群馬県信用保証協会

角淵・下茂木・上之手地区の道

折々の散歩道

古墳の里の面影を丹念に辿る

玉村町

 夏季休暇で大阪へ観光に行きました。1日目はUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)、2日目はミナミの散策という日程だったのですが、印象深かったのは、外国人観光客、特にアジアからの観光客の姿が非常に多かったことです。USJでは、ハリー・ポッターのアトラクションに乗ろうとして並んでいると、行列の前も後ろも外国人だったという経験をしました。道頓堀では、小さなたこ焼き屋に外国人の団体客が長蛇の列を作り、そのまま路上で立ち食いをしている光景にも出会いました。個人的なイメージに過ぎないのですが、韓国人はカップルや少人数の若者グループが多く、中国人は家族連れが多いように感じました。外国人観光客が多いことは、6月に訪れた札幌でも実感したことですが、札幌に行った際は、直前に宿を取ろうとしたところ、なかなか空きがなく、結局、外国人向けのゲストハウスに宿泊しました。オープンしたばかりの宿だったのですが、さまざまな国籍の外国人観光客が泊まっている様子に触れ、新たなビジネスチャンスが生まれていることを実感しました。インバウンドの波は、地域差がとても大きく、平成26年の訪日外客数が1,341万人であるのに対し、平成26年の群馬県の外国人宿泊者数は10万人程度と、残念ながら、群馬県はだいぶ遅れているのが実情です。人口減少社会の進展につれて内需が減少する中で、今後更なる成長が見込まれるインバウンド消費を取り込み、ビジネスチャンスを広げることは、地域活性化の成否に直結する重要事項です。群馬県においても、外国人目線での群馬県の観光資源のブラッシュアップや、海外への情報発信、受け入れ態勢の整備等を、官民挙げて早急に進めることが望まれます。

 さて、今回は、玉村町を訪れ、角淵・下茂木・上之手地区を散策しましょう。県道40号(藤岡大胡線)を車で南に進み、烏川に架かる岩倉橋の手前を左折し、角淵公民館に駐車をして、歩き始めます。公民館の目の前に、角淵八幡宮があります。伝承では、鎌倉初期の建久4年(1193)、源頼朝が那須野で狩りをした帰りに角淵で休んだ際、烏川の風景が鎌倉の由比ヶ浜に似ていると思い、足立盛長に命じて鶴岡八幡宮の分霊を勧請し、創建されました。江戸時代初めに、関東郡代伊奈備前守忠次が滝川用水を引いて新田開発に成功したのを機に、当時の社殿は玉村町役場の近くに移築され、玉村八幡宮として祀られました。角淵八幡宮の現在の社殿は、江戸時代後期に建てられたもので、本殿の彫刻はなかなか見応えがあります。境内はさほど広くありませんが、立派な鎮守の森を持っています。この近辺には、鎌倉初期から上野国守護人となった安達氏の館(角淵城)があったと伝えられていますが、遺構は残っていません。

角渕八幡宮

 角淵八幡宮から東に進み、本泉寺へ向かうと、新築したばかりの、格調高い木造の本殿があります。さらに東に進むと、民家の裏手に隠れるように建っているので分かりづらいのですが、王子稲荷神社があります。小さな赤い三つの鳥居が印象的で、社殿もとても小さく、碑によると、昭和16年に改築したものです。社殿は、直径約20メートル、高さ約2メートルの円墳である、玉村町第19号古墳の頂に建っています。烏川左岸のこの近辺には、茂木古墳群、角淵古墳群がありましたが、昭和の中頃にその多くは農地化されてしまいました。現在も残されている古墳のひとつ、梨ノ木古墳を目指します。水が張られ、稲がすくすくと育ちつつある広い水田の中の道を東へと進みます。海の中に浮かぶ小さな島のような、水田の中のこんもりとした古墳が、遠くからでもとてもよく目立ちます。梨ノ木古墳は、5世紀後半に築造された前方後円墳(又は帆立貝形墳)で、全長50メートル、高さ7メートル、二重の堀を巡らしていますが、現在残っているのは後円部だけです。樹木が茂り登ることはできませんが、冬季ならば登れるかもしれません。引き続き左右に水田が広がる道を東に向かって進むと、突き当たりに、殿台山古墳があります。前方後円墳だったのですが、前方部のみが残され、幅約23メートル、高さ約1メートル、見た目は、ほぼ平坦の地に一本の木と墓地があるばかりで、案内板が立っていないため、事前に調べておかないと、古墳だと気づかず通り過ぎてしまうでしょう。

 北に向かって民家の中の道を進むと、法蓮寺が現れます。巨大な新しい布袋尊像が印象的ですが、文和3年(1354)に製作された宝篋印塔があるなど(現在は玉村町歴史資料館に展示)、由緒ある寺院です。その北側には、神明宮があります。正和年間(1312-16)に創建、大正3年に現在地に移転したものですが、非常に分かりづらいところに隠れるように建っています。西に向かって水田の中の道を進みます。やがて水田の中に小さな丘陵状の軍配山古墳(御幣山古墳)が見えてきます。古墳時代前期(4世紀後半から末)に築造された県内でも初期の古墳で、直径約40メートル、高さ約6メートル、円墳としては県内最大級のものです。昭和5年に発掘された出土品は、東京国立博物館に収蔵されたほど豪奢なもので、被葬者は相応の豪族であったと推定されています。ちょうど草刈をした直後だったので、古墳に登ることができました。松や石祠、石碑などが点在しています。

軍配山古墳

 再び西に向かって歩を進めます。しばらく水田が続き、やがて住宅が現れ、県道40号を横切り、玉村南小学校の北側を通ると、間もなく観音堂が現れます。ここは、武田信玄に仕えた原大隈守胤歳の子七右衛門が、武田氏滅亡後に逃れてきて居を構えた原屋敷が、かつてありました。現在は、原一族の墓碑と、原屋敷について書かれた石碑だけが残っています。Uターンをするように東に向かって進むと、やがて農地の真ん中に、若王子神社が現れます。水田の中の細い畦道を慎重に進みます。小さな丘陵の上にあるのですが、古墳だったわけではないようです、新しい石の鳥居と石祠のほか、石造物が点在しています。県道40号を経て、角淵公民館まで戻りました。

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース