群馬県信用保証協会

大島町周辺の道

折々の散歩道

川沿いの農村に刻まれた歴史

館林市

 昨年マスコミをにぎわした話題のひとつに新国立競技場問題があります。建物が巨大で建築費用も巨額であったため、美しい建築とは何か、費用対効果はどのように判断すべきか、建築家や政治家、行政の意識と一般市民の意識に乖離はないか……など、さまざまなことを考えさせられました。新たな設計案が決定し、オリンピックまでに完成する目途が立ったようですが、建築は、設計や建築する時間よりも、使用する時間のほうがずっと長いものです。新国立競技場が、多くの人に愛され、長く使われることを願わずにはいられません。ところで、小説家、批評家の松山巖さんが2004年に上梓した『建築はほほえむ 目地 継ぎ目 小さき場』は、建築を考える上でとても示唆に富んだ本です。東京藝術大学で建築を学び、若い頃に建築設計を生業としていた経験に基づく建築論は、抒情的な文章でありながら、本質を突いています。当初は厳しい自然や敵などの恐怖から身を守るために作られたはずの建築や街は、巨大化していくことで新たな恐怖を生み出している、という指摘や、スピードアップにより便利になることは、なにかを行う過程を楽しむ余裕を失うことでもある、という指摘は、私たちが社会生活を営む中で感じている息苦しさをうまく言い当てています。また、松山さんは、あなたが好きだ、気持ちが良いと感じる場所を考えてみよう、と読者に呼びかけ、きっとその場所はいろいろな要素が「ある」のではなく「ない」のではないか、と導き、こんな例を挙げています。「ものが少ない。/大勢の人がいない。/匂いがしない。/雑音がない。/そして巨大ではない。」――このような視点で、建築やまち並みを見た場合、私たちが暮らす群馬県には、とても魅力的な場所がたくさんあるものだな、ということが分かってきます。本連載も、いろいろな要素が「ない」散歩道を歩くことが多いのですが、「ない」ことの気持ちよさを、文章で伝えるのはなかなか難しいものです。しかし、こまかく描写していない、何の変哲もない場所の中にも、心地好い風景がたくさんあるということを、散歩好きの方ならば、きっと分かっていただけているのではないでしょうか。

 さて、今回は、館林市を訪れ、大島町周辺を散策することにしましょう。渡良瀬川河川敷青少年広場の駐車場に車を停め、歩き始めます。北側には渡良瀬川が西から東へと流れ、南側には土堤が川と並行して走っています。土堤の上はアスファルト舗装された道路となっており、しばらく眺めのよいこの道を東へと進みます。土堤の南側は平地が広がっていて、現在はリバーサイドおおしまという新興団地がありますが、肥沃な沖積地であったため、古くから農業が盛んでした。その一方、標高が20メートル以下と低いことから、渡良瀬川の洪水、氾濫が頻発して、住民を苦しめました。江戸時代にはこの辺りは北大島村といいましたが、低湿地帯が広がり、島のように見えたことが、村名の由来となっています。団地が途切れたところで土堤から降り、農地の中の道を東へ進みます。やがて古い住宅街に入り、しばらくすると、左側に、小さな神社が現れます。質朴な、名前さえ掲げられていない神社ですが、境内には、屋根がつけられた立派な十九夜碑があります。少し進むと、本郷集会所が現れます。こちらも名前が掲げられていないので分かりづらいのですが、鄙びた風情の小さな平屋建てで、今となっては貴重な建物です。裏手には、天満宮があります。かつては万日堂という別当寺跡で、ほんの少しだけ木立が取り巻いています。

 更に進むと、大島神社が現れます。かつての村の鎮守で、赤城神社の名称でしたが、明治末期に近隣の5つの神社が合祀され、大島神社に改称しました。鎮守の森に覆われた風格のある神社で、天保年間に建立された狛犬も見事です。神楽殿では、市指定重要無形民俗文化財の大島岡里神代神楽が奉納されます。隣には小さな公園が整備されていて、戦没者の聖霊殿があります。右折して南に進むと、すぐに県道57号(館林藤岡線)にぶつかるので、西へと向かい、大島公民館や大島郵便局を通り過ぎ、大島山王の交差点の脇にある吉祥寺に立ち寄ります。明治6年に近隣の村が連合して敬身学舎を設置し、吉祥寺を仮校舎として使用したのが、現在の小学校へとつながっているそうです。更に西に進むと、右側に神明宮が現れます。広々とした境内に、鳥居と社殿がぽつんとある様子が印象的です。大島山王の交差点まで戻り、県道362号(山王赤生田線)をしばらく南に進み、館林市第17水源を通り過ぎた辺りで田谷町に入るので、左折して東へ向かいます。少し進むと、墓地の一角に菩薩堂があります。田谷町は、館林騒動の名で知られる、享保3年(1718)年貢減免の直訴により処刑された三義人の一人、名主小池藤左衛門の墓があるそうですが、ここの墓地がそうなのかは特定できませんでした。その先には、かつての田谷村の鎮守であった稲荷神社が、往時の風情を残して佇んでいます。

明善寺薬師堂

 県道362号を北に戻り、左折して東に進むと、立派な竹林の隣に十二社権現神社が現れます。ここにはかつて北大島城がありましたが、現在遺構は残っていません。静かな道を進むと、道端に小さな御嶽神社があり、その近くにある妙善寺は、本堂は新しいのですが、薬師堂は古くて味わいのある姿をしています。千塚町に入ると、右側には常榮寺が、左側にはさりげない佇まいの熊野神社があり、その裏手にある民家の庭には大きな富士塚があるのを、塀越しに見ることができます。しばらく農地の中の道を西に向かい、神明宮を眺め、再び大島町に入り、県道57号を越えて少し進むと、鮮やかな朱色で塗られた大日稲神社があります。北に進んで春昌寺を眺め、リバーサイドおおしまの端にある沈殿池を経て、渡良瀬川の土堤を登ると、昭和51年に竣工した大きな邑楽頭首工が目の前に現れます。頭首工とは、川を堰き止めて取水する灌漑施設です。氾濫防止や水利のために渡良瀬川とともに刻んだ歴史に思いを馳せ、駐車場に戻りました。

邑楽頭首工

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース