群馬県信用保証協会

五料宿・柴宿周辺の道

折々の散歩道

利根川を挟んだふたつの宿場町を歩く

玉村町・伊勢崎市

 本連載開始からの50回分を、群馬デスティネーションキャンペーンの連携企画として、昨年(平成23年)5月、単行本「群馬・折々の散歩道」として発行し、関係機関や一般の方に幅広く配布しました。これに目をとめられた吉岡町の旧野田宿本陣の森田均氏から、ゴールデンウィークに開催する園遊会に招待され、参加してきました。森田氏は、野田宿を守る会会長を務め、屋号看板の設置や野田宿ブランドの日本酒製造等を通してまち起こしに積極的に取り組んでいます。本連載で野田宿を散策した平成21年1月には、立派な門の外からほんの少しだけ内部を眺めただけで(個人宅につき原則立入禁止)、爾来ずっと心に残っていただけに、とても嬉しいお誘いに胸躍らせて足を運びました。お茶のおもてなしを受けてから、庭を散策します。門の外からだと分からなかったのですが、奥には広くて手入れの行き届いた日本庭園が作られています。起伏に富んだ庭の中心には大きな池があり、樹々の間を縫うように道がつけられています。あいにくの雨模様だったのですが、雨に煙る様子もなかなか風情があります。歩くこと、視点が変わることで庭の表情は刻一刻と変わるのですが、その造形の繊細さと精緻さに圧倒され、作庭というのは我が国の立派な総合芸術なのだということを実感しました。このような庭園や木造建築を何百年にもわたり現在まで維持し続けてきたことには、大きな意義があります。伝統は、一度失われると再度作り直すことは非常に困難です。今回の体験は、歴史や文化、伝統の重みといったものを改めて考え直す、いい機会となりました。

 さて、今回は、玉村町と伊勢崎市を訪れ、日光例弊使街道の五料宿、柴宿のふたつの宿を散策しましょう。玉村町の五料公民館に車を停め、歩き始めます。五料公民館は飯玉神社の境内にあり、応仁2年(1468)に創建された神社は、白木が瑞々しく凛とした姿をしており、近くに立つ碑から、平成19年に新築されたことが分かります。境内社水神宮の祭儀として毎年7月最終日曜に行われる水神祭りは、町指定重要無形文化財で、この地がかつて利根川と烏川の合流地として船や漁などの産業が盛んだったことから、水難除け、疫病除けとして行われてきました。北に向かって歩を進め、左に折れると、大きな石垣が現れます。船問屋高橋清兵衛の屋敷跡で、一部が住宅地や畑として使われていますが、大半は空き地となっていて、石垣に沿って歩いてみたところ、一周500メートルほどの周囲すべてが石垣で覆われています。石の隙間をセメントで埋めているところも多いのですが、セメントを使わずきれいに石が組み合わされたところもあり、その技術に目を見張らされます。未舗装の趣きのある道も残っていて、観光資源としての可能性を感じました。

船問屋跡の石垣

船問屋跡の石垣

  飯玉神社から北へ向かう道へ再び戻り、しばらく進むとT字路に突き当たります。この近辺が旧五料宿で、約6キロ西方には日光例弊使街道の最初の宿場である玉村宿(平成20年3月号掲載)があります。日光例弊使街道は、年に一度、徳川家康を祀る日光東照宮の春の大祭に、京都の朝廷からの贈り物を奉納する使者が通る道で、往路は中山道、復路は東海道を経由し、正保4年(1647)から慶応3年(1867)まで続けられました。少し奥まった民家の庭先に関所跡の案内板が立っています。五料の関所は、慶長6年(1601)に設置され、元名2年(1616)に幕府公認となった、近世では2番目に古い関所で、現在は、門柱の礎石と古井戸だけが残っています。すぐ目前には利根川の河川敷と五料橋があります。200メートル足らずの短い宿場を西に向かって歩くと、左右には由緒を感じさせる木造の商家建築が点在しています。国道354号にぶつかると道の向かいに常楽寺があります。門前に庚申塔などの石造物がずらりと並んでいる様子はなかなか圧巻で、近隣にあった石造物を一手に寄せたものでしょうが、かつての民間信仰の厚さを感じさせてくれます。

 利根川に架かる五料橋は、昭和46年築の鉄筋コンクリート造で、遡れば、昭和28年に木橋が架かるまでは船で往来していました。五月晴れの心地よい川風を身に受けながら長い橋を渡り切ると、伊勢崎市柴町に入ります。柴町の交差点を渡った辺りから旧柴宿となります。柴宿は、五料宿に次ぐ日光例弊使街道3番目の宿場で、ほとんど古い建物は残っていませんが、柴宿本陣関根家に、往時の木造の門だけが残されています。かつては道の真ん中に流れていた水路は、近年、歩道と車道の間に、石積みの水路として復活し、並木とともに情緒ある風景を作り出しています。本陣関根家の少し先まで歩き、Uターンして来た道を戻り、北側にある柴町八幡神社に向かいます。この神社は、慶長8年(1613)に建立され、本殿の建築年代は不明ながら延宝7年(1679)とする説もあります。参道には常楽寺同様、庚申塔などの石造物が立ち並んでいます。神社の境内には、「柴町農事組合共同作業所」と古い看板が掛かる木造の建物があります。

泉龍寺参道

泉龍寺参道

 神社を通り抜けた先には、泉龍寺の参道が現れます。一直線に延びる参道は200メートルほどと長く、左右には一部ですが石垣が築かれ、大きな松が植えられています。泉龍寺は、大同元年(806)に創建され、応永元年(1394)に那波城主大江宗弘が、白崖宝生禅師を招き中興開山としました。平成10年竣工の本堂は大きく端正で、美しい姿をしています。境内はとても広く、厄除観音堂や稲含神社があり、鬱蒼と茂る森の中に続く細い道を行くと、稲含神社の奥の院がぽつんとあります。また、応永年間の作と推定される延命地蔵菩薩をはじめ、薬師如来像や如意輪観音など、古くて味のある石造物があり、見応えのある寺院です。往路では北側(上流側)の歩道を使った五料橋ですが、復路では南側(下流側)の歩道を進むことにします。大きく横たわる利根川の流れと草原のような広い河川敷を眺め、街道の渡船と水運業が盛んな往時の宿場町の姿を想像しながら、車まで戻りました。

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース