群馬県信用保証協会

広沢町6丁目の道

折々の散歩道

住宅街の中に息づく古い歴史

桐生市

 かねてから気になっていた滋賀県彦根市に足を運び、まちなかを1日かけて歩き回ってきました。彦根市というと、最近は、市のキャラクターひこにゃんの活躍が知られていますが、元和8年(1622)年建築の彦根城を有する、歴史文化遺産の蓄積のあるまちです。彦根城の近くにある夢京橋キャッスルロード、四番町スクエアは、古いまち並みを修景、再現した地域で、統一感のあるデザインが施され、手間暇をかけてまち作りに取り組んできたことが伝わってきます。このように彦根城の周辺は、歩いて楽しめる回遊型観光の仕掛けが成功し、たくさんの人で賑わっていました。また、本連載のテーマは「身近な道を歩くちいさな旅」なのですが、そのような趣旨に沿って、メインスポット以外の彦根のまちも丹念に歩いてきました。戦国をテーマにまちづくりを試みている花しょうぶ祭り、歓楽街袋町、芹川沿いのケヤキ並木の道、昭和テイストの銀座商店街など、さまざまな表情を持ったまち並みを見ることができ、充実した散策をすることができました。群馬県民にとって、滋賀県は交通アクセス的になかなか行く機会の少ない県なのですが、2年半ほど前訪れた様子を本連載(平成25年7月号)でも紹介した近江八幡市や、黒壁スクエア等古い建物を活用したまち起こしの先進的成功事例で知られる長浜市などを有していて、個人的に気になる県のひとつです。群馬県はブランド力調査で下位を低迷していますが、ほかの地域と比較した場合、大正時代以前の古い建物や古いまち並みを残そうという努力をしてこなかったことが、現在苦戦を強いられている原因のひとつであるように思います。既に壊してしまったものは再現することはできませんが、群馬には、昭和レトロのまち並みはまだたくさん残っています。同様のまち並みは全国にたくさんありますが、無策のままでいると、建て替えや駐車場化が少しずつ進展してしまいます。長期的視座に立脚したまち並みに関する文化的、観光的戦略の立案と実行が望まれるところです。

 さて、今回は、桐生市を訪れ、広沢町を散策しましょう。前橋方面から国道50号を太田方面へ向かい、広沢町交番の信号を右折して、彦部家住宅の駐車場に車を停め、歩き始めます。彦部家住宅は、戦国時代、桐生城に入城した関白の近衛前嗣氏に随伴した彦部勝信氏が、この地に留まったのに端を発し、手臼山麓に立地した典型的な中世の城として整備され、次第に武士館としての性格を帯びていきました。江戸前期築の主屋は、入母屋造り、茅葺き屋根で、手前にある寄棟造り、茅葺き屋根の長屋門(表門)は、江戸中期築です。ほかにも複数の古い建物や日本庭園があり、広大な敷地(2万平方メートル余り)と5つの建物が、国指定重要文化財となっています。格調高い屋敷の様子からは、往時の武士館の暮らしぶりがよく伝わってきます。彦部家住宅前の道を、東に向かって進むと、すぐに東方寺が現れます。慶長4年(1599)開創の曹洞宗の寺で、本堂はそれほど古いものではないようですが、明治時代初期には、現在の広沢小学校につながる学校(広教舎)が置かれるなど、地域に根づいた歴史を有しています。少し東に進むと、鋸屋根を持つ石造の重厚な建物が現れます。「MAEHARA20th」と看板が掲げられ、クラシックカーの私設博物館となっていますが、昭和7年に竣工した旧合名会社飯塚織物工場で、国登録有形文化財として、桐生の織物産業の歴史を今に伝えています。大谷石(凝灰岩)を使用した壁体は、洋風建築を一層優雅なものに引き立てています。

彦部家住宅

 南に向かって歩を進めると、賀茂神社が現れます。創立年代は不詳ですが、社伝には、崇神天皇の時代に、豊城入彦命が東国鎮護のために山科国の賀茂神を勧請した、と記され、「日本後記」には、桓武天皇延暦15年(796)に官社に列せられたと記載があるなど、由緒ある神社で、1万2千余坪に及ぶ広い境内には、賀茂山と呼ばれる標高155.8メートルの小山があり、杉や樅などの巨木をはじめ豊かな自然が広がっています。本殿の築年は不明ですが、前に佇む石燈籠は、永和4年(1378)に造立された古いものです。豊機社は、急な石段を登った上にある小さな社です。石段の手前には「賀茂山祭祀遺跡」と書かれた案内板が立っていますが、賀茂山からは、祭祀遺跡のほか、石器、縄文土器、弥生土器、土師器などが出土しています。境内をしばらく散策し、パワースポットと呼んでいいほどの森厳な雰囲気にしばらく浸ってから、東に向かって進むと、すぐに法楽寺が現れます。和銅元年(708)に行基菩薩が開山したと伝えられ、本尊の千手観音立像、そして御正体と呼ばれる鏡面の裏に刻まれた毘沙門天、吉祥天、善風師童子の三つの像は、室町時代の作で、本堂は江戸時代に建立されたもので、長らく賀茂神社の別当でした。法楽寺を出て東に進み、加茂入沢に架かる鴨橋を渡ります。「賀茂」「加茂」「鴨」と、同じ「かも」でも、3種類の漢字を使い分けているのは、きっと意図があるのでしょうが、なんだか不思議な感じがします。

賀茂神社

 柔らかな秋の日射しの下、住宅街の中の静かな道をしばらく進みます。のどかで、少し古びたまち並みは、歩く者の気持ちをのんびりさせてくれます。途中で左折をして、国道50号に出る手前で、再び左折をして、西へと向かいます。椿森のツバキ群と書かれた案内板が現れます。樹齢は不詳ですが、ヤブツバキの栽培品種3本が群生し、樹高約6メートル、冬になると鮮やかな赤い花を咲かせます。鎌倉時代と推定される五輪塔があるなど、中世には既に墓地であったとされ、武士の娘が若くして亡くなったのを嘆き悲しむ母が、一輪の椿の枝を娘の墓の前の地面に差して祈りを捧げたところ、根を張って花を咲かせるようになった……という物語が、古くから口承で伝えられてきました。冬の開花期に訪れると、咲き誇る赤い花に、悲運の物語を感じ取れるような気がします。住宅街の中の道を通り、彦部家住宅まで戻りました。

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース