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平成25年7月4日(第4回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー  株式会社コシダカホールディングス 腰高博社長
●群馬県信用保証協会からのお知らせ 創業応援チームについて
●頑張る企業紹介コーナー 蔵前産業株式会社
◎アナウンサー 奈良のりえ

プロローグ

司会

 こんにちは、奈良のりえです。7月に入りまして、梅雨が明ければ、いよいよ夏本番。そろそろ暑気払いの話などが出始める時期ですよね。仲間や友達と料理やお酒を楽しんだ後は、やっぱりカラオケという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 さて、夢への挑戦をテーマに月1回お送りしているこの番組「チャレンジ・ザ・ドリーム」では、毎回大企業トップへのインタビューと特徴ある企業などの紹介を、およそ1時間にわたってお伝えしていますが、今回のトップインタビューのお相手は、「カラオケ本舗まねきねこ」や、女性専用サーキットトレーニングジム「カーブス」などの事業を手掛ける、株式会社コシダカホールディングスの腰高博社長です。ラーメン店を前身に旧富士見村で開業したカラオケ店が全国展開して、今や店舗数日本一、海外進出も果たしています。腰高社長に、創業時の様子や成長のきっかけ、プライベートな一面など、たっぷりとお話を伺います。
 また、後半では、金型の技術を生かして紙容器の企画・製造という新規事業に挑戦している前橋市の会社をご紹介します。
 チャレンジ・ザ・ドリーム〜群馬の明日をひらく〜。この番組は、「頑張るあなたを応援します。群馬県信用保証協会」の提供でお送りします。

トップインタビュー

株式会社コシダカホールディングス 腰高博社長

司会
「チャレンジ・ザ・ドリーム」、今日のトップインタビューは、株式会社コシダカホールディングスの腰高博社長です。FMぐんまのスタジオにいらしていただきました。よろしくお願いします。
腰高社長

よろしくお願いします。

司会
コシダカの本社は前橋市にありますけれど、ご出身も、社長、前橋でよろしかったですか。
腰高社長

はい。生まれは東京なんですけれども、もう3歳のときにこちらに一家で引っ越してきましたから、私自身はほとんど前橋というふうに思っています。

司会
社長は今年でお幾つになるんですか。
腰高社長
今年で53歳になりました。

家業のラーメン店からスタート

司会

それではここであらためて、会社の歴史を私のほうから簡単にご紹介させていただきます。コシダカの前身は、上州ラーメンの名前でチェーン展開していたラーメン店でした。それが1990年にカラオケ事業に進出し、居抜き出店と呼ばれる手法で店舗を増やしてきました。「カラオケ本舗まねきねこ」など339店舗です。日本一の店舗数を誇り、韓国にも進出しています。また、2006年からは女性専用サーキットトレーニングジム「カーブス」の事業も手掛け、こちらの店舗数は1,300店を超えています。このほかにも、最近では温浴施設を開設するなどしています。というふうに、もう大変幅広くご活躍なさっているわけですけれども、上州ラーメンが前身としておありですけれども、以前、私も小さいときに前橋市で上州ラーメンを見ましたが、まさにあそこが社長のご自宅だったんですか。

腰高社長

はい、そうですね。前橋市内の千代田町、まちなかでございますけれども、そこにうちのお店がありまして、そのお店の上が自宅でして、そこで育ちました。飲食店ですから、土曜日・日曜日、これが忙しい日なんですね。今でも覚えていますけれども、前橋高校、私の学年のときに、春の甲子園にうちの野球部が出場しまして、皆さま、ご存じだと思いますが、松本投手が完全試合をされました。そのときの学年なんですよ、私が。

司会
そうですか。松本投手と同級生ですか。
腰高社長
ええ、同級生、そうですね。それで、完全試合は、第1回戦は応援に行ったんですけれども、2回戦目は家でテレビを見て応援しようと思っていたんですよ。たまたまそれが日曜日でして、応援している最中におやじが来まして、「店が忙しいから、すぐ手伝え」みたいな感じで言われまして、ぶつぶつ文句を言いながら手伝った記憶がございます。そんなような家でしたね、うちは。
司会
前橋高校ご卒業後は、東北大学の経済学部に進まれ、そして卒業されて、家業のラーメン店に入ったということなんですけれども、家業に入るということへの抵抗などはなかったんですか。
腰高社長
そうですね、正直申し上げて、相当ありまして、悩んだこともあったんですけれども、商売人の家でずっと育ちましたから、おやじも私が子どものころから「おまえは後を継ぐんだよ」と、「商売人になるんだよ。事業をやるんだよ」というようなことを、もう刷り込んでいるわけですよ。それで「しょうがないかな」ということで、思い切って家業に戻ってきたということですね。
司会
そして、入ったときには、そのラーメン店を、例えば店舗をもっと増やしていこうと社長が思われたのか、それとも何か……。
腰高社長
うん、そうですね。いや、最初はそうでした。どうしたら多店舗展開ができるか。本当にけんかをしながら、ずいぶん議論をしたのを覚えています。ですので、商売の原点というものは、悔しいけれども、おやじから教わったのかなというのを、今となってはちょっと思うようになっていますね。

カラオケ店への進出から成功への道のり

司会
でもその中で、カラオケ店を始めようというふうに思ったのは社長ですか。
腰高社長
そうですね。実は、上州ラーメン、お店は4店舗あったんです。前橋市内と富士見に。ところが、業績が悪いお店が2つありまして、それを閉店しまして、いいお店だけを2店舗残しましてやっていたんですが、年がら年中資金繰りが大変で、どうなっているんだろうなと私も思いまして、よくよく勉強して数字を見ていくと、どうやらこの会社は、今でいう欠損金会社といいまして、倒産寸前の会社であったというのがわかりまして。でも、お客さまは毎日、毎日たくさんいらっしゃいまして、土日は本当に繁盛していたんですよ。で、ここはやっぱり何かしなきゃいけない。もうお店2つ閉めたから、それでも駄目だから、やっぱり売上を伸ばさなきゃいけないんだなというふうに思ったんですね。じゃあラーメン屋さんを増やすかと思ったんですが、当時バブルの間近のころでしたから、人手不足といいますかね、従業員さんを集めるのが非常に厳しいという状況もありましたので、なかなかラーメン屋さんでは難しいだろうと。違う商売を考えようというようになりまして、それで当時世の中に生まれて間もない業種業態であるカラオケボックスという、そういうものに目が行ったという流れですね。
司会
それが1990年ということなんですが、旧富士見村、現在の前橋市の富士見町の上州ラーメンの駐車場というんですか、そこにカラオケボックスをつくられたんですよね。
腰高社長
そうですね。当初、全然お客さんが来なかったんですよ。オープンの初日が、1日の売上が8,000円。今でも覚えているんですけどね。
司会
8,000円ということは、1組……
腰高社長
3組ですね。
司会
3組。
腰高社長
3組、8,000円、これがうちのカラオケの商売の一番最初の売上です、1日の。それからもう数カ月ですね、もう全然お客さんが来なくて、「いや、これは困ったな」と思いましてね。
司会
もう投資しているわけですもんね。
腰高社長
ええ、投資していまして、ほとんど全額借入金ですから、返済しなきゃいけないものですからね、非常に困りまして、どうしたものかなと思ったんですけれども。でも、もう後に引けませんから。それまではラーメン屋さんを手伝っていたという感じですよね。一緒に、おやじ、おふくろとやっていた。
司会
社長もラーメンをつくって……。
腰高社長
ええ、もちろん。私も厨房に入って、びっしりラーメンをつくりましたから。でも、何となくやっぱり他人事なんですね。なぜならば、ラーメン屋さんというのは、おやじが始めた商売だと。だから、まあ、ぶつぶつ、ぶつぶつ文句ばっかり言っていたというような状況はありましたよね。ところが、このカラオケは、私が始めた商売ですから、文句の言いようがないわけですよ。何があっても、自分の責任ですから、だから、このときに本当に、何ていうのかな、腹をくくったというか、やらなきゃなんないんだなと。30歳ぐらいでしたから、まだまだちょっと甘いところもあったでしょうから、覚悟が決まったというのはありますね。
司会
そこからカラオケがだんだん順調になっていったというのは、どんなことが転機で?
腰高社長
やはり、これはうちの社員にもよく言っているんですけれど、お客さま第一ということなんですね。その思いが、気持ちが、どれだけやっぱり本物になるかということだと思うんですけど、もうけようと思うと、お客さんは逃げちゃうんですね。だから、最初はもうけようと思ったわけですよ。カラオケをやってもうけてやろうと。やっぱりその気持ちがお客さんはわかるんでしょうね。寄ってこないんですね。
司会
ああ、そうなんですね。
腰高社長
寄ってこない、そういう気がしました。「あ、そうじゃないんだ」って思いましてね。もうけようと思うと、お客さまが逃げるから、お客さまのために何かできないのかな、何かしようかな、何かしてさしあげようかなと思えるかどうかっていう、そこの部分ですかね。
司会
そういうふうに社長の気持ちが変わっていったところから、だんだんお客さまが増えていき……。
腰高社長
そうですね。そのとおりです。
司会
そして店舗数も増えていったわけですよね。
腰高社長
ええ、そうですね。
司会
さらにそこで、また転機が訪れたのではと思うのですが。
腰高社長

それが、当初は銀行さんからお金を借りて、数千万円かけてお店をつくると。それを3店舗出したんですね。ところがそこまでいくと、さすがにもう銀行さんも「借金が多いから駄目だよ」みたいな話がありまして、そこでいったんストップしたんですけれども、お店を出せば、オープンすれば、お客さまを集められる自信はあると。何としてもお店を出したい。何とか出す方法はないかなとずっと考えていまして。そんな時期に、伊勢崎のほうで「閉店したカラオケ屋さんがあるけれども、腰高さん、やってみない?」って言われたんですね。閉店したカラオケ屋さんをうちがやったら、また閉店しちゃうんじゃないのみたいな、ちょっと一瞬そう思ったんですけれども、よく調べてみますと、設備が一式残っていて、今すぐにでもお店が始められる。ということは、初期投資がかからないよねと。今、うち、お金がないし、銀行さんももう貸してくれないから、お金がかからないでお店が開けるって、これはもしかしたらいいんじゃないのっていうことで、思い切ってやったんですね。そうしましたら、それまでのお店と同じようなお客さまの来店をいただきまして、収益も上がって、もうあっという間に回収になりまして。いわゆるこれが居抜き出店という手法なんですけれども、こういう大きな成功を収めたんですね。これ、平成9年のときだと思いますけど。で、「これだな」と思いましたね。「このやり方だな」と。このやり方であれば、設備投資資金はほとんどかからないし、世の中、カラオケ業界も過当競争の時代を迎えていましたから、そういう居抜き案件が結構あるんじゃないかなというふうにも思いまして。そこからはもう、最初は群馬県、そして埼玉県、栃木県と、居抜きのカラオケ店を探して、ずっと全国に展開していったという流れですね。

司会
もう絶対にそれを提供すればお客さまが来てくださるって、先ほど腰高社長がおっしゃっていましたけれども、その部分で、腰高社長が社員の皆さんに、「ここは大事だから」というふうにおっしゃっている、大切にしていることって何ですか。
腰高社長
我々はカラオケ店である前に、接客業だと。その中で一番大事なのは、お客さまに対しての気配りとコミュニケーションなんですね。いかにお客さまに気配りをできて、そしてお客さまが望んでいるものを、お客さまに言われる前にしてさしあげられるかどうか、気配り。それと、日ごろからのフレンドリーなコミュニケーション。「あそこは感じがいいね」っていう、そういうやつですね。そういうふうにもっていければ、お客さま満足は最大に上がってくる。そして、またリピーターとなって戻ってきてくれるということをよく言っています。
司会
まさに、まねきねこですね。お客さまがお客さまを呼んで。
腰高社長
そうですね、そういうことかもしれませんね(笑)。
司会
ところで、素朴な疑問なんですけれども、この「まねきねこ」という名前は、どこからお付けになったんですか。
腰高社長
これはあまり大したことはないんですけどね、実は。最初の1号店は、オイコットという店名でして、2号店を前橋市内に出すときに、オイコット2号店にするかどうかで悩んだんですね。でも、オイコットってちょっとわかりづらいから、もうちょっとわかりやすい名前にしようよみたいな議論があって、そしていろいろ考えて、3日考えたんですけど、なかなかいい答えがなかったんですね。で、どうしよう、どうしようって言って、家に帰ったときに、こたつの上にまねきねこのかわいい貯金箱があったんですね。それを見て、「あ、これでいいや」みたいな感じですかね(笑)。この屋号のネーミングですか、これは営業戦略上、バッチリでしたね。なぜならば、やはりわかりやすいと。そして一度聞いたら忘れない。だから、お客さまは、消費者の皆さまは、最初「まねきねこ」って見た瞬間に、まず何だろうと思うじゃないですか。
司会
思います。
腰高社長
「ちょっと一回行ってみたいね」と。県外の新しい土地に新店を出したときは誰も知らないわけですよ、その周りの人たちは。で、そこで「まねきねこ」って屋号で、最初から入りやすい雰囲気を出して、お客さまに浸透すると。非常にありがたい名前ですね、これは。
司会
それはきっと起業する方へのすごく大きなヒントになったような気がいたしますけれど。
腰高社長
そうかもしれませんね。格好いい名前より、やっぱりわかりやすくて、一度聞いたら忘れないというのがいいんだと思いますよ。
司会
そうやって、まず皆さん、お客さまに知ってもらうというふうに広がって、さらに広がっていったということなんですね。
腰高社長
そうですね。
司会
そして、2011年には韓国にも進出されました。1号店がオープンしましたけれども、2011年というのは、いろいろと日本が大変な時期に、その6月にオープンを、ソウル市でのお店がオープンしていますけれども、少し時期をずらそうとか、そういうのはなかったんですか。
腰高社長
実は大震災のときに、うちは宮城県、福島県、そして岩手県ですか、まねきねこが40店舗ぐらいあるんですよ。我々は、まず炊き出しを石巻で相当やりました。あと、既存店をしばらくの間、無料で開放しまして、被災者の方々、それからそういうご親戚の方々にどんどん来ていただいて、ちょっと休んでいってくださいみたいな。それを3週間ぐらいやったのかな。その中で、韓国の出店もちょうど時期が重なったということで、それはそれでしっかりやっぱりやっていくのが、当初の方針どおりありますのでね、やっていこうということでやったわけですけれども。韓国のほうは、おかげさまでやっぱり3号店が今、この春にオープンして、ようやくノウハウをつかんできたかなっていうことになりまして、これから多店舗展開を韓国国内でやっていこうと、そういうふうになっています。
司会
今後どのぐらいまで伸ばしていくというのは、具体的な数字とかはもう出ているんですか。
腰高社長
ええ、一応、努力目標では、韓国国内100店舗というのはうたっていますけど。
司会
何年以内とかありますか。
腰高社長
5年から7年ぐらいですか。
司会
そうですか。
腰高社長
でも、それぐらいの市場はあるなと思いますね。
司会
ということで、カラオケ事業への進出から成長の様子を、腰高社長に伺ってきましたが、カラオケ事業が成長するさなか、女性専用サーキットトレーニングジム「カーブス」の事業も手掛けるんですよね。そのあたりのお話も、この後、伺っていこうと思います。その前にここで1曲、お聞きいただきましょう。腰高社長の思い出の曲を選んでいただきました。B.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」が思い出の曲なんですって。
腰高社長
はい、平成2年に1号店をオープンして、創業のころ、これは相当歌われていたんですよ。ですから、私はこれを聞きますと、創業のころを鮮明に思い出すという、そういうことに今はなってますね。
司会
はい、それではお送りしましょう。B.B.クィーンズで「おどるポンポコリン」。

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