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塚原宿周辺の道

折々の散歩道

歴史と自然が綾なす山里

みなかみ町

 4月中旬に富士吉田市を訪れ、富士急行の富士山駅、月江寺駅の近辺を散策してきました。新宿駅から乗り換えなしで行けるホリデー快速富士山を利用したのですが、前後左右に外国人が座っていて、海外からの観光客の乗車率の多さに驚きました。帰りは高速バスで新宿まで戻ったのですが、こちらもやはり外国人がたくさん乗っていました。富士山は以前から日本を代表する観光地ではありますが、外国人観光客の多さは、きっと世界遺産登録効果が後押ししているものと思われます。桜の開花期を迎えた中、富士山駅と月江寺駅の間を寄り道しながら散策し、街なかのどこからでも、常に富士山がとても間近に見えていることに、感動しました。筆者の居住する前橋では、うねうねと連なる山々に周りを囲まれているという感覚なのですが、富士吉田市では、屹立するとても巨大な美術作品を鑑賞しているような感覚にとらわれました。自然の造形とは思えないシンメトリーで完璧な形は、自然を超えたものの存在を感じさせ、いつしか畏敬の念を覚え、古来より富士山が信仰の対象となる理由がよく分かりました。また、月江寺駅周辺では、昭和中期で時間の流れが止まったような、懐かしい風景を至るところで見つけることができました。

 さて、今回は、みなかみ町を訪れ、大字上津の塚原宿周辺を散策しましょう。関越自動車道を月夜野インターチェンジで降りて国道17号を三国峠方面へ向かい、上津大原の信号を左折して県道253号(小日向沼田線)を少し進み、さらに県道36号(渋川下新田線)を右折してしばらく進むと、右側に上区多目的集会施設があるので、車を停め、歩き始めます。県道36号を西に向かっていくと、間もなく昔懐かしい佇まいのお堂が現れます。敷地内には、町の重要文化財に指定されている、貞治年間(1362-1368)に作られた「貞治の宝篋印塔」があります。引き続き西に進むと「塚原宿」と刻まれた大きな石碑が現れるので、左折して一直線に伸びるかつての塚原宿に歩を進めます。塚原宿は、三国街道の宿場で、中山宿(高山村)と下新田宿(みなかみ町)の間に位置し、元和5年(1619)に設置されました。40軒ほどで構成され、緩やかな登り坂の左右に、建物が並んでいます。建て替えられたものも多く、また、道路網の発達で主要幹線から外れたため、かつての宿場町としての賑わいは、感じ取ることはできません。しかし、多くは農業・養蚕業へと転換したため、木造の農家建築や土蔵が目につき、山里の歴史ある集落らしい鄙びた味わいがあります。塚原宿の先には、塚原古墳群の案内板が立っていて、その横には古墳が一基あります。この一帯には古墳時代後期である6〜7世紀の古墳が密集していましたが、多くが塚原宿を整備する際に取り壊されてしまいました。現在は46基が確認されていますが、残念ながら盗掘されたり破壊されているものが殆どです。古墳は、個人の所有地や山林の中にあるため、実際に道路から見ることができるのは、数基に留まりますが、このような静かな山里に、古墳時代には多くの権力者が住んでいたことに思いを馳せると、不思議なロマンを感じます。

塚原宿の春

 名胡桃(なぐるみ)簡易水道の先を2回ほど左折して、農地の中の道を進みます。訪れたのは4月下旬だったのですが、水が張られ出した田んぼと、桜をはじめとしたさまざまな花々が咲いている様子は、うららかな春の息吹を存分に感じさせてくれます。やがて溜め池が現れ、満々と湛えた水面に、山桜がその姿を映しています。しばらく農地の中の道が続きます。大きなりんご農家を通り過ぎると、高台の上にお宮があり、周囲を石造物が囲んでいます。りんご畑の一角に案内板があり、この近辺では戦後次第にりんご栽培が盛んとなり、収穫されるりんごは「名胡桃りんご」の名で知られている、というようなことが書いてあります。ちなみに、今回散策しているのは大字上津と呼ばれる地区なのですが、江戸初期は名胡桃村と呼ばれていて、江戸中期に上津村と下津村に分かれ、明治22年には村から大字になりました。戦国時代に築城された名胡桃城址は、大字下津にあります。

 北東に向かって更に進み、県道36号を越えると、村主(すぐろ)八幡神社があります。鎌倉時代には既に鎮座していたと伝えられ、明治42年には、近隣の27社が合祀され、名胡桃の総鎮守となりました。境内の前には桜並木があり、まるで雪のように花びらが散り続けています。境内の入口には県指定天然記念物の「村主の大欅(けやき)」が偉容を誇っています。樹高30メートル、目通り幹囲7.0メートル、樹齢は伝承で600年とされています。ごつごつと瘤だらけの幹は迫力があり、神木として崇められてきたことが頷ける神々しさです。境内はとても広く、社殿や神楽殿が杉に囲まれて佇んでいます。境内の西の片隅には、町指定史跡の若宮塚があります。案内板に由来が記してあります。室町時代中期、近隣の城主(諸説あり)から生まれた如意姫の才色兼備ぶりが都まで届き、宮中に召され後花園天皇に仕え、寵愛を得るところとなり懐妊しましたが、ほかの女官の嫉妬によりやむなく郷里に戻ることになりました。如意姫はこの地に草庵を作り、長禄4年(1459)若宮を出産しましたが、無念なことに若宮は2歳余りで亡くなってしまいました。この塚は、若宮の供養のために如意姫が築いたそうです。県道36号に出て西へと歩を進めると、やがて道路の左側に大きな火の見櫓が立っています。その裏側には、県指定天然記念物の「上津の姥桜」があります。樹高15メートル、目通り幹囲10.6メートル、樹齢は不明ですが伝承では500年とされています。この姥桜も、如意姫に関する伝説が案内板に記されています。如意姫が、帝の子を懐妊したまま郷里に戻ることになった際に、都から持ってきて植えたのがこの桜だとされています。花の盛りが過ぎ、花びらはほとんど地面に散り敷かれています。華やかさと物寂しさが入り混ざったような風情です。県道36号を更に西へと進み、上区多目的集会施設まで戻りました。

村主八幡神社の大欅

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース