信用保証協会とは三つの支援保証利用のご案内コンプライアンス・個人情報情報公開
保証協会へのアクセス制度検索ご相談窓口よくある質問リンク集
群馬県信用保証協会トップページ > チャレンジ・ザ・ドリーム >


平成27年6月4日(第27回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー: 赤城グループ 小倉基宏社長
●保証協会からのお知らせ:創業チャレンジ資金と女性・若者・シニアチャレンジ資金について
●チャレンジ企業紹介コーナー:株式会社アート

プロローグ

司会

 こんにちは。ご案内役の奈良のりえです。大企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送しているチャレンジ・ザ・ドリーム。今日のトップインタビューは、自動車教習所や自動車整備士養成学校を運営する赤城グループの小倉基宏社長です。赤城グループは、伊勢崎市の赤城自動車教習所をはじめ、合わせて7つの自動車教習所と、群馬自動車大学校などの専門学校を運営しています。自動車王国と言われる群馬県ですので、車関連の仕事はニーズが高そうですが、それだけにご苦労や工夫もあるのではないでしょうか。また、群馬自動車大学校では、現在、学校を舞台にした青春映画を制作中で、この夏に公開されます。このあたりのお話も併せて伺っていきます。番組後半は、木綿や化学繊維に紫外線吸収などの絹と同じ機能を加える技術を持っている桐生市の株式会社アートへの訪問インタビューです。

トップインタビュー

赤城グループ 小倉基宏社長

司会
自動車整備士養成学校や自動車教習所を運営する赤城グループの小倉基宏社長に、FMぐんまのスタジオにお越しいただきました。小倉社長、今日はどうぞよろしくお願いいたします。
小倉社長
こちらこそよろしくお願いいたします。
司会
赤城グループは、伊勢崎市赤堀今井町の赤城自動車教習所をはじめ、合わせて7つの自動車教習所があり、赤城自動車教習所に隣接して群馬自動車大学校も運営しているそうですね。
小倉社長
はい。
司会
実は、東京でも自動車学校を運営しているそうですが。
小倉社長
はい。東京にも東京自動車整備大学校がありまして、ほかにも、早稲田美容専門学校、そして新宿鍼灸柔整歯科衛生専門学校と、合計3つの学校があります。

赤城グループの歴史

司会
幅広く展開されている赤城グループなんですけれども、そもそもの歴史をひも解きますと、自動車大学校と教習所というのは、どちらが先に始まったんですか。
小倉社長
創業した時期は同時なんですけれども、昭和38年に当時の佐波郡赤堀村(現在の伊勢崎市)に赤城自動車教習所、それからその一部門として自動車技術学校をつくりまして、昭和42年に、技術学校部門を独立させたということになります。
司会
創立者は、小倉社長のおばあさまに当たる……。
小倉社長
はい。小倉朝香でございます。
司会
そして、お父さまが二代目として事業を拡大されました。お父さまは小倉クラッチの前社長の一郎氏とご兄弟でいらっしゃるということなんですね。
小倉社長
はい。そうです。一郎さんが長男で、私の父、小倉基義が次男という、兄弟でございます。
司会
そして、お父さまが事業を大変拡大されていきましたけれども、そのころのご様子というのは、社長は覚えていらっしゃいますか。
小倉社長
昭和50年ぐらいから、父が教習所の買収を始めていったのですが、思い出としては、父はしょっちゅう家にいなかったということですかね。50年から56年ぐらいまではかなりのスピードでM&Aをしていましたので、家にいなかったという印象です。
司会
そのころもうM&Aをされていたということなんですか。
小倉社長
そうですね。50年ぐらいから一時期、教習生の減少という傾向があったらしくて、教習所の経営者が手放すような時期があったようです。
司会
そのときに、むしろそれがチャンスだということで、お父さまは買収をしたわけなんですね。
小倉社長
そうですね、はい。
司会
ほかの経営者の方がうまくいかなかったところを買って、うまくいく、採算が取れるという見込みはあったんでしょうか。
小倉社長
これは聞いた話なんですけれども、赤城自動車教習所というのは、今も畑のど真ん中にありますが、その当時は本当に何もない野原の中にあったそうです。ところが買収したそれらの教習所は、見てみると、民家がたくさん周りにあったそうです。
司会
立地条件はよかったんですか。
小倉社長
立地条件が赤城教習所よりもはるかによかったと。ですから、赤城教習所と同じような経営をしていけば必ず成功するというふうに父は思っていたそうです。
司会
なるほど。教習所も自動車大学校も、もう歴史がありますので、かなりの卒業生がいるんでしょうね。
小倉社長
ええ。教習所については、私どもグループ7社の卒業生は年間1万人でございます。
司会
1万人ですか。
小倉社長
はい。で、群馬自動車大学校については、今、約9,400名の卒業生がおります。大体、群馬県のディーラーさんに就職させていただいているんですけれども、7割、8割ぐらいのディーラーさんの整備士は、私どもの卒業生だと思います。

赤城グループ入社まで

司会
いつかは会社を継ぐんだな、なんていう気持ちが芽生え始めたのは、いつぐらいですか。
小倉社長
大体高校生ぐらいから、継ぐのかなという感じはありましたね。
司会
やっぱり、そうですか。基宏社長は大学を卒業した後に、一度別な会社にお勤めをされていて、その後に赤城グループに入社したというふうに伺っているんですけれども。
小倉社長
はい。大学時代に留学経験が1年ありますが。
司会
どちらに留学されていたんですか。
小倉社長
オーストラリアのほうに1年間、留学と言っても遊学。遊びに行かせてもらったんですけれども。
司会
いや、もう世界を見るというのは大切なことですよね。
小倉社長
で、うちの家業も、専門学校を経営しているということで、英会話学校に入社をしたんですけれども、引き合いがあって、7カ月ぐらいで退社をして、次に日本化学発光株式会社っていう、ディズニーランドで売っているブレスレットですとか、夜店で売っているブレスレットですとか。
司会
こう、発光する、光る……。
小倉社長
発光体ですね。
司会
ええ。
小倉社長
コンサートで使っている、そのメーカーに就職をいたしました。
司会
それは何か、語学力が買われてとか、そういうことで、ですか。
小倉社長

ええ、多少英語がしゃべれていたものですから、その会社がやはりヨーロッパですとか、アメリカですとか、東南アジアに、その発光体を輸出していたので、その関係で、「じゃあ小倉君、来てみないか」ということで、行かせていただきました。

赤城グループでの最初の改革

司会
社会人としての第一歩を、そういってほかの会社でスタートをして、そこでの経験などもその後に生かされたのかなと思うんですけれども、赤城グループに入社したのは、そうしますといつごろですか。
小倉社長
はい、私が入社したのは29歳、30歳になる前のときでして、約5年間、その日本化学発光株式会社に勤めさせていただき、父のほうから、そろそろ帰ってこないかと。
司会
30歳を前に。
小倉社長
はい、帰ってこないかということで、退社をして、赤城グループに入社をいたしました。
司会
そのときは、どんなお気持ちで入社したんですか。
小倉社長
経験を生かしながら赤城グループ発展のために頑張っていこう、という意気込みで入社をいたしました。
司会
意気込み、プラス、プレッシャーなどはありませんでした?
小倉社長
プレッシャーはかなりありました。
司会
代表取締役副社長として入社をされたということですが。
小倉社長
ええ、それもプレッシャーの一つだったんですけれども、私、営業と輸出入をやっていましたので、個人的には営業部長ぐらいで帰ってくるのかなと思いましたら、「代表権を持った副社長で戻ってこい」というふうに言われたもので、私自身もびっくりして帰ってきたような状況でした。
司会
そして、藤岡市内の柳瀬橋教習所を任されて、ということなんですけれども、気持ちとしては、引き締まる思いだったのではないですか。
小倉社長
父は覚えてないようですけれども、「柳瀬橋教習所を任せるから、自分の好きなようにやってみろ。つぶしてもいいから」というふうに言われました。1年間はずっと、どういう業務をしているのかな、うちの職員、指導員はどういう動きをしているのかな、または、今置かれている我々の環境、マーケットの変化はどうなのかな、ということで、リサーチも含めて、柳瀬橋教習所を取り巻く環境、または群馬県の環境等を見させていただきました。そういう中で、15年後、もしくは20年後、18歳人口が減っていくのは間違いない、少子高齢化が進んでいくのは間違いない、というのが、わかってきたんです。けれども、さて、柳瀬橋教習所の職員はどうなのか。古い方は、教習所のイメージっていうと、まず、怖い、怒られる、横柄だというような印象を持たれていると思うんですけれども(笑)。
司会
教官のイメージですね。
小倉社長

教習所の教官ですね。横に座って威張っていたと。まさに私が入社した当時はそのような状況でした。そういう中で、もう15年後、20年後、18歳が減ってくるんですよ、今から、教習生ではなくて、お客さまだと考えて対応していきましょう、というふうに取り組みを始めていきました。

司会
サービス業のような部分も考えていかなきゃいけないと。
小倉社長
そうですね。もう我々はサービス業に徹していこう、という意識改革を、2年目ぐらいからし始めました。
司会
ただ、今までは先生として指導をする立場にあった方たちが、いきなりお客さまへのサービス業だという、それこそ逆転現象に、教官たちはどんな反応でした?
小倉社長
もうなかなか。「三代目さん、何を言っているんですか」と。
司会
ああ、まずそこから入るわけですね。
小倉社長
「会社を見てください」と。「こんなにたくさん教習生はいます」と。「ロビーを見てください」。
司会
予約待ちだったり。
小倉社長
「予約待ちです。何がお客さま対応ですか。何がサービス業ですか」っていうのが、ほとんどの社員の方々の意見というか、態度に現れていたというところですかね。
司会
その反発をしていた教官たちを、どのように、改革というか、意識を変えていったんですか。
小倉社長
まずは、あいさつから始めましょうとか、基本的なところから始めたんですけれども、「三代目、副社長、何をやっているんですか」と、辞めていく教官の方も……。
司会
何人かいらっしゃいました?
小倉社長
何人かじゃないんですね、10人ぐらいは。
司会
10人。そのころ、何人ぐらいの教官が?
小倉社長
30名の教官の方がいたんですけれども。
司会
3分の1が……。
小倉社長
辞めましたね。
司会
その辞めていく状態というのは、大体どのぐらい続いたんですか。
小倉社長
1年ですかね。
司会
1年間ですか。
小倉社長
父も、あるとき柳瀬橋教習所に来まして、「このままいったらつぶれるぞ」と言われて、結果的につぶれそうにはなるんですけれども……。
司会
あ、そこまでいったん落ち込みましたか。教官が辞めて……。
小倉社長
もう売上が下がって。1対1ですので、教える人間がいなければ、その分、売上が上がらないというところですので。
司会
それが変わり始めたのは、どんなことがきっかけでした?
小倉社長
その当時、就職氷河期だったんですね。特に女子。女性の短大、大学の女子の就職率が非常に悪かったんですね。求人を出したら、女性の指導員候補生の応募がかなりありまして、約10名ぐらい、女性の指導員候補生を採用することができまして、女性の指導員が多くなったというところですかね。
司会
就職氷河期という一つのターニングポイントが、赤城グループにとっては大きな変わるきっかけになったんですね。
小倉社長
そうですね。女性にターゲットを絞ったっていうのがよかったかもしれませんね。
司会
確かに、優しくてきれいで若い教官の方がいらしたら……。
小倉社長
そういう教官に教習されたいと……。
司会
教習されたいと(笑)。
小倉社長
気持ちはあったみたいですね。若い、18歳の男子にはですね。
司会
ああ、そうですか。そういった中で、口コミでたちまち評判が広がっていったと。
小倉社長
そうですね。
司会
そこからは、では順調に意識改革も進み、だんだん教官の方たちのお気持ちというのも変わっていきました?
小倉社長
徐々に変わっていったようなときですね。ですから女性が入ってきたことによって、その女性目線で見るサービスの提供ができてきた。男性特有の横柄な言葉づかいですとか、そういったものもだんだん減ってきたっていう時期ですね。
司会
波乱はあったものの、結果的には改革に成功した。
小倉社長
成功まではいかないですけど、まあ、元の売上に戻ったということですかね(笑)。
司会
これはまさに小倉社長の1つ目の、副社長時代のイノベーションということになりますね。さあ、このあとまた引き続きお話を伺っていきたいのですが、ここで1曲お届けしましょう。選んでいただいた曲は、留学していたころの思い出の曲だそうですね。
小倉社長
はい。留学したときに、洋楽を聞くやっぱり機会が多くて、そのときによく聞いていた曲でございます。
司会

それではお届けいたしましょう。レイ・パーカーJr.で『ウーマン・ニーズ・ラブ』。

チャレンジ・ザ・ドリーム目次



群馬県信用保証協会 〒371-0026 群馬県前橋市大手町3-3-1 TEL 027-231-8816