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平成26年8月7日(第17回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:正田醤油株式会社 正田隆社長
●群馬県信用保証協会からのお知らせ:創業応援チームと創業計画サポートガイドについて
●チャレンジ企業紹介コーナー:有限会社黒田人形店

プロローグ

司会

 ご案内役の奈良のりえです。夏祭りや花火大会などで浴衣姿の女性を見かける時期になりましたが、最近はいろいろな柄があるんですよね。アンティーク調、パステル、斬新な大柄と、バリエーション豊かです。伝統的な着物と新しいデザイン。今日のトップインタビューは、この関係にちょっと似ているかもしれません。前橋市にある陸上競技場「正田醤油スタジアム群馬」でもその名を知られている、館林市の正田醤油株式会社の正田隆社長です。正田醤油は明治初期に創業し、140年の歴史がある会社で、国の登録有形文化財になっている建物もあります。商品の醤油は日本の伝統的な調味料ですし、歴史や伝統という言葉が似合う会社ですが、実は新しい挑戦を続けてきている会社でもあるんです。伝統的な業界で新しさを求める理由や具体的な取組などについて、正田隆社長にお話を伺っていきます。また、番組後半は、木製のおもちゃで差別化に成功している前橋市のおもちゃ屋さん、有限会社黒田人形店への訪問インタビューをお送りします。

トップインタビュー

正田醤油株式会社 正田隆社長

司会
正田醤油株式会社の正田隆社長にFMぐんまのスタジオにお越しいただきました。正田社長、どうぞよろしくお願いします。
正田社長
よろしくお願いします。

明治時代創業の老舗企業

司会
今日はピンクのストライプのシャツをお召しになって登場ということなんですけれども、正田醤油は1873年(明治6年)の創業で、隆社長が7代目の社長ということですが、会社のルーツはどこにありますか。
正田社長
江戸時代にさかのぼりますと、群馬の穀倉地帯で取れた麦とか米とか、そういうものを扱う米穀商をやっておりまして、いろいろ投機的な商売だったものですから、幕末の動乱でだいぶ投機に失敗をしまして、それで明治6年にメーカーのほうがいいだろうということで醤油に転業しました。もともとは、麦とか米とかの穀物ですから、醤油の原料になるようなものを扱っていたわけですね。
司会
去年、140周年を迎えまして、老舗と呼ぶに値する歴史と思うんですけれども、醤油業界の中でも歴史が古いほうになりますか。
正田社長
今、醤油屋さんというのは全国に1,500〜1,600社ぐらいあるんですけれども……。
司会
そんなにあるんですね。
正田社長
ええ。たぶん半数は江戸時代に創業しているんじゃないかと思われます。まあ醤油ですとか、日本酒ですとか、そういう昔ながらの発酵食品にかかわるところっていうのは大体、江戸時代に創業されているところが多いと思います。当社は、先ほど申し上げたように明治ですので、どちらかというと、新参者というほどでもないですけれども、若いほうだというふうに思っております。

生い立ち、そして社長就任へ

司会
正田社長は館林のご出身ですか。
正田社長
はい、中学まで館林で親と一緒にいたんですけれども、高校からちょっと親元を離れて好き勝手にやっておりました。
司会
隆社長が子どものころの会社の様子というのは、どんな感じだったんですか。
正田社長
たぶん多くの皆さんが、お醤油屋さんというと、木のおけがいっぱい並んでいて、職人さんが大きな棒でもろみをかき混ぜているとか、そういうイメージをお持ちだと思うんですが、私の小さいころは、まさにそういう情景が工場の中にありまして、木のおけに、もろみがいっぱい入って、それが何十個も並んでいるという光景が今でもよく覚えております。その後、会社に入るタイミングで、だいぶ当社の様子も近代化されていきまして……。
司会
つくり方も変わってきたということですね。
正田社長
そうですね。基本的にお醤油のつくり方というのは同じなんですけれども、人の工程を機械が代わりにやるような仕組みがどんどん新たに開発されていきまして、今まで手作業で何十人もかけてやっていたような工程を、ロボットのような機械で行うことで、余った人員をほかの仕事に回すようなことができるようになりましたね。
司会
隆社長が入社したのはいつですか。
正田社長
1983年ですので、30年ぐらい前になります。
司会
そのときからお醤油というのは個人の皆さんに向けて発信するような形の業態だったんですか。
正田社長
当社は、昔から、個人というよりは、業務用ですとか、加工用、つゆのメーカーさんだとか、たれのメーカーさん、あと、おせんべい屋さんだとか、そういうところにタンクローリーとか大きくバルクでお届けするような商売を中心に伸びてきております。家庭用も多少はやっていたんですけれども、冒頭申し上げたように後発メーカーだったものですから、なかなか先発のシェアを取るのが難しかったことから、そういうちょっと新たな業種にチャレンジしていったところがあります。
司会
業務用が柱、というのが一つの特徴であり、また、醤油以外の商品というのも多数扱っていらっしゃいますものね。その辺の原点というのは、やっぱりこのころにあるんですね。
正田社長
そうですね。あまり醤油だけにこだわっていてもいけなかったので、醤油を使った加工品ですね。たれ類、めんつゆですとか、冷やし中華のたれだとか、そういうものに割と早くからかじを切っていきまして、現在では売上の4分の3ぐらいがそういう液体調味料で、いわゆる単体のお醤油は4分の1というような売上構成になっています。
司会
2007年に社長に就任されましたけれども、社長就任時にどんなことを隆社長はお考えになりました?
正田社長
あまりガツガツやるタイプではないので、社員とよくコミュニケーションを取りながら、いい方向に全体のかじを取っていこうというような、その辺を意識するようにしました。ですから全社員と1対1の面接というか、話し合いをやってみたりですとか、社員とのコミュニケーションは心がけるようにしております。
司会
それは、やはり就任されたときに、もっと社内のコミュニケーションをよくすることが大切だなというのを実感したからですか。
正田社長
そうですね。今は360人ぐらい社員がいるんですけれども、恥ずかしい話、全員と話したこともないですし、顔と名前が一致しないと。昔からいる方はわかりますけれども。そういうのはちょっとどうなのかなと思って、まずは全員と面談をしました。本音が聞きだせるかどうかとか、そういうことは難しいと思うんですけれども、私はこんな人ですよと、どっちかというとこっちを知ってもらおうかなというようなことを考えながらお話をしていましたけどもね。
司会
やっぱりフェイス・トゥ・フェィスで話をするという中で、信頼関係が生まれていったりとか、そういったことが今後大切だという思いが隆社長の中におありだったんですね。
正田社長
そうですね。はい。
司会
業績も大切だけれども、まずは社内でのコミュニケーションをよくしようということを、就任されたときになさったわけですね。
正田社長
はい。

ネーミングライツの取得

司会
皆さんもよくご存じだと思うんですけれども、前橋市にございます正田醤油スタジアム群馬。県立敷島公園県営陸上競技場の愛称命名権、いわゆるネーミングライツを取得してこの名前を付けたのが、社長の就任の翌年、2008年のことですけれども、これはやはり社長のアイデアからですか。
正田社長
そうですね。まあ、ちょっと社員から「こんなのがありますよ」と言われて、試しにアプライしたんですけれども、当社、業務用中心なものですから、正田醤油という名前がそうあまり広く知れ渡っていないと思いまして。一度、当社の知名度調査なんかもちょっと陰でやったことがあるんですけれども、50歳以上ぐらいの認知はそこそこあるんですけれども、それ以下は、特に若い世代の認知度は低かったというのもありますので、ちょうどJリーグのサッカーチームの本拠地だと、当社の知名度の低いところにうまくヒットするかなと思ってやってみました。
司会
反響はいかがですか。
正田社長
おかげさまでいい手応えがあると思います。
司会
今、お話を聞いていきますと、社員の方からこういう声が挙がったというところでは、やっぱり社内のコミュニケーションをというのをお考えになった社長のお気持ちが、きっと社員の方々にもつながって、こういったアイデアになっていったんでしょうかね。
正田社長
そうですね。まあ、そういうことですね。
司会
個人消費者へのアプローチというところでは、多くの、特に若い方が正田醤油を知るきっかけにもなったと。
正田社長
はい。
司会
ちなみに県内の県有施設でもこのネーミングライツを取得したのは初めてという意味では、インパクトもおありだったでしょうね。
正田社長
そうですね。新聞の扱いも、ずいぶん、初めてというところを強調されていたような記憶があります。
司会
それでは、この後は正田醤油の新たな取組なども伺っていきたいと思うのですが、その前に1曲、隆社長の思い出の曲をお願いしたいと思います。これはどのような1曲ですか。
正田社長
大学生のころからジャズは好きで、レコードもずいぶん買いましたし、いろんな有名なミュージシャンが来日すると、そのコンサートに必ず行くようにしていました。で、武道館でやったジャコ・パストリアスという、当時ちょっと変人と言われていたジャズベーシストなんですけれども、それの素晴らしいライブが非常に印象的で、何年かたってからレコード化されましたので、当時を懐かしむ意味で本当によく聴いている曲でございます。
司会

それではお送りいたします。ジャコ・パストリアス、82年の日本武道館でのライブアルバムからです。『ソウル・イントロ〜ザ・チキン』。

醤油の国際化へ向けた取り組み

司会
醤油の市場といいますと、日本国内だけなのかというイメージもあるんですけれども、海外への輸出も行っているそうですね。
正田社長
今や日本のお寿司ですとか、いろんな和食というのが海外からも強く評価をされていまして、特にヘルシーだということですね。やっぱり日本人の平均寿命は長いですし、非常に体に優しい食ということで認められてきていますので、海外からの引き合いというのも非常に多くなってきています。
司会
その時代の変化というのは、どのぐらい前から、社長、感じられました?
正田社長
アメリカが一番早く火がついたと思うんですけれども、これが30年ぐらい前からじゃないかなと思います。照り焼きですとか、そういう日本語が英語として共通語のようになっていったのが30年、20年ぐらい前ですね。その後、ヨーロッパに移っていきまして、今ではオーストラリアですとか、そういうところ、欧米には日本の食として、お寿司屋さんは大体大きい都市にはあるような感じだと思います。
司会
そういった中でイギリスにも工場があるということなんですけれども、これはどういったいきさつで工場をこちらに持つことになったんですか。
正田社長
かねてより、やはり一度は海外の事業、現地生産にチャレンジしようというのは思っていたんですけれども、10年ぐらい前に、イギリスのウェールズというところにある小さな食品の調味料の工場があったんですけれども、そこに技術提携を最初に行いまして、日本のお醤油のつくり方を教えてあげたりとかしていたんですが、その後、そのオーナーの方からお話があって、「会社を買ってくれないか」と言われまして、そのまま買うことにいたしました。
司会
例えばイギリスの方に受け入れられやすいとか、そういったところの研究とかはされたんですか。
正田社長
イギリスでつくったお醤油は、オーガニック、有機原料でつくるお醤油ですね。
司会
有機醤油ですか。
正田社長
はい。で、これはやっぱりヨーロッパは有機食品に対する考え方が非常に先進的なものがありまして、スーパーとかに行きますと、どんな商品でも有機のものと有機じゃないものが並んで置いてあるような。
司会
ああ、そうなんですね。
正田社長
で、値段も、日本で言うとちょっと有機のものって倍ぐらいするようなお高いイメージがありますが、ヨーロッパはだいぶ有機が普及している関係か、そんなに差がないので、どうせなら有機を買おうかなというようなお客さまが多いような気がします。
司会
イギリスでは、お醤油というのはどんなふうに使われていますか。
正田社長
主にはお寿司とセットで使われることが一番多いと思います。今、イギリスのスーパーマーケットとかに行きますと、大体お惣菜のコーナーで、サンドイッチのフェイスと同じぐらいのボリュームでお寿司のお弁当は売っています。
司会
ああ、そうなんですね。では、外食でちょっとぜいたくをするためにお寿司を食べるというより、もう皆さんの中ではポピュラーというか、スタンダードな食べ物になっているんですか。
正田社長
そうですね。ランチボックスの一つとして。
司会
そうですか。そういう意味では、必ずと言っていいほどお醤油は必要ですものね。
正田社長
そうですね。
司会
そういったところで、ヨーロッパの需要というのも伸びていったわけですね。
正田社長
はい。

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