群馬県信用保証協会

尻高地区の道

折々の散歩道

農山村の静かな懐かしい道

高山村

 平成25年9月13日から10月14日まで開催された「中之条ビエンナーレ」に足を運んできました。平成19年にスタートし、今回で4回目の開催となる同ビエンナーレは、毎回多数の美術作家が参加し、県内外から多くのアートファンが訪れるイベントとして、すっかり定着し、今回は累計33万人の来場がありました。会場は旧六合村地域も含め町内各地に点在し、とても1日では回り切れないボリュームです。更に会期中にはダンスや演劇、音楽、パフォーマンスなどの公演も開催されるので、何度も足を運ぶ人や泊りがけで訪れる人も多く、町は1ヶ月間アート一色に染まります。アート作品の鑑賞ばかりでなく、車で移動する間の農山村風景や、おいしい食事なども楽しみのひとつで、それらが相乗効果を発揮して、ビエンナーレを一層魅力的なものにしています。農山村に若いカップルやグループがたくさん集っている様子を、6年前に初めて見たときにはびっくりしましたが、今ではすっかり見慣れた光景になりました。個人的に今回強く印象に残ったのは、町指定重要文化財であるかつての木材問屋神保家、通称「やませ」。岩本地区にある約160年前に建てられた県内最大級の民家と、そこに展示されたアート作品が見応えあるのはもちろんのこと、駐車スペースから会場まで、10分弱ほど農山村の中を歩くのは、澄んだ空気ときれいな風景に触れることができ、リフレッシュできました。また、会期中オープンしていた「やませカフェ」では、古民家の内部や庭先でおいしいランチとデザートを食べることができました。アート作品の鑑賞には五感と知性、感性を総動員することが必要ですが、散策や食事にも同じことが言えるのだな、ということを改めて感じました。

 さて、今回は、中之条町の東隣にある高山村の尻高地区を訪れることにしましょう。国道145号(日本ロマンチック街道)を高山村役場方面から西へと車を走らせ、中之条町に入る手前にある北向観世音の大きな駐車場に車を停め、まず参拝します。ここは永保元年(1081)行者(修験者)熊野坊により開創され、正式名称を福蔵寺といいます。江戸時代化政年間(1804〜1829)に信州別所の北向観世音を勧請し、以来、多くの参拝者が訪れるようになり、大きな駐車場からも隆盛の様子が伝わります。参拝後、散策を開始します。北向観世音から北に向かう細い道を進むとすぐに熊野神社が現れます。創建は北向観世音と同じ時期の永保元年(1081)に、紀伊国熊野三社を勧請したといわれます。かつては樹齢数百年の木々に囲まれていましたが、明治41年に吾妻神社に合祀された際に伐採されたそうです。境内の敷地はほとんどないに等しいのですが、隣にある熊野公民館とともに、高台の路傍に佇んでいる様子は、どこか鄙びた味わいがあります。東に向かって少し進むと、昔懐かしい火の見櫓が現れます。農山村地区の散策の楽しみのひとつに、火の見櫓を見つけることがありますが、幸先のいいスタートに、心が弾みます。農地の中に人家が点在する静かな道を進みます。刈り取られた藁が束ねられ稲木干しをされていて、早朝まで降っていた雨が刈田に水溜りを作り、晩秋の日差しを浴びてきらきらと輝いています。

農村の秋

 泉龍寺は、かつて別の場所にあり泉照寺といいましたが、度重なる火災のため、文禄元年(1592)現在地に移転するとともに寺名を改めました。参道にはさまざまな石仏が木漏れ日を浴び佇んでいて、貞亨5年(1688)に竣工した本堂は風格があります。本堂の裏手には、県指定天然記念物である樹齢推定800年の高野槙があり、目通り(幹周)6.3メートル、樹高29.5メートルの威容には圧倒されます。再び、静かな農山村の道を進みます。木造の大きな農家建築や土蔵が多く残っており、ひとつひとつの建物に見所があります。尻高神社と書かれた石の案内板があったのですが、参道は雑草が生い茂る山道で、人が訪れた形跡が余り感じられなかったため、怖気づいて参拝しませんでした。国道145号にぶつかると、平成10年に竣工した体育館のような姿の西地区屋内ゲートボール場があります。ここは昭和58年に廃校となった西小学校の跡地で、広い庭に座りコンビニで買っておいたおにぎりを食べました。屋内ゲートボール場の内部には、尻高人形芝居の舞台が併設されています。尻高人形芝居は、一人遣いの人形により義太夫節に合わせて演じられます。名古屋の人形芝居の流れを汲む豊松伝三が明治中期に村人に伝えたもので、以来曲折を経ながら現在まで活動を続け、国選択無形民俗文化財、県指定重要文化財となっています。

 国道145号を東に進み、名久田川の戸室砂防ダムのところで脇道に逸れ、ダムの人工滝を眺めつつU字を描くように西に向かいます。農山村の静かな道をのんびり歩いていくと、三つ辻に双体道祖神を見つけ、その先には木造の名もない古い社があり、更に火之口公民館の背後にはこの日二つ目となる火の見櫓が現れ、しばらく行くと「十四 火の口南(下)道祖神」と案内板の立つ双体道祖神を見つけ……といった具合に、興味深い発見が立て続けにあり、ルーラルウォークの醍醐味が実感できます。名久田川に架かる橋を渡り国道145号にぶつかると、少し東に古い商家建築である大丸屋商店があります。145号の脇道を西に進むと、名久田教会が現れます。明治14年、ローマカトリック信者の林寿太郎が尻高小学校教員として赴任し、普及に努めた結果信者が増え、明治20年にこの教会が建てられました。県内最古の教会建築で、明治期とは思えないほどモダンなスタイルは感嘆に値します。国道145号から泉龍寺へと続く細い道を行くと、道端に「尻高城跡(並木城)」と書かれた案内板があるので右に折れ、更にT字路を右に向かうと並木城跡が現れます。遺構はほとんど残っていないので、城跡に立つ解説板でそれと分かります。この城は、北方にある尻高城の平時の居館として使われた里城で、尻高氏により応永10年(1403)に築かれました。泉龍寺を経てぐるりと回って戻ってくるのどかな道を最後に歩き、北向観世音の駐車場へ戻りました。 

名久多教会

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース