群馬県信用保証協会

寄木戸地区の道

折々の散歩道

夏のまち並みに歴史と自然を見つける

大泉町

 先ごろ日本でもリリースされて、大きな反響を呼んでいる、ポケモンGO。既に、その功罪については、多くの議論を巻き起こしています。「功」としては、歩き回ることで運動量が増えたとか、引きこもりの子が外に出るようになった、といったことが伝えられています。一方、「罪」としては、ゲームに熱中する余り、ルール違反やマナー違反を犯し、思わぬ事故や事件を招いていることです。今後、多くの議論を重ねていく中で、きっとよりよい形で社会に定着していくことでしょう。とはいえ、まち歩きや散歩好きの視点から見ると、ポケモンGOにはなかなか肯定的になれません。まち歩きや散歩の醍醐味は、五感を開放して風景を観察して、風景に溶け込むことにあります。まち並みの様子に人々の生活の息遣いを感じとり、動植物や空気の様子に季節の移ろいを感じとることで、私たちは、豊かなこころを養うことができます。アメリカの作家レイチェル・カーソンの遺作となった単行本『センス・オブ・ワンダー』は、自然を、ひいては社会を見つめるうえで、一番大切なことは何かということを教えてくれます。「センス・オブ・ワンダー」の意味を、カーソンは「神秘さや不思議さに目を見はる感性」と説明し、「知る」ことよりも「感じる」ことのほうが生きるうえで重要だと記しています。そのことを踏まえて、散歩をしながらまち並みを眺めると、風景は俄然活き活きとし、たくさんの楽しみが見いだせるようになります。ヴァーチャルなポケモンを探すことよりも、目の前の風景にセンス・オブ・ワンダーを探すほうが、いかに楽しいか――それを実践し、子どもたちに伝えていくことは、私たち大人の使命です。ポケモンGOをきっかけに、センス・オブ・ワンダーに興味を持ってもらえるような流れができるといいな、と思います。

 さて、今回は、大泉町を訪れ、寄木戸地区を散策しましょう。「寄木戸」という地名には、以前から好感を持っていました。「木戸」には、出入口とか、門という意味がありますが、「木戸」に「寄」っていく――を意味する地名には、開放的でおもてなしのこころを感じられるイメージがあります。寄木戸南公民館に車を停めて、歩き始めます。公民館は、長良神社の奥にあり、広い駐車スペースがあります。まず、長良神社に参拝します。長良神社の祭神である藤原長良は、延暦21年(784)に太政大臣の長男として生まれ、賊徒の横行を平定するため、上野(こうづけ:現在の群馬)国司に赴任しました。在任中、治安や治水に多大な功績を上げたため、その遺徳を称え、東毛地区には多くの長良神社(及び長柄神社)が作られました。明治11年の「群馬県神社明細帳原簿」には、長良神社50社、長柄神社15社が掲載されています。寄木戸の長良神社は、創建時期は不明ですが、古くから寄木戸地区の鎮守として崇敬され、樹木に覆われた境内には、多くの境内社が祀られています。神社を出て、南に向かって歩を進めると、間もなく寄木戸庚申堂が現れます。庚申信仰は、平安時代に広がり、江戸時代に隆盛をみせた、青面金剛尊を祀る信仰で、本連載の散策においても、毎回のように路傍に立つ庚申塔を目にするほど、人口に膾炙していました。現在では、庚申信仰は、ほとんど失われてしまいましたが、この地では、享保3年(1718)造立の青面金剛尊を祀る、明治31年に建てられた庚申堂で、現在も庚申講が開かれています。

長良神社

 梅雨明け直後の真夏の日差しに、早くもくたくたになりながら、南に進むと、やがてカフェ・ド・アルフレッドというお店を見つけたので、冷製パスタのランチセットを食べて、一息つきました。食事後には、再び南に進むと、県道314号(古戸館林線)にぶつかるので、東に曲がり、結婚式場ヴィラ・デ・マリアージュの手前を左折し、用水路に沿って北東に向かいます。周囲には、緑色の海のように水田が広がっています。この用水路は七ヶ村用水といい、覗き込むと、アメンボが水面を走り、とても小さな魚たちが固まって泳いでいるのが、眼に留まります。しばらく用水に沿って進むと、西中学校の東南の角にぶつかるので、左折して西へ進みます。住宅街の中の静かな道が続き、やがて右側に宝寿院別院懐古庵という建物が現れ、その敷地内に、寄木戸不動尊があります。案内板によると、この近くには元禄年間頃から、大正院という草庵があり、大正元年には、不動堂が建てられて、不動尊が祀られました。平成25年には、道路拡幅により現在地に移転、改築されました。その西方を眺めると、農地の真ん中に、こんもりとした小さな林があり、近づくと、源中稲荷神社であることが分かります。農地の中の細い道が参道で、三つ連なる赤い鳥居をくぐり、石段を登ると、丘陵の上に社殿があります。丘陵は円墳であったとも言われていて、近くから正和2年(1313)の板碑が二つ出土していることから、神社の創建はその頃ではないかと推察されています。境内の木立の中にしばらく座り込んで、木陰に吹き渡る風を身に受けながら、大量の汗で失われた水分を、スポーツドリンクで補い、暑さでばてたからだをしばらく休めました。

源中稲荷神社

 源中稲荷神社から北西へ向かい、太田市と大泉町の境界線に沿うように、ゆるやかにカーブして、住宅街の中を北へ進みます。やがて、八坂神社が現れます。由来等は不明ですが、樹木がほとんど植えられていない境内は、あっけらかんとしていて、近年区画整理等が行われたのではないかと思われます。神社から東のほうへ向かい、しばらく進むと右折して南に進みます。やがて宝寿院が現れます。宝寿院は、南北朝時代の南朝の忠臣楠木正成の嫡子楠木正行の妻加富貴御前の開基と伝えられ、天正年間(1573-1592)に開山しました。江戸時代後期には寺子屋が開かれ、明治から大正時代にかけては師導館が置かれ、教育の面で大きな役割を果たしました。更に南に歩を進め、暑さにくたくたとなりながら、長良神社まで戻りました。

文/保証統括部 新井基之

●今回ご紹介したコース