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平成27年8月6日(第29回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:株式会社しまむら 野中正人社長
●保証協会からのお知らせ:女性創業応援チーム「シルキー クレイン」の発足について
●チャレンジ企業紹介コーナー:株式会社赤城深山ファーム

プロローグ

司会

 こんにちは。ご案内役の奈良のりえです。大企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送しているチャレンジ・ザ・ドリーム。今日のトップインタビューは、全国にファッションセンターしまむらを展開する株式会社しまむらの野中正人社長です。番組では県内の企業を中心にご紹介しているので、しまむらって群馬の会社だったんだと思われた方もいるかもしれませんが、さいたま市に本社がある会社です。では、群馬とのつながりはといいますと、野中社長が群馬県の出身なんです。大学卒業後にしまむらに入社し、10年前の2005年に44歳の若さで社長に就任。不況の中でも業績を伸ばし、注目を集めてきました。サラリーマンから経営者へ。野中社長に成功のポイントなどを伺っていきます。また番組後半は、こだわりのそば栽培で成功している渋川市の株式会社赤城深山ファームへの訪問インタビューをお送りします。

トップインタビュー

株式会社しまむら 野中正人社長

司会
全国にファッションセンターしまむらを展開する株式会社しまむらの野中正人社長に、FMぐんまのスタジオにお越しいただきました。今日はどうぞよろしくお願いいたします。
野中社長
よろしくお願いします。
司会
しまむらは、いろいろなファッションが手ごろな値段で買えるので、重宝されている方も多いと思うんですね。10代の女の子の人気も得まして、しまむらの服でコーディネートする「しまラー」なんていう言葉も生まれましたよね。
野中社長
はい。
司会
これは社長がというか、しまむらで仕掛けたものですか。
野中社長
いえ、とんでもないです。これはモデルの益若つばささんが言い始めて、それがはやったっていいますか、皆さんに知られるようになったという。私たちが特に仕掛けたということではないです。
司会
そうだったんですか。
野中社長
はい。

入社時の思い出

司会
野中社長は群馬県のご出身なんですよね。
野中社長
はい。
司会
どちらのご出身ですか。
野中社長
前橋市の出身です。大学に行くときに東京のほうに行きましたけど、それまでは生まれてからずっと前橋です。
司会
高校まで前橋ですか。幼いころであったり、高校時代のことを振り返ってみると、例えば社長になりたいとか、夢はありました?
野中社長
いえいえ、自分が会社を経営するっていうイメージはまるっきり持ってなかったです。
司会
あ、そうなんですね。
野中社長
とにかく平凡に、普通に。
司会
中央大学卒業後にしまむらに入社をされたと伺っています。しまむらを選んだ理由は、どんなところからだったんでしょうか。
野中社長
ファッションに非常に興味がありまして、と言うことにしているんですけど、実はまるっきりファッションには興味なかったんですけど、初任給がよかったんですね。あと、高校の同級生に誘われて、「行ってみない?」っていうのが一番最初のきっかけでした。その後、いろいろと企業を回りながら、最終的にはしまむらに入社したというような感じです。
司会
入社した当時の会社の様子って覚えていますか。
野中社長
最初はお店に配属されたんですけれども、「ありがとうございました」っていう、小売業の当たり前のことが、最初はなかなか違和感があって、小売りって大変だなっていうのをすごく感じました。ただ、お買い物していただいて商売っていうのは成り立つんですよとか、先輩や上司にいろいろと教わっていく中で、でも1カ月ぐらいかかったんですかね、普通にありがたいと思って「ありがとうございます」って言えるようになるのに。それぐらいやっぱり時間はかかるものだったなっていうふうには覚えています。
司会
ご自身の中で、目標とかを持ってやってらっしゃったんですか。
野中社長
なかったんですよ。私が入社したころっていうのが、埼玉県を中心に、お店の数が49店舗だったんですね。大体、年間10店舗ぐらいの出店をするようなところから、10が20になり、30になりという、非常に多店舗化する時期だったんですね。その現場にいたということもあって、毎年のようにいろんな仕組みが変わっていくんですね。最初の3年、4年、5年ぐらいまでは、理解して、それを自分の身に付けていくのが大変だったなという感じはします。
司会
会社自体がちょうど過渡期だったわけですね。
野中社長
そうですね。しまむらが1988年に東証二部に上場しているんですけども、ちょうどこのころ、仕入れの仕方自体もまるっきり変わってしまったんですね。
司会
どういうふうにですか。
野中社長
昔の仕入れの仕方、日本的な仕入れの仕方っていうのが、もう大勢でして、ご多分に漏れず、しまむらも同じような仕入れの仕方。仕入れはするんだけれども、「売れなかったら返してもいい?」とか、「ちょっと利益が足りないから値引きちょうだい」とか、そういったことが普通に行われていたんですね。売れなければこれは返しますよということで、その分、高く仕入れするんですね。リスクを原価に乗っけるって言うんですけど、これを全部やめちゃいましょうと。で、とにかく返品ですとか、未引取りですとか、値引きをもらいにいくだとか、契約にないことも含めて交渉で、なんていうのを全部やめていって、契約どおりのきれいな商売をしていきましょうよと、お取り引きしましょうよということに、ある日から変わったんです。そんなのできるはずないよと、みんな思いました。バイヤーもみんな思いましたし、お取引先も、どうせ返すんでしょうと。だから、なかなか安くならなかったんですね。でも、1年、2年と続けていくと、本当なんだということになって、しまむらは言ったことは守る会社だっていうふうに、やっと思ってもらえるようになったんですね。そこからはやっぱり仕入れの原価が下がっていきました。その分、安く売ってもきちんと利益が残る仕組みっていうのが、また順回転で動き始めたということだと思います。
司会
そうなんですね。

業界に先駆けて電子化を推進

野中社長
うちの会社が、パソコンの導入は早かったです。端末って言っていましたけれども、例えばバイヤー、仕入れをしている最初のときは、伝票を1冊持っていって、これをじゃあ何枚ね、幾らねって言って、伝票を自分で書いていたんですね。
司会
手書きで、ええ。
野中社長
バイヤーになって3年目、要はきれいな取引になった後あたりに、バイヤーは全部、端末を持っていきなさいと。この端末が8キロあったんですよ。
司会
8キロですか。
野中社長
8キロ。それにプリンターを付けて、こんな大きなかばんに入れて持っていくんですよ。全部合わせると10キロ。業界の中では一番早かったですね。
司会
早かったんですね。
野中社長
各部署に端末が置かれたんですよ。お店への指示、依頼等々は、全部この端末を通してお店に送信されるように変わっていったんですね。値下げですとか、何か依頼をするものは、全部端末を通してお店に入力して、お店は依頼がそのままババババっとプリントアウトして出るっていう、そういうふうな仕組みになっていきましたね。ただ依頼するだけしか最初は能がなかったんですけれども、今はエクセルですとか、ワードですとか、普通にパソコンの中にありますけど、当時はランプランっていうのがあったんですよ。98ノートとかいうやつの。
司会
ええ、ええ。
野中社長
これで集計をするなんていうことを、やっていきましょうよということを、各部署単位で始めたんですね。私は仕入れの後は、在庫のコントロールをするコントローラーっていう仕事をやっていまして、仕事に追いかけられるのは嫌だなっていうのは、このころすごく思ったことです。
司会
仕事に追いかけられるというのは、どういうことですか。
野中社長
これをやらなきゃいけない、あれをやらなきゃいけない。何かを一つミスしたりすると、1回全部取り消して、正しくやり直す。1回ミスすると、3倍の労力がかかるわけなんですね。それから、もともとの必要なデータが手元にないと、その都度データをつくりにいく。同じことを2回、3回、4回となると、時間はどんどんかかっていってしまって、それでいて、あまり結果っていうのは、大したものが出てこないですね。同じ結果を出すのであれば、少ない時間で済めば、こんないいことはないでしょう。少ない時間で済ますためには何が必要ですか、必要なものをまずは集めましょうということで、データベースっていうのは使えるような形でつくっていきましょうということを、このコントローラーという職種で、その中でチーフコントローラーという職位で、5人のコントローラーと一緒に仕事をするときにそういう話をしていたなというのは、よく覚えていますね。自分たちで次に何をやらなければいけないという仕事を追いかけていくとなると、意外とやるべきものが見えてきて、最初のうちに全部対応していっちゃうわけですね。そうすると、障害っていうものがなくなってくるのと、必要なものがそこにありますよと。借り物レースみたいなものをやるときでも、誰が持っているかわからないと時間がかかりますけど、あの人が何を持っているというのが全部事前にわかって、レースに行ったら、間違いなく勝てるわけですよね。一番つまらないミス、いわゆるうっかりミスっていうのが多くなると、仕事が倍になるとかよく言うんですけど、倍じゃなくて3倍なんですね。3倍の仕事をやっているのであれば、ミスをしなければ3分の1ですよね。
司会
そうですね。
野中社長
楽ちんですよ(笑)。
司会
その分、ほかの仕事ができますものね。
野中社長
ええ、その分、休むんですよ(笑)。
司会
またまた。なるほど、そういう意味で、追いかける。
野中社長
仕事を追いかけているときっていうのは、ミスはあまり出てこないです。何をやればどういう結果が出るなというのが、やっぱり見えてくるんですよね。準備ができていれば、間違いなく短い時間で仕事ができますし、それで成果が上がれば、次のステップはまた楽ちんですよね。余った時間は充電でいいと思いますけどね(笑)。
司会
そこはしっかり休んでというのも大切かもしれないですしね。
野中社長
やっぱりジャンプするには、それなりのためをつくらないと、ジャンプはできないでしょうから。
司会
ちょうどそのころが、いよいよ30代ぐらいということで、時代も、そうするとバブルが崩壊してきて、今度は景気が後退しますよね。
野中社長
はい。
司会
そんな中で、会社というのはどういう状況でしたか。
野中社長
ちょうどそのころというのが、会社がチェーンストアとして拡大期にあったんですね。チェーンストアというのが小売りの中では最強のモデルだということで、それを徹底して実践していったというのが、しまむらなんですね。このころもう、標準化されたお店というのを数多く出していきましょうということを推し進めまして、ですから、景気が悪いからとかそういうことではなくて、まだまだ出店余地はあると。まず、ドミナント出店といって、エリアを決めて、そこに集中してお店を出して、そこに商品を配送するための物流センターを置いて、それを全国に広めていったと。同じタイプのお店、同じ標準化されたお店で、標準化された運営でとなると、小さな本社で、どんどん、どんどん出店できていったんですね。
司会
お話を聞いていて、しまむらという会社はシンプルで、効率化を図っていて、なおかつ徹底的に行っていくというのがキーワードとして見えてまいりました。この後は、2005年に社長が44歳で社長職に就任されるんですけれども、そのあたりのお話を伺っていければと思います。その前にここで1曲お届けいたしましょう。野中社長に思い出の曲を選んでいただきました。この曲を聞くとやはり、青春時代を思い出すんでしょうか。
野中社長
そうですね。まだピュアだったころを思い出します。
司会

お届けするのは、中村雅俊で『俺たちの旅』。

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