群馬県信用保証協会

宮崎宿周辺の道

折々の散歩道

懐かしい農村風景の歴史を辿る

富岡市

 最近、部屋を掃除している際に、大学生の頃に足を運んだ映画や演劇、ライブ、観光地などのチラシやチケットなどが大量に出てきて、懐かしさのあまりしばらくあれこれと眺めていました。自分が東京で学生生活を送ったのは1980年代半ばで、約30年前のこと。当時はセゾン文化華やかりし頃で、バンドブームやクラブカルチャーはまだ訪れておらず、小劇場ブームは少しずつ盛り上がりつつある、といったところで、そのような東京の文化的状況が、自分の持っているチラシやチケット類からも手に取るように伝わってきます。ぴあやシティロード、宝島、ビックリハウスといった情報誌やサブカル誌(当時はサブカルチャーという言葉はありませんでしたが)、あるいは口コミを頼りにまちを歩くのはとても楽しかったのですが、今はそれらに代わってパソコンやスマホが情報収集のツールになっています。利便性は格段に増したかもしれませんが、ネットでの情報は一過性で消えてしまう可能性もあり、あとで振り返ることが難しいのではないか……、一緒に出てきた当時のシティロードや宝島などを眺めながら、そんなことを考えました。写真やイラスト、活字、レイアウト等によって醸し出される紙媒体から立ちのぼる当時の文化的熱気を感じ、紙の持つ魅力を改めて感じました。歩くこともまた、紙媒体に似ているのではないでしょうか。移動手段としては利便性に勝る自動車とは違い、まちのにおいや手ざわりがリアルに感じ取れ、記憶にいつまでも残り続けるのが、まち歩きの魅力なのだと思います。

  さて、今回は富岡市を訪れ、宮崎宿を中心に、宮崎、神農原、神成地区を散策しましょう。宮崎公園の駐車場に車を停め、歩き始めます。宮崎公園は、明治20年に当地の鈴木城作氏が築いた庭園が基になっていて、昭和30年に富岡市に移管されました。自然の急傾斜を利用した3,229坪の園内には、ツツジ、桜、モミジ等が植えられているほか、国指定重要文化財の旧茂木家住宅が神農原地区から移築されています。この建物は大永7年(1527)に建てられ、現存する我が国の民家の中で最古のものです。屋根は板葺きで、その上に等間隔で石が置かれている珍しいもので、建物はシンプルな構造ながら雅味が感じられます。旧茂木家住宅の前は断崖になっていて、見晴台からは眼下に広がる神農原地区ののどかな住宅街を見ることができます。東側には配水施設があり、敷地内に建つ配水塔の造形の妙に魅了され、近づいてさまざまな角度から鑑賞しました。この配水塔、あまり取り上げられることがないようですが、なかなか個性的な名建築だと思います。宮崎公園から北に向かうと、十字路に懐かしい火の見櫓が立っていて、ここが宮崎宿の西端になります。宮崎宿は、中仙道の脇街道である下仁田街道の宿場で、かつては上井戸、中井戸、下井戸の三つの井戸を基準にまち並みが整備されていましたが、いずれの井戸も現存せず、ところどころに残る木造2階建ての建物が、往時の面影をわずかに伝えます。

宮崎公園配水塔

 道なりに左折して北に向かうとT字路となり、正面に宮崎神社が現れます。かつては広鉾神社といい、明治40年に諏訪神社、白山神社が合祀され、田島の和合神社の社殿を移築し宮崎神社としました。境内には大木が鬱蒼と茂り、中でも樹齢約800年と推定される大杉は、樹高25メートル、目通りの幹囲7.6メートルと立派なもので、市指定天然記念物となっています。神社の横にはふたつの道祖神があるのですが、部分的に赤く塗られています。先ほど見た宮崎公園には全体を真っ赤に塗られた道祖神があったのですが、この地域ならではの風習のようです。T字路を西に向かい、右側にある宮崎浄水場を通り越すと、路傍に古い井戸が現れるので、左折して農地の中の道を進むと、やがて先ほど見た宮崎宿西端の火の見櫓の脇に出ます。近くの西中学校は、戦国時代の天文19年(1550)頃に築城され、慶長6年(1601)に廃城となった宮崎城の跡地に作られているのですが、残念ながら遺構はほとんど残されていません。乗願寺の横から急坂を下り、無人駅である上信電鉄の神農原駅のすぐ目の前にある、麺屋おとみでお昼を食べました。あご(トビウオ)と鳥でダシをとったラーメンはなかなかおいしくて、小学生の絵が店内にたくさん貼られているのにも心和みます。なお、神農原という地名は「かのはら」と読み、明治7年に神原から改称されました。国道254号に出て少し西に進むと、富士神社が現れます。ふれあい館と名づけられた神楽殿には、大きなシャッターに子供たちの手による地元行事の絵が描かれていて、地元の方々の地域愛が伝わってきます。神社の手前を北から南へ流れる水路があるので辿ってみると、すぐに行き止まりになるのですが、途中でこの日ふたつめの井戸を見つけることができました。

 北西にある宇芸神社を目指すにあたり、交通量の多い国道254号を避け、北側にある静かな住宅街の道を進むことにしました。しばらくすると国道254号に合流しますが、すぐに灯篭と大きな鳥居が現れるので、鳥居をくぐり北に向かいます。農地の中を走る随分長い参道を進むと、この日ふたつめの火の見櫓を発見しました。その先に宇芸神社が現れます。創立は非常に古く天武天皇の時代(672〜686)とされています。延長5年(927)に作られた延喜式の神名帳に記載された神社(延喜式内社)は群馬県内に12社ありますが、宇芸神社はそのうちのひとつとなっています。境内にはまず市指定天然記念物のムクロジがそびえ、石段を登ると蔵があり、さらに登ると神楽殿が、再び長い石段を登りきったところに社殿があります。急峻な山の中に包まれるようにして建つさまは、森厳とした神々しさを漂わせており、由緒と格式を感じさせる神社です。神社の前を東西に走る道はかつての下仁田街道で、この道を東に進みます。木造の古い農家建築が点在し、防風林や庚申塔も目にすることができる、味わい深い道をのんびり歩きながら、宮崎公園の駐車場に戻りました。

宇芸神社

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース