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平成26年2月6日(第11回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:富士食品工業株式会社 高橋直二社長
●群馬県信用保証協会からのお知らせ 創業応援チームと創業計画サポートガイドについて
●頑張る企業紹介コーナー 株式会社カネトモ

プロローグ

司会

 インフルエンザの流行などで健康管理に気を使うこの時期、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。ご案内役の奈良のりえです。
 健康管理で大切なことの一つに、バランスの取れた食事がありますが、今日は食卓の味方ともいえる、あの野菜の生産を行っている会社のトップにお話を伺います。夢への挑戦をテーマに月1回お送りしているこの番組、「チャレンジ・ザ・ドリーム」では、毎回大企業トップへのインタビューなどを、およそ1時間にわたってお伝えしていますが、今日のトップインタビューは、モヤシ生産の大手で、近年はカット野菜でも躍進している板倉町の会社、富士食品工業株式会社の高橋直二社長です。1965年、昭和40年に家族3人で始めたモヤシ店が、いまや従業員およそ350人、年商80億円の会社となり、モヤシの生産は国内シェアの1割以上を占めています。食品の買い物をされる方ならば、タヌキの絵が入った「分福モヤシ」を見たことがあるのではないでしょうか。また、カット野菜は大手スーパーやコンビニエンスストアのプライベートブランドのサラダもつくっていますが、野菜の生産はなんと農場の土づくりから行っているというこだわりようです。創業や事業拡大の様子、それから野菜づくりに対する思いなど、高橋社長にたっぷりとお話を伺っていきます。また、番組後半は、カーテンや衣料品などの製造・販売を行っている桐生市の株式会社カネトモへの訪問インタビューをお送りします。

トップインタビュー

富士食品工業株式会社 高橋直二社長

司会
今日はこのスタジオに富士食品工業株式会社の高橋直二社長にお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
高橋社長

いやあ、こちらこそ。

司会
1939年昭和14年生まれの74歳ということですが、社長、今日はスカイブルーのネクタイにグレーのジャケットで、とってもおしゃれですね。
高橋社長
いやいや、もう自分はこの色は、水が一番……、全ての事業が水が基本なんですね。
司会
それで今日はスカイブルーのネクタイをビシッと締めて、スタジオに来てくださったということですが、その水が命というお話も今日はじっくりと伺っていきたいと思います。
高橋社長
はい。

モヤシ製造業を起業

司会
高橋社長は新潟県のご出身だそうですね。
高橋社長
はい。
司会
どんな幼少時代を過ごされたんですか。
高橋社長
もうやんちゃで、7人兄弟の次男坊ですが、兄弟中で一番やんちゃで、暴れん坊だったですね。
司会
中学卒業後は、栃木県足利市の雑穀店に勤めたものの、なんと二十歳のときに、いったん体を壊したことが原因で新潟に戻られましたよね。社長にとっては、その後の人生の指針になるような出来事だったそうですね。
高橋社長
自分の健康は自分で守るしかないと。一番損するのは自分だっていうことで、それからやはり健康っていうのは第一ということを常に考えていましたね。
司会
そして、回復後に今度は東京のモヤシ会社で働いたそうなんですけれども、これがモヤシ事業をスタートするきっかけとなったんですか。
高橋社長
そうですね、自分は学も教養もないので、もう何とか事業を自分でやらなかったら駄目だって。もうそれには、このモヤシ事業だということを、入ったそのときから自分で決めました。
司会
ただ、ここでのお仕事はずいぶんと過酷だったようですが。
高橋社長
いや、それはもう、モヤシ屋は4〜5時間しか寝られなくって、休みもなく。だからモヤシ屋さんに勤めるのは、本当に新潟の山の中の人が多かったですね(笑)。
司会
モヤシづくりというのは、まずそのモヤシの種をたるに入れるんですか。
高橋社長
そう、たるに入れて、発芽しやすいようにお湯で浸して、数時間置いて、ちょうど温度が35度から40度ぐらいですが、菌が一番繁殖する環境なんですよ。だから、いかに衛生的な工場になるかって、それが一番ですよね。
司会
温度を調節するということですけれども、水を、分量を見るわけですよね。
高橋社長
いや、分量じゃなくて、上からホースでかけるんです。
司会
かけて……
高橋社長
それで熱が完全に取れないと、それも満遍なく平らにかけないと、水の熱が取りきれないところが、熱が上がり過ぎて、傷んだり、雑菌が繁殖したりするんです。
司会
それって何時間おきぐらいに見るんですか。
高橋社長
大体5〜6時間おきですね。
司会
じゃあ、絶え間なく気を遣って……
高橋社長
いや、だからもう、1人でやったら寝る時間がそんなにないですよね。
司会
そして、何日ぐらいかけて、モヤシって出来上がるんですか。
高橋社長
丸々1週間ですね。
司会
1週間。それがずうっと絶え間なく続いていくわけですものね。
高橋社長
そう。
司会
そういった経験があったからこそ、これはどうにか変えていこうという、そんなヒントにもなっていったんでしょうか。
高橋社長
そうですね。
司会
そして1965年(昭和40年)に、26歳で創業されましたね。栃木県足利市に個人商店の「高橋萌(もやし)店」を開業されましたが、開業当時の様子っていかがでしたか。
高橋社長
三度の飯が食えりゃいいっていうことで、最初は四斗だる3本からですね。一番下の弟、それと女房と3人で始まったんですよね。寝る時間もなかったし、よく本当に弟なんかも付いてきてくれたと思って感謝していましたね。
司会
それにしても、26歳の独立って早いですね。
高橋社長
いやいや、自分は早いと思わなかったですね(笑)。
司会
そうですか。
高橋社長
全然、全然、それしか食う道がなかったですから。もう、それが自分の人生だと思ってスタートしましたからね。自分でみんな、モルタルの掘っ立て小屋をつくって。わずか100坪の土地、30坪の建物でした。
司会
そこからのスタートだったわけですか。
高橋社長
はい。
司会
まあ当時、ご苦労もいろいろあったのではないですか。
高橋社長
いや、もう、苦労っていうのは、生きがいを感じていましたからね。これを何とかやろうということで。
司会
苦労も生きがい?
高橋社長
そう。
司会
そのバイタリティって、どこから来るんですか。
高橋社長
いや、それしか生きる道がないっていう、自分の人生はこれしか生きる道がないという気持ちで。
司会
でも、例えばお勤めになった東京のモヤシ会社でずっと勤めているという選択もあったわけですよね?
高橋社長
いや、勤めたって、自分は人に命令されて、仕事するっていうのが駄目なんです。だから丁稚小僧をしたときも、命令されて仕事をしたことがないの。全部、自分からボンボン、ボンボンやったので。
司会
そのぐらいやっぱりバイタリティがないと……
高橋社長
そう、自分で独立するからには、自分でやるしかないと。
司会
なるほど。
高橋社長

だから、本当に小僧のときからもう、人には命令されない、自分からボンボンやりましたからね。

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