群馬県信用保証協会

中後閑・下後閑地区の道

折々の散歩道

梅の香に包まれながら歴史を読み取る

安中市

 先月(平成28年2月)、本連載をまとめた単行本「群馬・折々の散歩道 二」を発刊しました。平成18年に連載を開始し、平成23年に、連載50回分をまとめた単行本を発行しており、今回の第2弾は、その後の連載の中から50回分をまとめています。ちなみに今号で連載114回めを迎えていますが、群馬県内で歩いてみたい場所は、まだまだたくさんあります。なんの変哲もない場所であっても、そこには、過去から現在に連なる長い歴史の蓄積と、さまざまな人々の活動の証があります。そのような視点で見ると、ひとつの風景の中にも、驚くほど多くの情報が詰め込まれています。まち歩きの醍醐味はそこにあります。それらを丹念に味わうには、自動車でも、自転車でもなく、歩く速度が最適なのです。本連載が、風景の見方を変える一助になれるといいな、と思っています。

 さて、今回は、安中市を訪れ、中後閑・下後閑地区を散策することにしましょう。後閑城址公園を目指し、車を走らせます。後閑城址は、後閑川と秋間川に挟まれた丘陵の南端部に位置しており、西駐車場と東駐車場がありますが、本丸に近い西駐車場に車を停め、歩き始めます。西三郭に当たるところに駐車場は作られており、駐車場からは、車輪が層になった上に頂上の本丸を見ることができ、きれいに整備された様子に感嘆させられます。後閑城は、嘉吉元年(1441)に信濃国御嶽城主、依田内匠頭忠政が築城を開始し、文安4年(1447)に完成したと伝えられています。その後、戦国時代の激しい攻防の中で、後閑氏や武田氏、北条氏等に城主が代わり、天正18年(1590)の小田原合戦で北条氏が豊臣氏に破れ、1世紀半ほどで廃城となりました。往時の建造物は残っていませんが、堀切、土塁、櫓台、虎口跡等が良好な状態で残されており、中世の山城の、自然の地形をうまく利用した築城の知恵と工夫が、見学しながら伝わってきます。本丸に登ると、大きな東屋が建っていて、妙義山、浅間山等の山並みや眼下の農山村を眺望することができます。また、たくさんの庚申塔が立っています。庚申信仰は、中国から奈良時代末期に伝わり、江戸時代に盛んになり、百基造って信仰のかたちとする百庚申も行われました。後閑城本丸跡の百庚申は、寛政9年(1797)から寛政12年(1800)にかけて、後閑城家臣の末裔が発起人となり造られたもので、128基あり、なかなか壮観です。東郭へと下ると、二の丸に櫓台があり、物見櫓が復元されています。その南東の見晴らしのよい高台には、本丸に建っている東屋よりも更に立派で大きな東屋が建っていて、城址公園だけのことがあり、全体的によく整備されています。東側の急斜面を下ると、東駐車場が現れます。

後閑城址

 ここからは、静かなまち並みを進みます。九十九川左岸の平坦地には田んぼが広がっています。その中に、ぽっかりと古墳があるので見に行きます。6世紀前半に造られた、直径約20メートル、高さ約2.2メートルの円墳で、後閑3号墳と名付けられています。特徴的なのは、平面T字形の横穴式石室で、全国的にも例がないものです。発掘調査時には既に盗掘されていましたが、それでも鈴鏡、三輪玉、平玉、管玉、切子玉、鉄族、刀子、紡錘車、馬具、円筒埴輪、形象埴輪等が出土しました。同じ敷地内には、平成元年から平成10年にかけて行われた九十九川沿岸土地改良事業の竣工碑が建っています。再び、県道216号(長久保郷原線)に並行して走る静かな道を東に進みます。防風林を持つ家や、路傍の石造物など、古くからの農村地域であることを伝えてくれる風景に、隋所で出会います。山王のバス停の先を左折して北に向かうと、後閑地区コミュニティー消防センター(第8分団第1部)の敷地内に、火の見櫓を見つけました。火の見櫓は、その地域が過去の遺産を大事にしているかどうかのバロメーターになると思っています。大切に保存していることに嬉しくなりました。

 後閑地区コミュニティー消防センターの先を右折して、東に進むと、やがて県道48号(下仁田安中倉渕線)にぶつかります。路傍には小さな弁才天を祀ったお宮が建っています。下後閑公会堂の庭には、懐かしい風情のブランコや遊具があります。県道48号を北に向かい、少しすると右に折れる道があるので東に進み、宮川に架かる宮貝戸橋を渡ったら左折をし、川沿いに北へと歩を進めます。道すがら、庚申塔や、土に埋もれかけた双体道祖神などを見かけることができます。やがて北野寺の参道が現れます。永和元年(1375)慶秀の開山と伝えられ、ある時、庭の白梅が急に紅梅に変化し、北野天神で長く村民を守護してきたと告げる童子が現れたという伝説が残されています。文禄3年(1594)に箕輪城主井伊直正の次男弁之助(後の彦根藩2代目藩主直孝)が北野寺で修行し、大阪の役の際には祈願により偉功を上げました。その御礼のため、寛永3年(1626)に、伝説も踏まえて北野天満宮を造営するとともに、明治初年まで毎年井伊家は使者を派遣しました。北野寺所蔵文書は、井伊直孝に関する文書も含み、安中市指定重要文化財となっています。現在は、明治時代の村内諸社合祀により、北野天満宮は威徳神社に改称しています。境内は杉に覆われ、境内に至る参道沿いにはちょうど見頃を迎えた梅が植えられていて、郷愁を誘う風景です。

威徳神社参道

 威徳神社から西へ進み、県道48号を左折してしばらく南に向かい、やがて右折して静かな集落の中の道を進みます。古い土蔵や小さな社などが点在し、秋間梅林が近いせいもあり、咲き誇る梅もちらほらと目にすることができます。後閑小学校の先を右折して、後閑川沿いの道を進むと、やがて右側に、後閑城址公園西駐車場へ至る道が現れるので、曲がります。山城だけあって、麓から辿り着くためにはしばらく急坂を登らなければならないのですが、周囲の古い建物や、漂う梅の香りに元気をもらいながら、駐車場まで戻りました。

文/企画課 新井基之

●今回ご紹介したコース