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森下宿周辺の道

折々の散歩道

郷愁漂う宿場町と農山村風景

昭和村

 このような連載を行っていると、自ずと神社仏閣へ足を運ぶことが多くなってきます。さほど信心深いわけではないのですが、日常社会から切り離された清浄の地に足を踏み入れることは、やはりいいものです。変化の激しい社会において、長きにわたり変わらないまま、数多の人々の信仰を受け止めてきたことに思いを馳せると、身が引き締まるとともに、大きなものに包まれるかのような癒しを感じます。実家が神社に隣接していたため、子供の頃は神社の境内がよい遊び場でした。鬱蒼とした大樹が茂る森閑とした雰囲気には、子供ながら畏怖の念を感じましたが、その後の区画整理により樹々は伐採され、今では随分明るくなってしまいました。いずれにしても、幼い頃そのような空間を身近にして育ったことは、自分のものの考え方に影響を与えているような気がします。一般的に私たちが神社に足を運ぶ機会は、七五三や各種祈願などがありますが、代表的なものとしては初詣があります。我が家では今年も、元旦の午前0時を迎えるとともに、自宅の近くの神社に初詣に行きましたが、近所の方々と顔を合わせて挨拶をし、町内の担当者に日本酒と甘酒を振る舞われ、福笹と蜜柑をいただいて帰ってきました。このような伝統行事を介して、現代においても地域住民がゆるやかにつながっているということは、とても意義のあることのように思います。

 さて、今回は、鄙びた農山村風景を味わいに、昭和村の森下宿周辺を散策することにしましょう。昭和村社会体育館の南側、地域活性化センターのある広い駐車場に車を停め、歩き始めます。ここはかつて昭和村立南小学校だったところで、平成6年4月に川額に新校舎を落成・移転しています。かつての校舎は取り壊されていますが、校名が刻まれた門柱等が残されていて、かすかに往時を偲ぶことができます。県道255号(下久屋渋川線)に出て、北に向かって進みます。この近辺は江戸時代、沼田街道の森下宿と呼ばれていました。沼田街道は脇往還(主要5街道以外の街道)で、沼田藩主の参勤交代や商品の搬出路として重要な役割を担っていました。森下宿は沼田城下から1里ほど南に位置し、元禄7年(1694)には市場取り立てを前橋藩に願い出て、許可を受けています。家数296、上宿、中宿、下宿の3つに分かれ、賑わいを見せていましたが、その後、利根川右岸の西通りが整備され参勤交代の経路がそちらに移ったり、度重なる火災に遭ったりしたことにより、半世紀足らずで衰退を迎えました。「森下」の信号の東には、「沼田街道森下宿」と書かれた案内板と、往時の宿場の詳細な地図も載っている説明板が設置されています。この地図を眺めると、渋川市の白井宿と同じように、道の真ん中に水路が走っていたことが分かります。旧森下宿を北へ向かって進むと、広い敷地を持つ大きな農家建築や白壁の立派な土蔵が今も多く残されていて、歴史の連なりを感じさせてくれます。旧森下宿の北端には、遍照寺があり、その隣には村社である大森神社が鎮座しています。和銅6年(713)創建とされ、毎年9月30日、10月1日の諏訪祭りで行われる「かつぎまんどう(担ぎ万灯)」は、各地区の中学生が手作りした3本のまんどうを激しくぶつけ合う神事で、隣の川額地区でも行われています。

 大森神社から県道255号を更に北に向かって歩を進めると、梯子状の簡素な火の見櫓を1基見つけました。人家が減り農地が広がる道を進むと、小さな公営住宅の並ぶ奥の空き地に、森下城址が垣間見えます。この城は、沼田城団のひとつとして築城され、別名天神城、鎌田城ともいい、天正10年(1582)に北条氏に攻められて落城しました。城主加藤丹波守が自刀したという切腹石が500メートルほど東に残されています。城址には遺構がほとんど残っておらず、標識と説明版が目印になります。城址は途方に暮れるほど雑草に覆われていて、諸行無常の念を強くします。しばらく県道255号を進んでから東へと逸れ、Uターンするように南に向かい、農地を背にして農家建築が建ち並ぶ、静かな道を歩きます。1軒1軒の建物に趣きがあり、郷愁が胸に迫ります。やがて県道65号(昭和インター線)にぶつかり、正禅寺が見えてきます。正禅寺は、説明板に描かれた往時の森下宿の地図にも掲載されていて、樹齢約三百年、樹高17メートル、幹周り4.85メートルにも及ぶケヤキの巨木は、なかなか見応えがあります。ここから森下宿を今度は南に向かって進みます。宿場は途中で終わりますが、その先も県道255号沿いに古い農家建築を見ることができます。

雲昌寺の大ケヤキ

 やがて雲昌寺が現れます。この寺は、慶長13年(1608)に開基し、寛文2年(1662)現在地に移転しました。境内には群馬県指定天然記念物の大ケヤキがあります。樹齢約七百年、樹高18メートル、目通り8.4メートルで、弘化4年(1847)の近隣集落六十余軒を焼いた大火の際には、この大ケヤキのおかげで寺は焼失を免れました。大ケヤキの南側は焼け焦げて痛々しい姿を晒していますが、今も枯れることなく樹勢を維持しています。県道255号を少し北に戻り、入沢川の先を西へ折れると、伏田発電所調整池が現れます。伏田発電所は大正15年に運用を開始した水力発電所で、JR上越線岩本駅の近くから利根川の対岸を望むと、水圧鉄管などの発電施設を見ることができます。調整池は、冬の寒空を鏡のように水面に映し、水鳥たちがゆっくりと泳ぎ回っています。調整池から北に向かうと、川額八幡宮があります。永禄元年(1558)の創建で、境内には川額集落センターが建っています。この神社では、森下地区の大森神社同様、毎年9月28日、29日の諏訪祭りで、中学生が手作りした2本のまんどうをぶつけ合う神事「かつぎまんどう(担ぎ万灯)」が行われています。風花が時おり舞う中、古い農家建築が残る静かな道を北に向かい、駐車場まで戻りました。

東京電力伏田調整池

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース