群馬県信用保証協会

応桑新田地区の道

折々の散歩道

晩秋の高原の澄んだ空気に身をゆだねる

長野原町

 保証月報10月号で、長野県茅野市を9月中旬に散策した様子を書きましたが、諏訪市に1泊し、翌日は上諏訪駅周辺と岡谷駅周辺を散策してきました。夜には諏訪湖畔にある片倉館の外観を鑑賞したのですが、ライトアップされたレンガ壁の洋館はえも言われぬ風格が漂っていました。片倉館は、片倉財閥の二代目当主が地域住民の娯楽施設として開設したもので、森山松之助の設計により昭和3年竣工した洋風建築は、国指定重要文化財となっています。片倉財閥の主体である片倉工業は、明治6年岡谷市で座繰り製糸を開始、昭和14年には富岡製糸場を合併し、平成17年に建物を富岡市に寄付するまで、維持保存に努めました。いわば世界文化遺産登録の陰の立役者であり、群馬県民としては片倉館にも親しみを感じずにはいられません。翌日は、上諏訪駅の西側を南北に走る国道20号(旧甲州街道)沿いを歩きました。駅の南側には、細い路地が広がり、飲食店が軒を連ね、懐かしい昭和テイストを味わうことができます。国道20号沿いを北側に向かうと、明治、大正、昭和、平成と各時代の建築が道路沿いに並んでおり、中でも、昭和初期の典型的な様式である「看板建築」を多く見ることができます。看板建築は、関東大震災後の東京で流行した、フラットな壁の前面(ファザード)に凝った意匠の装飾を施した店舗併用住宅のことで、10月号でも登場した茅野氏出身の建築家・建築史家藤森照信氏が命名しました。今年7月にオープンした交流拠点「すわまちくらぶ」に立ち寄ると、スタッフの方がコーヒーを入れ、まちの歴史について教えてくれました。国道20号沿いには「真澄」で知られる宮坂醸造をはじめ、舞姫酒造、麗人酒造、酒ぬのや本金酒造、伊東酒造といった5軒の造り酒屋が並んでおり、「諏訪五蔵」として連携し、酒蔵めぐりクーポンや、呑みあるきイベント等を実施しています。足を運んだ日は「くらもと古本市」を開催しており、古本屋や飲食店など40店以上の店舗が5つの蔵元に分かれて出店し、呑兵衛以外のお客さんも多く立ち寄っていました。JRで岡谷駅に移動し、童画館通りを歩いて武井武雄の作品を展示しているイルフ童画館に向かい、展示を鑑賞したあとに、すぐ近くの小高い丘にある丸山タンクを見に行きました。丸山タンクは、近隣の製糸工場への給水のために大正3年に建設された貯水槽で、現在は使われていませんが、直径12メートル、壁の厚さ61センチの総レンガ製の建造物は、重厚な迫力があります。時間がなくて旧片倉組事務所等ほかの絹産業遺産は見られませんでしたが、わが群馬の「富岡製糸場と絹産業遺産群」に対する理解を深めるためにも、茅野・諏訪・岡谷と巡った信州の旅は意義深いものでした。

 さて、今回は、長野原町の応桑地区を訪れ、晩秋の高原を散策しましょう。応桑地区多目的集会施設に車を停め、歩き始めます。国道146号に出て、南へ向かうと、応桑郵便局があるので、その先を右折して、Vの字を描くように北東へ向かいます。この通りはかつての信州街道で、狩宿という宿場が広がっていました。静かな集落を進んでいくと、左に応桑諏訪神社が現れます。鳥居の手前にはまだ新しい双体道祖神が佇んでいて、鳥居をくぐった斜面の先に、社殿があります。創建の時期は不明ですが、広い境内に大きな古木が立ち並ぶ様子からは、村の鎮守であったことが伝わってきます。社殿の目の前に立つ大きな杉と欅が途中で合体していることから、「縁結びの木」と名付けられ、ここは縁結びの神社として親しまれています。社殿の背後には、左右に小高い山がひとつずつそびえていて、晩秋で樹々の葉が落ちていたこともあり、頂まで登ることができました。鳥居の近くには、立派な社務所がありますが、これは北軽井沢に現存する最も古い別荘を移築したものです。旧館林藩主である秋元氏が大正時代に建築した別荘で、明治維新により職を失った館林藩の武士たちが士族授産事業として明治16年に御所平に入植したのですが、その開拓の様子を見守るために建てられました。華美な作りではないのですが、端正で雅味のある佇まいをしています。風がほとんどない、穏やかな日射しの降り注ぐ神社の境内で、コンビニで買ったおにぎりを頬張りました。

応桑諏訪神社社務所

 応桑諏訪神社の隣は応桑小学校で、敷地の片隅に、狩宿関所跡の碑が建っています。この関所は、戦国時代の慶安4年(1651)に真田氏によって作られ、寛文2年(1662)に徳川幕府公認の関所となりました。草津温泉や川原湯温泉への湯治客や、善光寺への参拝客で、往時は賑わいを見せました。現在は碑が建つばかりで当時の関所の様子を偲ぶものは残っていませんが、道の反対側には、旧狩宿本陣の立派な建物が現存しています。現在は誰も住んでいないようですが、秋元氏の別荘とともに観光資源として効果的な利用ができたら素晴らしいと思いました。かつての宿場を北に向かって歩を進めます。古い木造の農家建築や土蔵が点在しており、のんびりとした風情が漂うまち並みが続きます。とある家の庭先に若山牧水の歌が書かれた木板が立っています。「寒き日の浅間の山の黒けぶり垂り渦巻きて山の背に這う」――今は晩秋ですが、冬の北軽井沢の様子を髣髴とさせる、味わい深い歌です。庭に「まんぢゅう屋の跡地」と書かれた木板の立つ家もありました。宿場町として賑わった頃の繁盛店だったのでしょうか。少し脇道に逸れると、広大な農地の先に、葉を落とした山並みがうねうねと続いている風景を見ることができます。収穫後の畑は土ばかりなのですが、この近辺の畑の土は驚くほど真っ黒な色をしています。道なりに進んでいくと、やがて国道146号にぶつかるので、南へと向かいます。カラフルな馬頭観世音があり、三原郷三十四番観音霊場四番札所岩谷堂と案内板が立っています。その近くには、若山牧水の歌「真ひがしになびきさだまれる浅間山の煙の末の山は何山」が書かれた木板が立っています。澄んだ青空の下、晩秋の高原の風景を味わいながら、多目的集会施設まで戻りました。

晩秋の農地と山並み

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース