族やたくさんの知り合いに対する遠藤さんの深い思いを知り、感銘を受けました。

  さて、今回は、安中市の磯部温泉を訪れましょう。磯部温泉会館の駐車場に車を停め、歩き始めます。平安中期の辞書「和名抄」に「磯部郷」の名を見ることができ、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡(東鑑)」には「磯部村此所に塩の湧き出る所あり」と書かれており、古い歴史を有しています。天明3年(1783)の浅間山大噴火により温泉が大量に湧出したことで、湯治場として発展し、明治時代に入り信越線が開通したのを受け、温泉街が形成されました。温泉会館の横には元慶年間(877-885)創建と伝わる赤城神社や、「愛妻の池」と名づけられた池があります。「愛妻」の由来は、磯部駅前に立つ富岡市出身の日本恐妻連盟総裁阿部真之介の「恐妻碑」から来たもので、「恐妻とは愛妻のいわれなり」という言葉が刻まれていて、県道220号(磯部停車場線)には「愛妻橋」もあります。赤城神社の裏側には、磯部公園(詩碑公園)が広がり、たくさんの文学碑が点在しています。幾つか紹介すると、村上鬼城「泉わくやときどき高く吹きあぐる」、若山牧水「湯の町の葉ざくら暗きまがり坂曲がり下れば渓川の見ゆ」、吉野秀雄「岩に湧く薬の水に長き夜の暗き灯かげは射し及びたり」、湯浅半月「空にたつけむりの末に見ゆる哉あさまの峰の秋のはつ風」。磯部温泉にゆかりの深い大手拓次は、ふたつの詩碑があります。うちひとつは「『陶器の鴉』陶器製の あをい鴉/なめらかな 母韻を包んで/おそひくる青からす(以下略)」。大手拓次(1887-1934)は、公園内に胸像の立つ、磯部駅誘致に奔走するなど磯部温泉発展に尽力した旅館業者大手万平の孫に当たり、フランス象徴詩の影響を受けたデカダンスな詩風で知られる詩人です。また、日本最古の温泉記号の碑も立っています。万治4年(1661)、土地の境界を巡る訴訟の判決文に描かれている記号が、現時点では最古の使用例で、現在の温泉記号よりも湯気の部分が長く、まるで海をたゆたうクラゲのようです。

足湯

足湯

  磯部公園を出て、東に向かうと、県道220号に面して日帰り温泉施設「恵みの湯」があります。県道220号を北に向かい、碓氷川に架かる前述の愛妻橋を渡ります。愛妻橋からは奇岩連なる妙義山の姿がよく見えます。橋を渡ると右側に朝妻美術館が現れます。散策した日は閉まっていたので、訪問を希望する場合は事前に確認することをお勧めします。以前訪れたことがあるのですが、抽象画家朝妻治郎(1915‐1980)の作品を収蔵しており、詩情漂う作品に静かに向かい合うことのできる瀟洒な美術館です。少し進んだところを右折して東へ向かいます。農地に住宅が点在する静かな道をしばらく進み、右折すると、聖明寺が現れ、見事な双体道祖神が出迎えてくれます。ここは、かつての滝山城だったところで、碓氷川の崖の上に建ち、築城は16世紀とされていますが、歴史的経緯等は詳しく伝わっていないようです。城址であることを偲ばせる遺構は少なく、事前に調べなければ城址とは気づきません。来た道を戻り、県道220号の朝妻美術館の先のY字路を右に進み、さらにすぐ右折し、住宅街の中の道を西に進みます。やがて道は未舗装の農道となり、抜けると海雲寺が現れます。ここはかつて菅沼城(下山城)だったところで、文禄2年(1593)、徳川家康の家臣菅沼定清が所領を得て居城としました。ここも滝山城址と同じく碓氷川の崖の上に築城されていて、山門の近辺に土塁と空堀の跡を見ることができます。

 南に向かって進み、高台旅館を通り過ぎ、碓氷川に架かる鉱泉橋を渡ると、右側に磯部館、左側に磯部ガーデンが現れます。磯部ガーデンは「舌切雀のお宿」のキャッチフレーズで知られていますが、磯部の地は古くから舌切雀の伝説が伝わり、現在よく知られている昔話は、明治の児童文学者、岩谷小波が磯部温泉を訪れ取材し、昔話として発表したものです。直進すると、平成15年に作られた足湯が現れ、左折すると、磯部せんべいの店や飲食店が軒を連ねる、昭和レトロの雰囲気の商店街となります。群馬県民には馴染みの深い磯部せんべいは、19世紀後半まで歴史を遡ることができ、温泉で小麦粉をといて焼いたもので、質朴ながら滋味深く、甘みの奥に温泉ならではの芳香がほのかに立ち昇ります。土産に一袋買いました。郵便局の手前を曲がり、坂を登ると、全長数十メートルにも及ぶ壁画が現れます。「ISO-base」と題され、平成15年にアーティストや地元の子供たちによって描かれたもので、鮮やかな色彩のグラフィティアートは、鄙びた温泉街に異彩を放っています。細い階段を登るとひっそりとした風情の温泉薬師があり、その先には仙石因幡守頌徳碑があります。仙石因幡守は当地の旗本で、寛文13年(1673)人見堰を引き200ヘクタールの田を潤し、農民から崇敬されました。JR信越本線の磯部駅に向かいます。駅舎は木造、赤い瓦屋根で、随分古くロータリーには前述の恐妻碑と日本最古の温泉記号の碑があり、「歓迎磯部温泉」のゲートが立ち、旅情をかき立てます。駅前食堂の風情漂ういまい食堂で遅い昼食をとり、磯部城址へ向かいます。信越本線に並行して走る道を東へ進むと小高い山が見えてきます。信越化学工業磯部工場の先、新地城山という比高40メートルほどの丘陵が磯部城址で、南側から登ることができます。築城時期は不明で、武田信玄、その後北条氏により支配されていたとされます。建物は残っていませんが、土塁や横堀が残り、案内板も充実していて、往時の姿を想像することができます。県道48号(下仁田安中倉渕線)を通り、温泉会館へ戻りました。 

磯部城址にある新地城山

磯部城址にある新地城山

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース