群馬県信用保証協会

上野国分寺跡周辺の道

折々の散歩道

国指定史跡の遺構に奈良時代へと思いを馳せる

高崎市

 2014年は、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産登録、富岡製糸場の国宝指定、ぐんまちゃんの大躍進など、群馬県民にとって喜ばしい出来事が重なりました。今年2015年は、NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公杉文(すぎ・ふみ)の夫楫取素彦が初代群馬県令ということで、群馬県庁昭和庁舎に2015年1月10日から約1年間「ぐんま花燃ゆ大河ドラマ館」がオープンするなど、引き続き群馬県が注目を浴びる年になりそうです。

 さて、今回は、富岡製糸場にもひけをとらない国指定史跡「上野国分寺跡」とその周辺を散策することとしましょう。上野国分寺跡の南側にある大きな駐車場に車を停め、歩き始めます。染谷川に掛かる歩行者専用の国分寺橋を渡ると、左側にガイダンス施設である上野国分寺館があるので、立ち寄ります。最初に10分程度の解説映像を見て、施設の方の説明を聞きながら、発掘品や再現地図、再現ジオラマ、発掘作業の写真などを鑑賞します。なかでも見事なのが、20分の1の大きさで復元された約3メートルの七重塔の模型です。上野国分寺は、全国の国分寺において最も早い時期に作られ、最も大規模な七重塔が建っていましたが、残念ながら、往時の建物は現存していません。しかし、跡地の保存状態が比較的良好だったため、発掘調査により瓦など多くの出土品が見つかり、次第に解明が進み、一部の建造物の復元も行われています。そもそも国分寺は、仏教の力で国を守る「鎮護国家」の思想に基づき、天平13年(741)に聖武天皇が発した、国ごとに僧寺と尼寺を建立する詔により、全国の68の国々で創建されました。上野国分寺は、「続日本紀」に碓井郡と勢多郡の豪族の造営協力に対し天平勝宝元年(749)に報償した記録が残されていることから、この頃に建立されたと推定されます。東西約220メートル、南北約235メートルの広さを誇り、周囲は築垣で囲われ、東西南北に4つの門がありました。南側には版築という往時の技法で造られた築垣の一部が復元されています。版築は、手にした棒で土を突き固めながら積み上げていく工法で、何回にも分けて突き固めた様子が、年輪のような層となって現れています。発掘調査では、金堂、中門、回廊、七重塔の遺構が確認され、記録史料等から講堂や僧房があったことも推定されています。金堂と七重塔の基壇が復元されていて、七重塔の基壇の上に立つと、ここに60メートルもの高さの塔が聳えていたのかと、空想が広がります。なお、2014年の発掘調査では、これまで金堂としていた建物の南側に新たに回廊と建物の遺構が見つかりました。新たに発見された建物の遺構が創建期の金堂と断定されたことから、史跡の全体像の見直しが行われているところです。今後も発掘調査や復元の予定があるので、楽しみに見守りたいと思います。

 一旦車に戻りコンビニで買っておいた弁当を食べてから、再び歩き始めます。国分寺跡を縦断し、北門と推定される辺りから史跡の外に出て、東に向かい、関越自動車道の下をくぐって少し進むと、農地の端に上野国分尼寺跡があります。尼寺は国分寺(僧寺)よりも規模が小さく、金堂、講堂、中門の遺構が発掘調査で確認されていますが、現在は埋め戻され、小さな碑が建っているだけです。国分寺の北門と推定される辺りまで戻り、北へ伸びる道に歩を進め、すぐ西へ曲がると、突き当たりに寛永年間(1624-1645)創建の神明宮が現れます。社殿の裏手に養蚕の神様である「蠶影大神」と刻まれた碑があり、この地で養蚕が盛んだったことを窺わせます。「蠶」は「蚕」のことで「蠶影」は「こかげ」と読みます。手前には元禄16年(1703)創建の常安寺の古い本堂があるのですが、民家のような佇まいをしています。境内には、寛政元年(1789)に高遠石工によって作られた高さ6メートルにも及ぶ宝篋印塔があります。再び国分寺跡から北へ伸びる道を進みます。この道は、宿場町ではないのですが、どこか宿場町のような風情を漂わせていて、防風林や土壁の蔵、路傍の石造物など、古いものが今もなおそこかしこに残っています。左右に伸びる路地にも味わいがあり、寄り道しながらのんびり歩きます。北に伸びる道の突き当りには慶安2年(1649)創建の薬師堂が、その隣には住職の居宅だったのか無住の民家があり、いずれも鄙びた佇まいをしています。左折をして西へ向かい、古いまち並みを進むと、やがて熊野神社が現れます。熊野神社は、平安後期に記された「上野神名帳」の従三位大奈智明神と推定され、古い歴史を有していますが、社殿は近年建て替えられて、鮮やかな朱色が印象的です。ここにも明治26年に建立された蠶影大神の碑があり、養蚕業の繁栄を読み取ることができます。道の斜め向かいには、昭和中期に建てられた、かつての稚蚕共同飼育所があります。

復元された上野国分寺築垣

 南に向かって歩を進めると、大きな円柱状の建造物が目に入ります。近づいてみると、「昭和54年度水田利用再編特別対策事業」と書かれていますが、現在は使われていないようで、どのような用途を持っていたのか判然としません。国府小学校の脇を抜けたT字路には、地場品種として知られる国分人参を扱うJAはぐくみ国府支店があります。国分人参は細長い形状をしており、最盛期には全国のシェアの8割をこの品種が占めるほど人気を博しました。しかし、短い西洋人参が普及するにつれて次第に少なくなり、販売用に生産している農家は現在1軒のみで、JAでの直売も期間が限られている希少品となっています。群馬県内での需要が高まってより多くの生産者が現れることを期待します。染谷川に接して広い境内を有する妙見寺は、寺伝によると天平2年(730)開基と伝わり、古くから多くの信仰を集めていました。本堂は昭和60年に再建されたものですが、隣に並ぶ妙見堂は天保10年(1839)再建で、市指定重要文化財となっています。境内に佇む寛政5年(1793)に建立された芭蕉句碑「春もやゝけしきとゝのふ月と梅」を味わってから、国分寺跡駐車場へ戻りました。

東国分町のまち並み

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース