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平成27年9月3日(第30回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:株式会社うすい 柴崎龍吾社長
●保証協会からのお知らせ: 「チャレンジ・ザ・ドリーム」26年度版単行本発行について
●チャレンジ企業紹介コーナー:有限会社COCO-LO

プロローグ

司会

 こんにちは。ご案内役の奈良のりえです。大企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送しているチャレンジ・ザ・ドリーム。今日のトップインタビューは、進学塾「うすい学園」を運営している株式会社うすいの柴崎龍吾社長です。うすい学園は、現在、高崎市を中心に県内に24校を展開し、生徒数は小学生から高校生までの、合わせておよそ6,000人にのぼります。そんな「うすい学園」のスタートは、なんと柴崎社長が安中市松井田町の自宅で始めた週末だけの学習塾だったそうです。それも当初は本業にするつもりはなかったというから驚きです。それがどのようにして成功してきたのか、起業家として、また教育者として、2つの視点からお話を伺っていきます。また番組後半は、女性社長が20代で創業し、育児や介護と仕事を両立できる職場づくりを高く評価されている桐生市の有限会社COCO-LOへの訪問インタビューをお送りします。

トップインタビュー

株式会社うすい 柴崎龍吾社長

司会
進学塾「うすい学園」を運営する株式会社うすいの柴崎龍吾社長にFMぐんまのスタジオにお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
柴崎社長
よろしくお願いします。
司会
柴崎社長といいますと、FMぐんまでもレギュラー番組を持っていただきまして、もう長く皆さんに聴いていただいているので、知っていらっしゃるという方も多いと思うんですが、今日は先生という立場プラス、社長としての顔なども伺っていければと思いますので、あらためましてどうぞよろしくお願いいたします。
柴崎社長
わかりました。

自宅の学習塾からスタート

司会
さて、うすい学園のスタートなんですけれども、昭和50年(1975年)に当時の碓氷郡松井田町のご自宅で始めた、それも週末だけの学習塾だったそうですね。
柴崎社長
そうですね。ずいぶん昔の話なんですけどね。大学卒業してすぐ、土曜と日曜だけ、横川っていうところなんですけれども、そこでやっておりまして、じゃあ平日は何をしていたかということなんですけど、平日は東京にいまして。そのころ私、放送作家をやっていまして、あと、劇団を自分で持っていまして……。
司会
あ、そうですか。
柴崎社長
はい。そのほかに作家のところの秘書みたいなこともやっていまして、なんかすごく多忙だったんですね。ただ、生活費がないですから、生活費を稼いでいたっていうのが、もう恥ずかしい話なんですけどね、そんなために始めたのが学習塾なんです。最初は10人ぐらいでした。そこから、そんなに一生懸命やっていた覚えはないんですけど、どんどん、どんどん生徒が増えていきまして、学校の先生とあまりにもタイプが違うので、生徒としては面白かったのかもしれませんね。
司会
どんなところが面白かったのではないかと思います?
柴崎社長
あまり型にはまってなかった。私は芝居をやっていたので、決まりきったことではなくて、その子の力をどうやって出させるかということを割といつでも考えていたので、それが役立ったのかなという気がしますけどもね。
司会
教えるということに不安などはなかったんですか。
柴崎社長
ああ、それはいっぱい勉強しましたね。やっぱりものを知らなきゃいけないので、勉強はたくさんしましたし、また、今になって思うと、事業欲みたいなものがあったんですね。劇団をやりたいっていうぐらいなんで、何かをやりたいというのがあって、その気持ちがだんだん、だんだん、そっちの事業欲のほうに来たような気がします。
司会
自宅で学習塾を始めた4年後の1979年に、町内にもう2校目を開校していらっしゃいますよね。
柴崎社長
やっぱりどっかで負けず嫌いなんでしょうね。人よりはできるはずだとか、どうせやるならちゃんと一番でいたいとか、そういうのは結構強かったですね。ですので、ある地域があって、そこのところがちょっと割と生徒がいっぱいいるなと思うと、ちょっとやってみようかとか、人を雇用するように、アルバイトとかを雇うようになってきたので、じゃあこっちでやってみようとか、なんかそういう、いわゆる拡大する意識っていうのは常にあったような気がします。

高崎市への進出とLLシステム導入

司会
同じ年には高崎市鼻高町に3校目も開校しているということで、負けず嫌いがどんどん、どんどんとエスカレートしていきましたね。
柴崎社長
そうですね。高崎に出たかったんです。私、高校、高崎でしょう。碓氷郡の田舎にいたので、高崎というのはすごい憧れがあって、何とか高崎で通用したいなという気があったんですけれども、やっぱり高崎はそのころ大きな学習塾がいっぱいありまして、怖かったですね。何のノウハウもないし、自信もないですから。それで鼻高という、ちょっと高崎の一番安中寄りの外れのところで、まあ始めてみたと。それが結構うまくいったので。
司会
そのときにはもう、拡大路線が見え始めてきたころですか。
柴崎社長
そうですね。このころ放送作家のほうが、ちょっとこう、あまり一生懸命やらなくなってしまいまして……。
司会
塾がお忙しくなって……。
柴崎社長
そうですね。それでこちらのほうに結構、本腰が入ってきたということもあると思うんですけれども、うまくいったのは、たぶん片岡に教室を出したんですけれども……。
司会
その後にまた?
柴崎社長
はい。それが思いのほか当たって、今でも忘れないんですけれども、開校説明会の1時間前に人が並んだんですよ。
司会
行列のできる開校説明会。
柴崎社長
そうです。びっくりしました。初めての経験でした。「あれ?」と思ったんですね。たぶん鼻高と片岡は近いので、たぶんそれ、評判もよかったのかもしれないですね。
司会
口コミで広がっていったわけですか。
柴崎社長
と思いたいですけれども(笑)。そのころに、いい社員も採れるようになってきたので、そこから結構勢いがついてきた感じですね。
司会
その片岡の教室では、何か新しいものなどを取り入れたんですか。
柴崎社長
そうですね。最初のほうは普通にやっていまして、ただ、やはり高崎に、市内には大きな塾が幾つもありましたので、あそこに勝ちたいと。でも、塾っていうのは結局、進学実績だとか、評判でしょう。私の塾は新参者でしたので、じゃあ何かほかと違うことをというので、外から見てわかるものって何だろうと思ったときに、LLシステムというのを入れました。
司会
あのオーディオ機器というか……。
柴崎社長
こういうヘッドホンを付けて。
司会
ヘッドホンを付けて。
柴崎社長
それが結構高かったんです。今でも覚えてますね。外車が1台買えるぐらいですから、セットが。それを買いまして、最初やったところが非常にうまくいったので、そのころ幾つか教室を持ったので、全教室入れまして、「もう、いっちゃえ、いっちゃえ」みたいな形でやりました。
司会
投資額も相当だったでしょうね。
柴崎社長
そうですね。しかし、これは本当に当たりまして、「うすいは英語が強い」というふうに評判が立ちました。
司会
なるほど。人材なんですけれども、教師、先生はどのように集めていったんですか。
柴崎社長
まず最初は、自分の身の回りというか、いろんな知り合いに頼んだというのが一つですね。
司会
ああ、そうですか。
柴崎社長
次は、大学へ求人票を出しまして、学生さんを面接した。あと、求人誌に出した。でもなかなか、塾っていうのはそのころ、学生はいいんですけどね、社員としてなかなか入るっていう人は少なかったですよね。
司会
どうしてでしょうね。
柴崎社長
やっぱりステータスがあまり高くなかったんです。
司会
そのころは。
柴崎社長
はい。どうも塾っていうのは何となく、表の職業じゃなかった時代があるんです。胸を張って塾をやっているって言いたかったので、出店をしてきたときに気を付けたのは、必ず表通りに出すっていうことなんです。塾は表通りに出しちゃいけないって言われていたんです。塾にはこっそり行って成績を上げるっていう感じだった。
司会
ああ、そういう風潮だった時代で。
柴崎社長
はい。だから私はあえて表通りに出して、大きな看板を上げて、それでうちの塾にする。というのは全部、求人にもつながるんですよ。胸を張って塾の先生って言わせたい。塾っていうのは、もっと明るいものなんだという感じを出していったというのが大きかったですね。

会社設立とフランチャイズ契約

司会
1989年に株式会社うすいを設立していますけれども、この会社設立の前後にも大きなきっかけがあったと伺っています。
柴崎社長
はい。このころに東京から大手予備校が高崎駅の東口に進出という話になりまして、うち、何とかこのころは、中学生とかではまあまあ高崎の中でも、トップではないんですけど、いいところに付けていたと思うんですね。ただ、高校生もやりたかったんですが、これ、高校生、勝てっこないなって気がしたんですね。結局地元の予備校は、全部この東京の大手にやられてしまうだろうと。それだったらばって、まだ若かったですね、私も。それだったらば自分がやるしかないというふうに急に思いまして、東進衛星予備校というフランチャイズを契約をしたんです。後になって聞いたら、うちが全国第一号だったそうです。
司会
そうでしたか。
柴崎社長
はい。それでそのときに、やっぱり会社のいろいろなお金をいっぱい借りるわけですよ。何千万円っていう投資なんですね。それで、それを金融機関に提案書を持っていったら、まあ、何件も回りまして、群馬県信用保証協会さんも、そのとき初めてお世話になったんです。
司会
そうでしたか。
柴崎社長
はい。そのときに、実は私、よく、財務諸表の見方もよくわからなかったんですね、今考えてみると。これじゃ経営者として駄目なんだなっていうのを思いまして、そのころいろんな、貸借対照表とか、損益計算書の見方、税理士さんを呼んで勉強したり、本を読んで勉強したりしまして、このころ社員もだんだん増えてきていますので、社員たちの給与規程とか、そういうのを全部つくって、会社としてしっかりやっていこうというのを、もう借金をしたからこそ、そのとき初めて、まあ、遅いっちゃ遅いんですけれども、勉強し始めた。これが最初ですね。
司会
まちの学習塾から大きく法人化というふうに、かじをまた切られたということなんですけれども、それだけの設備投資、資金調達、借金が多くっておっしゃっておりましたけれども、怖さというのはなかったですか。
柴崎社長

ありましたよ、やっぱり。夜、目が覚めると、フーッと思いますよね。「大丈夫なんかなあ」。そのときに、今思ってプラスだと思うのは、それまで私は本当にワンマン経営者で、全部自分で指示していたんですね。ところが、東進衛星って新しい部門を始めたでしょう。それ、私が宣伝しなきゃいけない。じゃあ今までの中学生の指導とか経営のほうを、もう人に任せるようにしたんですね。それで私は「これで大丈夫なのかな」って、実はかなり不安だったんです。ところが、やらせてみたら、私が直接指示をしているときよりもよくなったんです。そこに助けてもらったんです。なかなか新部門のほうは利益が上がるまでに時間がかかりましたが、それを周りが助けてくれた。

司会
そこから徐々に、徐々に上向きになっていったのは、何かきっかけがありました?
柴崎社長
東進衛星に入っていろいろやっていたんですが、やっぱり自分で高校生を育てたいというふうに思うようになりまして、高校部というようなのを自分で立てたんです。そこからたぶん、会社としてちゃんとなってきたかなと。高校生になる前に、もっと小っちゃなころからしっかり育てていって、最終的には高校生になるんだということに、遅まきながら気付いたっていうのが、この時代だと思います。
司会
それが今のうすい学園の姿を本当につくっていくベースになったわけですね。
柴崎社長
そうですね。
司会
そのあたりもゆっくりと伺っていきたいと思いますが、ここで1曲お届けいたします。思い出の曲を柴崎社長に選んでいただきました。ビートルズの『レット・イット・ビー』だそうですが、どんな思い出があります?
柴崎社長
私がこれ、初めて買ったLPレコードだと思います。
司会
そうですか。お幾つぐらいのときですか。
柴崎社長
中学3年生のときですね。
司会
思い出の曲で、今も聴くことはありますか。
柴崎社長
時々聴きますよ。
司会
では、お届けしましょう。ビートルズで『レット・イット・ビー』。

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