群馬県信用保証協会

漆原・半田地区の道

折々の散歩道

初秋の農村に歴史の名残を見つけて歩く

吉岡町・渋川市

 9月中旬の3連休に、長野県の清里へ一泊で訪れました。交通手段は電車だったのですが、群馬県からだと、長野新幹線で佐久平駅まで行き、そこから小海線に乗り継いで、終点小淵沢駅の三つ手前の清里駅まで、JR最高地点を通る清涼な山村風景の中を走ります。清里にはこれまで何度か訪れているのですが、清里駅前に降り立ったのは20数年ぶりとなります。多くの観光客で賑わっていたかつての印象と違い、駅周辺には空き店舗が目立ち、連休だったにもかかわらず閑散とした様子に、いささか驚きました。今となってはもはや死語となっていますが、かつて「アンノン族」という言葉がありました。1970年創刊の「an・an」、1971年創刊の「non-no」の両誌から採られたこの名称は、女性向けファッション誌や旅行ガイドブックを片手に、小規模な観光地に一人旅や小グループで訪れる若い女性たちのことを指します。アンノン族が観光産業に与えた影響は非常に大きく、これを機に、消費やトレンドの主役に若い女性が躍り出ることとなりました。当時の清里は、小樽や軽井沢、倉敷などと並び、アンノン族の代表的な観光地として注目を浴びました。筆者は、当時の賑わいをおぼろげながら記憶しているだけに、現在の清里駅周辺からは、消費ニーズの変化に対応しきれずに苦戦している様子が見て取れました。しかし、駅から歩いて数分のところにある「萌木の村」や、知人に車で案内された幾つかの施設やお店は賑わいを見せていて、以前とは形を変えながらも、今も魅力ある観光地として健在である様子が窺えました。

 さて、今回は、吉岡町の漆原地区と、渋川市の半田地区を散策することとしましょう。利根川の河川敷にある吉岡町緑地運動公園に車を停め、歩き始めます。緑地運動公園は、利根川沿いを走るサイクリング道路に接して南北に縦長に作られていて、野球やサッカーのできるグラウンドや、テニスコート、パークゴルフ場、グラウンドゴルフ場、ケイマンゴルフ場などを有する大きな公園です。車を停めたのは北にあるグラウンドの横にある駐車場で、西に向かって歩を進めると、すぐに国道17号前橋渋川バイパスの高架下をくぐります。周囲は閑静な住宅街で、「緑地運動公園入口」信号を超え、吉岡川を渡り、第四保育園を通り過ぎたところを左に曲がると、漆原神社が現れます。漆原神社は、古くから周辺にあった8社(茶ノ木神明宮、潮来稲荷神社、辻下白鬚神社、北野神社、大山祗神社、新田諏訪神社、茶ノ木稲荷神社、北窪諏訪神社)の本宮と16社の末社をこの地に合祀して村社としたもので、漆原神社という名称もこのときにつけられました。鎮守の森に覆われていて、中でも大きなイチョウと大きな欅が見事で、境内には、多くの末社や石祠、石造物があります。神楽殿にできたススメバチの巣を駆除しようとしている地元の方に出会い、今も地域住民に大切にされていることが伝わってきました。

漆原神社

 第四保育園から北に向かって伸びる道を進みます。住宅街の中の静かな道が続き、吉岡川を渡り、少し行ったところに、碑が立っているのを見つけ、近づいてみました。農林水産大臣受賞記念碑と題されたその碑は、平成6年の第2回群馬県枝肉共励会に出品した肉用牛が、標記の賞を受賞したことを祝い、受賞した農家によって建立されたものです。牛舎を背にして立つその碑からは、畜産農家の自負と労苦を感じ取ることができました。更に進むと、周囲には農地が広がり、やがて渋川市半田地区に入ります。西のほうには、農地の向こうに、サントリー榛名工場の大きな建物が見えてきます。しばらく進むと再び住宅街に入り、滝沢川を渡ると間もなく、県道26号(高崎安中渋川線)にぶつかります。県道26号を横切って北へと向かうと、コンビニエンスストアが現れるので、そこで弁当や飲み物を購入します。コンビニから東のほうに目をやると、こんもりと茂る早尾神社の鎮守の森があるので、そちらに歩を進めます。早尾神社は、享保2年(1717)に創建され、宝暦9年(1759)に利根川の洪水で埋没したため、この地に移りました。文化14年(1817)に建立された現在の本殿は、覆屋で囲われて、ガラス越しに、見事な彫刻が施された様子を見ることができ、市指定重要文化財になっています、境内には、合祀されたたくさんの末社が建ち、狛犬は獅子山の上に乗り、樹齢500年を超える夫婦欅があります。これは、2本の欅が長い時間の中でつながったもので、夫婦で手をつないで間を通り抜けると子宝に恵まれる、と伝えられています。また、半田歌舞伎発祥の地の碑も立っています。この歌舞伎は、延宝3年(1675)に、江戸の歌舞伎役者が世話になったお礼として当村に伝えたもので、現在も坂東座が引き継いでいます。

早尾神社

 早尾神社で弁当を食べてから、南に向かって進みます。しばらく歩いて左折すると、龍傳寺が現れます。龍傳寺は、天正9年(1581)に開山し、天明3年(1783)に浅間山大噴火により埋没したため、この地に移転しました。現在の本堂は大正13年築のもので、境内にはほかにも、薬師如来堂や数多くの石造物などがあります。南に向かって歩を進め、県道26号を超えた一本裏手の道に、御嶽神社がこぢんまりと佇んでいます。石造の鳥居はあるのですが、社殿のあるべきところには、およそそれらしくない簡素な建物があり、御嶽センターと記された看板がかかっています。境内はとても狭いのですが、神社らしく末社や石造物が並んでいます。御嶽神社から東に進み、突き当りを右折して南に向かって歩きます。滝沢川を渡ってすぐの空き地に、石祠があるのを見つけ、少し進んだ高台になったところに、庚申塔など石造物があるのを見つけました。古(いにしえ)の信仰のかたちが至るところに残されていることを実感しました。住宅と農地が混在する道を更に南に進むと、散策を始めてすぐに通った「緑地運動公園入口」信号にぶつかるので、左折をして、緑地運動公園まで戻りました。

文/保証統括部 新井基之

●今回ご紹介したコース