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平成25年8月1日(第5回)放送【1】

【プログラム】
● トップインタビュー:ヨシモトポール株式会社 由井克巳社長
●群馬県信用保証協会からのお知らせ:保証協会の「三つの相談」窓口について
●頑張る企業紹介コーナー:株式会社シェモワ
◎アナウンサー 奈良のりえ

プロローグ

司会

 8月に入りましたが、夏バテなどしていないでしょうか。ご案内役の奈良のりえです。私はおいしい料理をおなかいっぱい頂くことで夏を乗り切ろうと思っています。
 さて、夢への挑戦をテーマに月1回お送りしているこの番組「チャレンジ・ザ・ドリーム」では、毎回大企業トップへのインタビューと、特徴ある企業などの紹介を、およそ1時間にわたってお伝えしています。今回のトップインタビューは、藤岡で創業し、全国展開する国内唯一のポールの総合メーカー「ヨシモトポール株式会社」の由井克巳社長です。会社の名前は知らなくとも、きっとほとんどの方が製品を目にしている会社で、信号や標識、街路灯のポールをはじめ、高速道路のETC入り口のアーチなどもつくっています。また後半では、食肉加工や惣菜の製造を行っている片品村の「株式会社シェモワ」をご紹介します。

トップインタビュー

ヨシモトポール株式会社 由井克巳社長

司会
「チャレンジ・ザ・ドリーム」、今日のトップインタビューは、藤岡で創業し、全国展開している国内唯一のポールの総合メーカー、ヨシモトポール株式会社の由井克巳社長です。ポールの総合メーカーと言われても、どんな会社なのかわからない方も多いのではないかと思いますが、どんな製品があるかといいますと、信号や標識、街路灯のポールをはじめ、高速道路ETCの入り口のアーチなどもつくっています。東京銀座の中央通りに立つ支柱が光る街路灯、皇居周辺や臨海副都心で使われているおしゃれな街路灯も、ヨシモトポールの製品なんです。もしかしたら、あなたの家の近くに立っているポールも、ヨシモトポールの製品かもしれません。さて、そんなヨシモトポールが創業したのは1961年(昭和36年)のことです。長野県の林業会社を母体にした新規事業として藤岡市にコンクリートポールの製造工場を開設、事業を開始しました。以来半世紀、全国展開し、ポール事業のほか畜産事業にも進出しています。藤岡市で創業した企業がどのようにして成長してきたのか、また、成功のポイントはどこにあるのかなど、藤岡市浄法寺につくられたヨシモトポール記念館で由井社長に伺ってきました。この記念館、長野県にあった由井社長の生家を移築したものなんだそうです。それでは、ヨシモトポール由井克巳社長へのインタビューです。

生家の思い出から起業まで

 
司会

私は今、藤岡市内にある由井克巳社長の生家である、ヨシモトポール記念館にお邪魔しています。今日はどうぞ、由井社長、よろしくお願いします。

由井社長

いえいえ、こちらこそよろしくお願いします。

司会
由井社長は1929年(昭和4年)生まれということで、今年で何歳でいらっしゃいますか。
由井社長
84歳ですね。
司会
84歳ですか。今日はクールビズで、とても素敵なシャツに身を包み、風格・貫禄があるのはもちろんなんですけれども、でも、とっても優しいまなざし。いろいろお話を聞いてみたいことがありますので、伺ってもよろしいですか。
由井社長
ええ、どうぞ、どうぞ。
司会
今日は東京からいらしたということで、今はお住まいは東京なんですね。
由井社長
ええ。でも、今日はこの僕の……、おやじがつくったうちですけどね、信州の片田舎で。そして僕はこのうちで育ったんだけど、これを工場の近くのこんないい場所へ移築ができたということは、もうこれで両親も喜ぶだろうなと思ってね、本当にうれしいです。
司会
今ちょうどインタビューをさせていただいているこちらのお部屋は応接室なんですけれども、モダンですねえ。
由井社長
ああ、大正ロマンだね。
司会
大正ロマンですね。
由井社長
そうですね。
司会
なるほど。長野県青沼村、現在の佐久穂町の、由井社長はご出身ということで、こちらの建物はふるさとの長野県から移築したということですが、迎賓館のようですね。
由井社長
お客さんがこの2階へ来て宴会をしょっちゅうやっていましてね、近所から芸者さんが来て宴会をやっていたのはよく覚えていますよ。私のおやじたちは、山林経営もやっていましたけれども、木材の生産・販売もやっていたんですね。要するに材木屋を。
司会
もともとヨシモトポールさんのスタートは、由井社長のお父さまが材木業をなさっていたというところが始まりなんですね。
由井社長
そうなんです。
司会
その与志本林業が、なぜ今度は藤岡でコンクリートポールをつくり始めたのでしょうか。
由井社長
それは、ちょうど僕が、高碕達之助先生の秘書をしているころですが。
司会
政治家の。
由井社長
ええ。木材資源利用合理化方策というのが出ましてね。要するに、戦後、焼け野原になって、衣食住が全く足りないときですよね。それで、僕が高碕先生の秘書官をやっているころは、衣と食はもう大体行き渡ってきた。ところが住は全然駄目だったんですよ。それでこれから住宅建設だ、住宅建設だということで、それで、日本の国はもちろん戦争で焼け野原になりましたから、山も坊主になっちゃったんですよ。それで、これからは山林、山の木を育てなきゃ住宅が建てられないというときで、それで土木材はコンクリートにしなきゃいけないという法律ができたんですよ。それで僕は、ああ、これは木材業はだんだん、だんだん……。今は非常に活発で、大変うちの与志本林業も、方々の材木屋さんもいい状態だけれども、いずれはコンクリートにしなきゃならないと。それから木材は、だんだん、だんだん外材が入ってきて、国産材がだんだん、だんだん弱くなるなという見通しだったんですね。
司会
それは社長が、「こうなるな、これからの時代は」というふうに読まれて、コンクリート事業に目を付けられたんですね。
由井社長
そうです。で、何がいいかなと思っていろいろ考えたんですけどね、与志本林業の世界からいくと、パイル、電柱、それから枕木、そんなようなものが一番、与志本林業と関係しているんですよね。だけど僕は、そういう分野を研究したんだけれども、コンクリート二次製品流行りで、たくさんもうコンクリートの二次製品の会社が、もう雨後の竹の子のようにできて、とてもこれは、僕はもっと別な……。通信柱といって、電電公社がまだコンクリートじゃなかったんですよ。
司会
今のNTT。
由井社長
NTTの、その柱を狙って、それでコンクリートポールの会社をつくりました。大きい電柱はみんな、電力会社の子会社がコンクリートポールをつくり出して、供給体制をつくっちゃったなあ。鉄道はまた鉄道で、コンクリートの枕木の会社をつくり出したなあと。残ったのはそれだと。
司会
有線放送用の電柱も手掛けたと聞いていますが。
由井社長
それはいきなり電電公社が買ってくれないものだから、実績がないと。
司会
なるほど。で、どうしてまた、藤岡だったんですか。
由井社長
それは、うちのおやじたちは十石峠の向こうですから、上野村で木を切って、それを神流川を利用して新町で陸揚げして、貨車で東京へ送って、製材工場もあり、倉庫もあり。それから神流川の砂利砂が非常にいいと。要するにコンクリート二次製品は、砂利砂がいい砂利砂でないと強度が出ないんですよ。それからコンクリート二次製品をやるときは、大体120〜130キロ以内、東京からね。一大消費地から。でないと、コスト的にもね。土地も安いから。
司会
そういったことも全て考慮した上で、この藤岡という地を選ばれたんですね。
由井社長
そうです。
司会
そして1961年(昭和36年)のヨシモトポール設立時から、社長がちょうど32歳のときに就任されたそうですけれども、創業時の会社の規模、何人ぐらいで始められたんですか。
由井社長
与志本林業から、大学の林学部を出た人たちだったけれども、5〜6人スカウトして、女性事務員もいたから、大体8〜9人というところですかね、本社はね。それから工場が20人ぐらい。
司会
会社を始めるときの、そのときの意気込みを教えていただけますか。どんな意気込みで始められましたか。
由井社長
みんなでやりたいと思ったですね。「団結開拓」で。みんなで力を合わせてやりたいと思ったね。簡単に言うとね、一人ひとりが見える会社にしようというのが僕の念願ですからね。僕は日興証券にも入ったことがあるんですよ。3年しかいなかったけれども、学校を出てすぐ日興証券に入ったの。そこで大きな会社の、いい点もあったけど、サラリーマンのまずい点というのはわかりましたね。とにかく歯車になっちゃうんですよね。全体像が見えないんですよね。大きなところへ行っちゃうと。
司会
ところで昭和40年代に入りますと金属製ポールの製造を始めていますが、なぜ金属を手掛け始めたんですか。
由井社長
僕は、あまりコンクリート二次製品で手を広げるのはつまらないな、もっと新しいことをやりたいと。そして鉄のほうが軽いし、そしていろいろ加工性があるから鉄がいいなと思って、それから鉄をやりだしたんですよ。それからもう、鉄のポールも出だしていましたからね。そして鉄をやっているうちに、だんだん、だんだん公共事業の関係だけじゃなくて、民間の、いろいろな照明の柱とかいろんなものも、いろんな柱があるなと。あらゆる柱をやってみようということで。で、鉄の柱で僕は成功しましたが、よかったですよ。コンクリートは重いし、やっぱり今、嫌でしょう、コンクリートって。国土をコンクリートで固めちゃって。それからあまりコンクリートを使い過ぎて、河川から砂利砂を取ることを禁じるようになったでしょう。だから今度、山砂利を今、使っているんですよ。山砂利を使うっていうことは、国土を破壊することになりますね。だから、あまりコンクリートにこだわりませんでした。
司会
常に先を見て、また日本の景色、景観なども考えてのご決断だったのかもしれませんけれども、新たな事業を手掛け始めるということですが、そのあたりの話もお聞きしていきたいと思います。その前にここで1曲、お聞きいただきましょう。由井社長の思い出の曲を選んでいただきました。ペギー葉山さんの「学生時代」という曲だそうですね。
由井社長
ペギー葉山の歌は好きですね。
司会

それではお届けいたしましょう。ペギー葉山で「学生時代」。

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