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三ノ倉宿周辺の道

折々の散歩道

道祖神を辿りつつ農村風景を味わう

高崎市

 久住昌之原作・谷口ジロー画『散歩もの』(扶桑社文庫)は、散歩という地味なテーマを取り上げている漫画で、平凡なサラリーマンが散歩中に体験するささいな出来事を淡々と描いています。そもそも散歩とは、派手さやエンターテイメント性を追い求めるものではなく、散歩好きは、日常の延長の中にかすかな非日常的な感覚を味わうこと、原作者の久住氏の言を借りれば「生活の隙間」を味わうことに、喜びを感じるものですから、この漫画には、散歩好きが共感するエッセンスがたくさん詰まっています。漫画の主人公は、理想的な散歩は「のんきな迷子」と言っていますが、言い得て妙、と得心しています。

 さて、今回は、高崎市倉渕町三ノ倉地区を訪れましょう。1年前の平成23年5月号でも三ノ倉地区を取り上げているのですが、その際は、高崎市倉渕支所を起点に水沼橋と川田橋の間を散策しました。倉渕町は、道祖神をはじめ多くの石仏や石碑が残っており、魅力的な散歩道がほかにもたくさんあります。今回は、前回歩いたルートの手前、榛名町との境界辺りから水沼橋にかけて国道406号に沿って散策しましょう。榛名町方面から国道406号に車を走らせると、倉渕町に入る直前に、駐車場やトイレ等が整備された榛名川橋パーキングエリアが右側に現れるので、そこに駐車をして、西に向かって歩き始めます。すぐに倉渕町となり、榛名川を渡った先を右折するとすぐに、僧戒定の供養塔があります。戒定は寛延3年(1750)当地に生まれ、江戸中野の宝仙寺住職となりました。県道122号と合流するところに、夫婦和合の姿で有名な落合の道祖神(1番道祖神。以下、道祖神の番号は高崎市発行「倉渕の道祖神」による。)があります。脇にある山道を少し登ると、見事な竹林の中に、これまで見たこともないほどの巨大な石宮や、三面六臂の馬頭観音が刻まれた石碑などがあります。国道406号に戻り、北西に進みます。4月後半に訪れたのですが、ちょうど桜が満開で、木々は芽ぶきを迎えつつあり、麗しい里山の風景が広がっています。路傍に12基の石仏や石宮が並んで立っている中に、2番道祖神があります。下久保のバス停の近くを右に逸れると、突き当たりの民家の塀の一部を遮断するように6番道祖神が立っています。

落合の道祖神

落合の道祖神

 国道406号に戻り、先に進むと、右側に石上神社が現れます。境内の桜が満開で、しばらくの間腰を下ろして花見を楽しみました。すぐ先の左側には、榛名山座主の森があります。名前は森ですが、実際は小さな塚で、榛名山座主快尊、忠尊、快承の墓といわれています。406号をしばらく進むと、右側に権田栗毛終焉の地の案内板が立っています。権田栗毛は、一の谷の合戦で名を馳せた武蔵国の熊谷次郎直実の愛馬で、戦で傷つき生地の権田に戻されたが、生家が絶えていたため主人のもとへ引き返そうとした途中、この場所で息絶えたという伝説が伝わっています。道を逸れると、小さな川沿いに権田栗毛が枕にしたという権田栗毛枕石があり、その先のお堂には多くの石造物等とともに権田栗毛の墓もあります。境内の椿の木の下には7番道祖神もありますが、摩耗が激しく判別が困難な状態です。鳥山入口バス停の辺りを左の細い道に進むと、左側に祐全寺が現れます。無住の寺ですが見事な石造物が並んでいて、僧が生きながら墓穴に入り往生を遂げたという行人塚も残されています。先へ進むとT字路に9番道祖神が現れます。田んぼの中に赤いお堂がぽつりとあり、風情に引かれて行ってみます。寺の名は分かりませんがここにもまた石造物が並んでいます。国道406号に合流し、南東へ少し戻ると、奥まったところに小さな社と並んで8番道祖神があります。

 国道406号沿いにあるめん処菜の花でラーメンを食べて、散策を再開します。いったい幾つの石造物があるのか感心しながら国道406号を北西へ歩いていくと、路傍にぽつりぽつりと石仏があり、どれひとつとして同じものはないので、まるで宝探しのように楽しくて気が抜けません。やがて右側に小さなお堂が現れ、境内にたくさんの石造物が立ち並ぶ中、10-1、2、3の3つの道祖神があります。また、ここには箕輪城主夫人藤鶴姫の墓があります。永禄9年(1565)箕輪城落城の際、城主長野右近之進業盛の夫人藤鶴姫は家来とともに城を脱出し、敵に追われながらこの地まで来て、「これをかぎりぞ」と言い薬師堂内で自害したそうです。享年19歳の死。墓所は、大きな案内板が朽ちて横倒しになっていて、余りいい状態ではないのが残念でした。少し先には神明宮があります。満開の桜が鳥居を彩り、広い境内には杉が立ち並び、典型的な鎮守の森の風情があります。社殿の奥には庚申塔などの石造物があり、12-1から12-5まで5つの道祖神が並んでいます。国道406号を少し進み、森下バス停の近辺を左折し細い道を行くと、民家の敷地内に68番道祖神がありますが、分かりづらいので迷った時は地元の方に確認するといいでしょう。ここから先はかつての宿場だったところで、道沿いに住宅や商店が軒を並べています。中山道脇往還(草津街道)の三ノ倉宿で、往時を偲ばせる木造の大きな建物が今も多く残っていて、見応えがあります。医院が多くありますが、田島接骨院の建物は古くて格式があり見事です。この宿場は、案内板の設置や修景保存を積極的に行えば、魅力的な観光資源になるのではないでしょうか。倉渕東小学校の裏に、延徳元年(1489)木部新九郎が開基した全透院があります。赤く塗られた鐘楼門は明和9年(1764)建立で、裏山一帯は栗崎城址となっていて、全透院はその居館でした。市営バスぐるりん倉渕線に乗って、榛名川橋パーキングエリアまで戻ることにします。本数が少ないので、だいぶ時間待ちをすることになりましたが、宿場の古いまち並みや満開の桜などを眺めていると苦になりません。水沼入口バス停からバスに乗っていたのはお年寄りひとりだけ。静かなバス旅もたまにはいいものです。落合バス停で降り、車まで戻りました。
路傍の石仏群

路傍の石仏群

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース