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平成26年11月6日(第20回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:株式会社有賀園ゴルフ  有賀史剛社長
●中小企業庁からのお知らせ:国の起業・創業支援施策について
●チャレンジ企業紹介コーナー: 株式会社ユアサ

プロローグ

司会

 朝夕の冷え込みに冬の始まりを感じるようになってきました。体調管理、うまくできていますか。ご案内役の奈良のりえです。大企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送している「チャレンジ・ザ・ドリーム」。今日のトップインタビューは、関東に18店舗を展開する株式会社有賀園ゴルフの有賀史剛社長です。国内での第一次ゴルフブーム初期の1962年に高崎市でスタートした有賀園ゴルフは、現在、年間の売上高が100億円を超え、ゴルフ用品専門店としては全国3位の規模です。業界の先駆けとなる取組も数多く行っています。今年9月には高崎本店をリニューアルオープンさせ、さらなる事業の拡大を狙います。有賀社長に、会社の歩みや経営に対する考え、将来のビジョンなどを伺っていきます。また、番組後半は、土産物の卸からスタートした事業を多角化させて、製造・小売も手がけ、商品開発にも積極的な前橋市の株式会社ユアサへの訪問インタビューをお送りします。

トップインタビュー

株式会社有賀園ゴルフ 有賀史剛社長

司会
株式会社有賀園ゴルフの有賀史剛社長にFMぐんまのスタジオにお越しいただきました。今日はどうぞよろしくお願いいたします。
有賀社長
よろしくお願いします。
司会
ギンガムチェックのブレザーをお召しになっていて、とってもスレンダーですね。
有賀社長
社長になって、実は周りの方から「もうちょっと社長らしく、恰幅がいいように、太ったほうがいいんじゃないか」とかってよく言われるんですけど、今のところ、まだ体型維持できています。

創業は北関東初のゴルフ練習場

司会
有賀園ゴルフは、お父さまの有賀明会長が1962年(昭和37年)に設立し、史剛社長が2代目ということなんですが、会長から創業のころの話を聞くこともありますか。
有賀社長
はい、頻繁にありますね。
司会
スタートは、北関東初めてのゴルフの練習場だったと聞いておりますが。
有賀社長
今の会長が大学を卒業して、東京で就職するにあたって、証券会社に入社しました。やはり高度成長期だったので、これからのスポーツはゴルフだっていう雰囲気があり、東京を中心に練習場もちらほらありました。その中で、たまたまゴルフに出合って、ゴルフの面白さに、もうのめり込んでしまったと。それで、こんな楽しいゴルフ、自分で商売したほうがいいっていうんで、群馬に戻ってきて、練習場を始めたわけです。当時は、東京では多少ゴルフはありましたけれども、群馬県はおろか北関東でゴルフっていうのはまだ全然発展もしてないですし、男の職業としては、人を遊ばせてお金をもらうなんていうのは駄目だと、親戚の県議の方とかから言われたそうです。でもゴルフの魅力に取りつかれていましたから、一念発起してゴルフの練習場を始めました。いざ始めたら、連日大にぎわいで、順番待ちが出るぐらいすごかったらしいです。北関東で初めてだったので、群馬県はもちろんのこと、茨城とか、県境の地域からも練習に来たっていう話を聞いています。
司会
本当は需要があったということなんですね。
有賀社長
そういう時代になりつつあったときだったということでしょうね。
司会
そのゴルフ練習場をスタートして、ゴルフ用品の販売も始めたそうですね。
有賀社長
そうですね。練習するにあたって、試打クラブ等は用意していたらしいんですけれども、「やっぱり自分のクラブが欲しい」とか、「着るものないの?」っていうお客さまの要望の中から、ゴルフ用品を取り扱うようになりました。
司会
そういった中で1982年、20年後に2店目となる太田市内にお店がオープンしたというふうに聞いているんですけれども、順調に進んでいったということなんですか。
有賀社長
会長の話ですけれども、要するに、やはり自分がゴルフは好きじゃないですか。ですから、当時は事業意欲というのがあったかどうかは僕もちょっとよくわかりません、まだ子どもだったので。ただ、ゴルフが好きで、もう毎日のようにゴルフに行って、仕事も一生懸命していたと思うんですけれども、やはり好きで始めたゴルフですから、まず自分がうまくなろう、試合に勝とうとかっていう意欲のほうが高かったと思うんですよ。ですから会社を大きくしようとか、あまりそういうのが、そのときはまだ会長も若かったと思うので、なかったと思うんですよね。で、2店目となる太田店なんですけれども、何で出店したのかというきっかけは、82年というと、ゴルフの第二次ブームみたいな時期で、ゴルフがワーッと沸いていたんですね。そのような中で、東京資本が群馬にも進出してきましたので、群馬の売上が取られてしまうという危機感を持って、我々も多店舗展開しなきゃいけないだろうと考えました。そして、まずは富士重工系の企業の多い太田に出したわけです。
司会
そういう背景もあってですか。
有賀社長
太田に出しましたら、見事に当たって、本当に連日連夜、お客さまが押しかけて、非常に栄えていましたね。

トーナメント運営会社での修業を経て入社

司会
そして、史剛社長が有賀園ゴルフに入社したのはいつぐらいになりますか。
有賀社長
大学卒業後、社長になる、ならないは別として、入社して有賀園のために仕事をするんだろうなというのは思っていましたけれども、うちのおやじは非常に厳しい人なので、取りあえず3年間ぐらいは、ちゃんとほかの飯を食ってこいと、そういうふうに言われまして、ダンロップスポーツエンタープライズっていう会社に入社してから、有賀園に入りました。
司会
では、まずはそのダンロップの関連の会社に入られたということなんですけれども、ここではどのようなお仕事をされたんですか。
有賀社長
ゴルフのトーナメント運営の会社なんですよ。トーナメントを1から10まで全て仕切る会社で、年間60試合ぐらい試合を持っていました。
司会
毎週ですね。
有賀社長
もう毎週。それぐらいゴルフのトーナメントもブームでしたし、スポンサーさんも気前がよかったというか、景気がよかったですから、非常にトーナメントにお金をかけていた時代ですよね。
司会
そのときに、史剛社長はその運営をされていたんですか。
有賀社長
そうですね。運営といっても、そんな格好いいものじゃなくて、もう使いっ走りみたいな感じで、いざ初出社すると、「明日からここに行ってくださいよ」とゴルフ場のコピー用紙を1枚渡されて、茨城だったんですけれど、行ったわけです。で、もう右も左もわからない状態で、そういう体育会系の会社なので、一から教えてくれるとか、そういうことは一切なかったですね。
司会
見て覚えなさいという。
有賀社長
周りの人はみんな忙しく走り回っていましたので、聞くこともできなくて、唯一聞けるのが学生アルバイトで、彼らに聞いて、「有賀さん、こうやってやるんですよ」と教えてもらったのですが、社会人1日目にして、「ああ、何なんだろうな」と思いましたね。それで、まあ無事にその1週間を終わって、で、日曜日の午後に、「じゃあ次はこの会場だから」っていう形で、次の会場を渡されて、「明日の朝、6時にコースに集合だから」みたいな感じで、先輩の後を付いていって、茨城からその日のうちに大阪に入るんですよ。次に東京に帰れたというか、自分の家に帰れたのが8月の末です。そういう会社でしたね。
司会
で、ここでの修業というのは、どのぐらい続いたんですか。
有賀社長
3年間いたんですけれども、この会社のいいところっていうのが、入社2年目にして結構大きなトーナメントを任されるんです。
司会
うわあ、すごい。
有賀社長
今はもうないんですけど、僕が2年目で担当したのがサントリーオープンという、これも本当に当時として見れば、もう夏の一大イベントみたいな男子のトーナメントだったんですけれども、そのトーナメントの大会運営担当者。もちろん上司はいましたけれども、実務的なことは全部2年目の自分がやって、で、ケビン・コスナーが、たまたまそのときゴルフの映画を撮ったんですよ。それで急遽、その番宣に来たいと。
司会
ええっ、ケビン・コスナーがですか?
有賀社長
ケビン・コスナーが。ついては、サントリーオープンのプロアマに出て番宣したいんだけどという話が急にきたり。で、どうしましょうとスポンサーと話したり、あとは電通とか博報堂とか間に入っていますから、そういうところと話をしたり、そういう突発的なことが頻繁に起こるわけですよ。だからそういう現場力っていうのは、そこで磨かれましたよね。
司会
濃密な3年間でしたけれども……。
有賀社長
そうですね。
司会
その後、入社をなさいました。1997年、24〜25歳での入社になりますか。
有賀社長
はい、そうですね。
司会
社員として見るお父さまの姿というのは、いかがでしたか。
有賀社長
いや、やはり厳しさというのは、どの経営者にも負けないなというのは感じましたね。だから非常に怖かったです。見習うところとか、すごいなと思うのは、体が丈夫なんですよ。本人曰く、「俺は78年間、風邪をひいたことがない」と。
司会
今、78歳でいらっしゃるんですね。
有賀社長
今、78歳なんですけれども。で、まず体が丈夫です。人より強いというのは、これはもう社長というか、経営者として一番大事なことなんじゃないかなと思います。やっぱり社長とかトップが同じようなことをして、「ああ、疲れた」とか、「風邪ひいちゃった」と言うと、社員も困るし、もう情けないなとなりますよね。でも、会長が風邪ひかないものですから、副社長も、自分も、役員なんか「風邪ひいた」なんて言えないんですよ。
司会
弱音を吐いてはいけないわけですね。
有賀社長
そうなんです。
司会
ところで、有賀園は90年代にも積極的な出店を行っていますよね。このあたりというのは、どういう戦略があったんでしょう。
有賀社長
バブルはもちろん終焉しつつありましたけれども、ゴルフ自体は、多少の時差というか、そういうのもありまして、やはり一度始めると、ゴルフってなかなかやめられないですし、非常に楽しいものなので、ゴルフ業界自体は、まだそんなに落ちぶれたという感じではなかったんですよ。当時はタイガー・ウッズが出てきて、破竹の勢いでメジャートーナメントをバーッと勝っていった時代ですから、見るのも楽しいし、やるのも楽しいっていう時代だったので、そういう中で南下政策というのを採っていくわけです。
司会
1997年が東京進出の年ですね。
有賀社長
そうですね、はい。
司会
ここまでは有賀園ゴルフの創業時から史剛社長の入社のころのお話などを伺いました。それではここで1曲お届けしましょう。今日は史剛社長に選んでいただいた曲をお送りしたいと思います。
有賀社長
ニール・ヤングの『孤独の旅路』。これ、非常に古い歌なんですけれども、この曲にたまたま出合ったのが、ティーンエイジのとき、18から19歳ぐらいのときに、あるスポーツのビデオを見ていたらこの曲がかかっていて、すごいいい曲で、今もたまに聴いている曲ですね。
司会

それではお届けしましょう。ニール・ヤングで『孤独の旅路』。


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