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平成26年1月9日(第10回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:株式会社レストランスワン 萩原康充社長
●頑張る企業紹介コーナー:株式会社スタイルブレッド
◎アナウンサー 奈良のりえ

プロローグ

司会

 新年になって早くも1週間が過ぎました。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。ご案内役の奈良のりえです。
 さて、新年の夢や抱負などを話す機会の多い時期ですが、今年はどんな夢を追いかけますか。「チャレンジ・ザ・ドリーム」は、今年も夢への挑戦をテーマにお送りしていきます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。番組では、毎回大企業トップへのインタビューなどを、およそ1時間にわたってお伝えしていますが、今日のトップインタビューは、ブライダルやレストランなどの事業を展開する、株式会社レストランスワンの萩原康充社長です。教会と迎賓館を併設したブライダル施設、シャロンゴスペルチャーチ高崎&ザ・ジョージアンハウス1997などにより、ブライダル業界で人気と注目を集める一方、現代仏蘭西料理の朔詩舎や、県庁31階の欧州料理のレストランなど、本格的な料理と本物志向のインテリアをそろえたレストランを展開しています。また、このほかにも、パーティのケータリングサービスやイベントのプロデュースも手掛けているスワングループですが、スタートは1960年代、前橋市内にオープンした食堂でした。それがブライダルに進出して成功し、事業を拡大させていきました。萩原社長に事業の軌跡や成功のポイントなどについて、たっぷりとお話を伺っていきます。

トップインタビュー

株式会社レストランスワン 萩原康充社長

司会
株式会社レストランスワンの萩原康充社長にFMぐんまのスタジオにお越しいただきました。よろしくお願いします。
萩原社長

よろしくお願いしますね。

スワン創設までの道のり

司会

萩原社長は前橋工業高校のご出身ということなんですが、1950年代の半ばに高校生活を送られていたそうですけど、どんな生徒だったんですか。

萩原社長
ちょっと背伸びして、非常に好奇心が強かったし、絶対人に負けないという負けん気の強さ。それから非常に流行に敏感でしたね。だから、どっちかというと、軟派と硬派と両方持った不可思議な高校生。
司会
ほお。
萩原社長
当時は映画が、日本映画会社が6社あって、ハリウッド映画、イタリア映画、それからフランス映画などがどんどん入ってきていて、毎週、本当に2本、3本見ていましたから、もう完全な映画少年でしたね。で、本当のクラブ活動というのは、僕は山岳部にいたんですね。
司会
山岳部?
萩原社長
はい。で、この山岳部にいたのが、たぶん、今の私の経営者としての心身をつくってくれた、体も心もつくってくれたのかなと思うんですよ。
司会
高校を卒業して就職したのが、映画館を十数館運営していた会社、こちらに入社をしたそうですね。
萩原社長
まあ営業職ということで入ったんですけど、営業職って何をするって、時にはビラ張りにのりの缶を持ってまちを歩いたり、ポスターを貼ったり、時には仮装をして宣伝のためにサンドイッチマン絡みのことをやったり。あのころ、満杯の映画館で客席に入れないお客さまたち、立見のお客さまたちを後ろから押すという、押し役をやったり。
司会
すごいですね。
萩原社長
でも楽しくてしょうがなかったですね。それはなぜって、タダで映画が見られる。全ての映画が見られるから。
司会
本当に映画がお好きだったんですね。やっぱり夢を仕事にしたっていう部分もあったのでしょうか。
萩原社長
そうですね。まあ、それもありますし、この会社の社長が非常に姿勢の厳しい人でして、決めたことは方向をしっかりと定めて隙間を与えない。ものを体で示せるような教育を受けましたので、もし、この人との出合いがなかったら、たぶん僕の生き方は変わっていたかもしれません。
司会
人生で大切なことを、その時代にたっぷりと学ばれて、ベースがつくられていったということですね。
萩原社長
そうですね。ただ、そこで一つ、やっぱりどんな素晴らしい設備であっても、どんな素晴らしい産業であっても、時の流れには変えられない。やっぱり映画がだんだん、だんだんテレビの普及に押されてきて、映画が斜陽化していくんですね。その姿を目の当たりに見てきました。いかに物事は次の準備が必要であるかということを、心の隅に教えられましたね。それで、そのうち映画会社のほうも、将来を考えて、飲食業をオープンしたという。そこで飲食会社をつくったところを、私もそこの飲食会社のほうで仕事をさせてもらっていったというのが、その次の物語につながってくるところなんです。

ドラマチック・ウエディングの誕生

司会
そうなんです。1965年にこの、今お話しいただいた映画館を経営していた会社の社長の妹さんが食堂スワンをオープンする際に、スワンに入社したそうですね。
萩原社長
そうなんですよ。今は亡き、山ア秀冠先生なんですけれども。
司会
料理研究家の。
萩原社長
料理研究家ですね。それと、教育者でもありましたし。その山ア秀冠先生が私のほうに「どうだ、やってみないか」っていう話でお誘いを受けて、私はこのスワンを引き受けて。
司会
はい。食堂スワンは前橋市大手町の県庁の近くにありました群馬県婦人青少年センターの中にオープンしたそうなんですけれども、滑り出しというのはいかがでしたか。
萩原社長
1970年に起こった万博以降、だんだん外食産業という言葉が出てきたんですけれども、アメリカ系のフランチャイズチェーンがどんどん日本へフランチャイズを組んでくるという時代ですから、これは食堂とかレストランというのは大変厳しいなと。しかも会館の中の食堂ですから、これを何とかするといっても、まあ範囲が決まっているだろうなということをちょっと考えて、今、その場所で与えられたもので、何かいいヒントはないだろうかというふうに試行錯誤したんですね。
司会
その中から、何が生み出されていきましたか、試行錯誤して。
萩原社長
その婦人会活動の中に、新生活で婦人会の会長さんが婚姻届の承認をするという、そういうふうな儀式的なものが、結婚式として活動が始まっていましたから。
司会
いわゆる人前結婚式の……
萩原社長
人前結婚式ですね。誓約結婚式とか、人前結婚式ですね。そんなことにちょっと気を留めたときに、「そうか、結婚式、披露宴を少し力を入れることなんだろうな」と思って、その当時でも、当然披露宴をやってはいたんですけれども、映画を見終わった感動を受けた人たちの帰る姿を見たときに、「そうだよ、結婚式ももっともっと感動を与える必要があるよな」っていうふうに感じたんですね。それで、この世代って何なんだろうと思ったんですよ。戦争をまたいで、戦争後の子どもたち。一番なんか自分で楽しさのつくり方も知らない。ただ、与えられたものを与えられたように行動を起こしているという。まあ、結婚式もかつてそうだったわけですから。親とか親戚の動きで結婚式を挙げていたという時代だったものですから、もっと楽しくすることを僕らが教えてあげればいいんじゃないかなと。それで、「そうだ、少し映画づくりのときに欠かせなかった光とか影とか、音をつくって、披露宴の進行に演出を取り入れたらどうなんだろうか」っていうので、かなり早い時期にキャンドルサービスとか、花束とか、今で言う相合傘とか、いろんなドラマ的な要素を取り入れて、起承転結のある物語を結婚式の中でつくる提案をしていったのですね。そこで、僕が今まで夢見ていた映画の仕事に一番近い仕事に、自分が感動を受けて、自分が好きになるような、愛してしまった、それが今までずっと続いているような人生じゃないですか。
司会
その当時、社長がドラマチック・ウエディングをキーワードにいたしまして、本当に華やかな演出を幾つも幾つも提案なさいましたよね。その中の一つが、ドライアイスを使った結婚式の演出ということで、実は萩原社長が日本で初めて行ったそうですね、これも。
萩原社長
まさに僕が始めたのが最初です。婦人青少年センターの中で行っていたウエディングの中で、まあ、ちょこちょこっと始めてみたんですけれども、その後に群馬建設会館というのが1973年にできまして、そこがワンフロアのところで舞台が付いているというので、そこのウエディングを担当させてくれという話をお願い申し上げて、舞台付きの中に、本当のドラマチック・ウエディングをつくりたいと思っていたんですね。
司会
ええ。
萩原社長
非常に初歩的なことだったんですけれども、容器の中にドライアイスを入れて、熱湯を入れて気化させて、要するにガスをつくる。これは映画の手法でも舞台の手法でもあるんですけれども、それを取り入れて緞帳を閉めておいて、そこにいっぱいためておいて、開けて新郎新婦が入場するとかっていう演出をやりましたね。これはもう本当に一大センセーションを起こしました。
司会
そうですよねえ。
萩原社長
そこに笑い話が一つあります。
司会
何ですか。
萩原社長
実はそんなことをやってるうちに、セミナーや何かで僕が講師をするようなことがあって、演出の講師をやりました。そのときに、僕がドライアイスの話をしましたら、業界は一笑されました。
司会
えっ。
萩原社長
ドライアイスは、その反対の葬のほうで使うものだって。
司会
お葬式で。
萩原社長
はい。
司会
ずいぶん……
萩原社長
だから発想ってそうなのかなと。こだわりがあるときには、新しいものが生まれない。そこで、こだわりを捨てたところに新しいものが生まれるのであって、このドライアイスがなかったら、今の株式会社レストランスワンはなかったというふうに断言できます。そのぐらいドライアイスのスワンは多くの利用者を得たわけですね。
司会
はい。このようにしてドラマチック・ウエディングで成功を収めたスワンですが、その後、方向転換を図ります。そうした様子についても伺っていきますが、その前に、ここで1曲お送りしましょう。萩原社長の思い出の曲です。どのような曲を選んでいただきましたか。
萩原社長
『マイ・ウェイ』なんですね。これはバブルのころ、商工会議所会館でクリスマス・ディナーショーをやりまして、勝新太郎さんがまだ生前のときに、最後のエンディングを『マイ・ウェイ』で取ったんですけど、そのとき、「一緒に歌え」っていうことを約束にしてディナーショーをやった勝さんとの思い出もあります。今日は僕の大好きなジプシー・キングスのエキゾティックな『マイ・ウェイ』をお願いします。
司会

はい、わかりました。スワン、萩原社長の思い出の1曲です。ジプシー・キングスで『マイ・ウェイ』。

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