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平成28年3月3日(第36回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:株式会社メモリード 吉田卓史社長
●保証協会からのお知らせ:女性・若者・シニアチャレンジ資金、女性創業応援チーム「シルキークレイン」について
●チャレンジ企業紹介コーナー:有限会社ネーブル

プロローグ

司会

 こんにちは。ご案内役の奈良のりえです。大企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送している「チャレンジ・ザ・ドリーム」。今日のトップインタビューは、群馬・埼玉両県で冠婚葬祭事業を展開する株式会社メモリードの吉田卓史社長です。メモリードは、ロイヤルチェスターやアルカーサル迎賓館などの結婚式場や、メモリードホールなどの葬儀場を運営しています。多くの方が何かしらメモリードの施設に行ったことがあるのではないでしょうか。このように群馬県内に定着しているメモリードですが、スタートは長崎市内で設立した冠婚葬祭の互助センターでした。それが関東に進出し、根を下ろした先が群馬だったそうです。トレンドが変化する冠婚葬祭の世界で事業を拡大してきた様子などを吉田社長に伺っていきます。そして番組後半は訪問インタビュー。スケート靴の輸入・販売などを手がける渋川市の有限会社ネーブルを紹介します。

トップインタビュー

株式会社メモリード 吉田卓史社長

司会
群馬・埼玉両県で冠婚葬祭事業を展開する株式会社メモリードの吉田卓史社長に、FMぐんまのスタジオにお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
吉田社長
よろしくお願いします。

メモリードグループについて

司会
ロイヤルチェスターやアルカーサル迎賓館などの結婚式場、それからメモリードホールなどの葬儀場を運営していますけれども、施設数は幾つぐらいありますか。
吉田社長
今、グループで、九州地区、関東地区合わせますと、冠婚式場で40カ所、葬儀場で約100カ所の施設を運営しております。そして私のほうで担当しています関東では、婚礼の施設が16カ所、そして葬儀場が48カ所の運営をしております。
司会
何かしらさまざまなシーンで私たちも足を運んだことのある施設ということなんですけれども、スタートは、卓史社長のお父さま、吉田茂視会長が長崎市内で設立した冠婚葬祭の互助センターだったそうですね。
吉田社長
はい。昭和44年に長崎冠婚葬祭互助センターとして父が創業しまして、その後、約10年後、昭和54年に関東地区に進出ということで、まずは東京に出てきたそうです。そして昭和56年に、この前橋市のほうにメモリードという会社を設立しております。で、4年後の60年に、グランドベルズ前橋玉姫殿をオープンし、62年、グランドパティオ高崎というふうに設備投資をしております。
司会
吉田社長は、お父さまが長崎で会社を設立した2年後の1971年(昭和46年)の生まれということなんですけれども、子どものころは長崎で過ごしたんですか。
吉田社長
高校卒業までは長崎のほうで育っていましたね。
司会
当時、茂視会長は結構お忙しかったんですか。遊んだりとか、そんな思い出とかあります?
吉田社長
普段、月曜日から土曜日までは、月曜日から東京、群馬、その他、協会の仕事もありましたので、ずっと出っ放しというので、日曜日だけ家に帰ってきて、子どもと顔を合わせるという生活でしたね。

メモリード入社まで

司会
吉田社長はメモリードへの入社が1997年ということなんですけれども、それ以前というのは、長崎で高校時代を過ごされてから、どのような?
吉田社長
やはり田舎にいたんで、東京に出たいという思いがものすごく強くて、高校卒業と同時に東京に出て、いろんなバイトをしたり、いろんな経験を、自分探しと言ったら変ですけれども、そういうことをやっていた。そうしてその後、アメリカの大学に行くことになるんですけれども、アメリカのほうに4年間、大学に行っていました。ただ、アメリカの大学は、入るのは簡単なんですけれども、やっぱり卒業するのが大変で、4年間いて卒業ができないというので、卒業を諦めて、日本に帰ろうということで帰ってきました。
司会
これは、アメリカの大学は、何か目的を持って行ったんですか。
吉田社長
その前に一度、ホームステイを、高校卒業した後すぐ、親がさせてくれて、そのときにアメリカのいい部分というのを、短時間ですけれども見させてもらって、やはりこれからやっぱり国際化の中で、アメリカというところを一度ちゃんと住んで経験したいという思いがありました。今考えると、ものすごく視野が広がって、やはり外から日本を見れたことが今の自分自身に生きている、経験として生きているなあと感じます。
司会
ただ、ご自身としては4年で帰ってきたという中で、将来どのように道を開いていこうと思いました?
吉田社長
帰ってきたときに父に相談をさせていただいて、横浜のメモワールという同業者の会社のほうで、同じような冠婚葬祭の営業と、葬祭の現場を経験させていただいて、この業界を知ることができたと思っています。

メモリードに入社

司会
そして、横浜の会社で修業を積まれた後なんですけれども、メモリードに入社をなさったわけですが、会社をやっぱり継ぐんだという思いが、どこかにあったということでしょうか。
吉田社長
その当時はまだ若かったこともあるので、将来、会社にずっといるのかとか、そういうのも全然考えてなかったので、いつかは自分で何か商売をやりたいなという気持ちだけはあったんですけれども、それがこのメモリードという会社を引き受けてやるのか、自分でどこかで独立をして何かやるのか、そういうことが決まって仕事をしていたという訳ではなかったです。
司会
そのような中で、最初はどんなお仕事をされたんですか。
吉田社長
私どもは、冠婚葬祭互助会という会社、つまり、毎月数千円のお金を会員さんに積み立てていただいて、冠婚葬祭の準備をしていただくというシステムを導入している会社です。まずは会員拡大、会員募集のところを、メモリードに入ってやらせていただきました。
司会
社長が入社したころのメモリードの様子というのは、どんな感じでしたか。
吉田社長
その当時は、毎年、何か新しいホールだとか結婚式場が出てきている時期でして、葬儀場がオープンすると、見学会というものを開催をして、そこに数千人のお客さまが来館をされ、そしてその中で冠婚葬祭、互助会のよさを伝えて、ご入会いただくと。多いときでは、1人の外務員さんが月100名以上の入会を取るという、まだそういう時代だったんですね。
司会
1992年に、群馬県内初の民間斎場、前橋メモリードホールがオープンしています。これは社長がお入りになる少し前、5年前ぐらいですね。
吉田社長
はい。
司会
そしてその2年後には、メモリード前橋典礼会館がオープンし、さらに2年後に高崎メモリードホール、1999年には2つの、メモリード高崎典礼会館と、川越メモリードホールもオープンされています。ちょうど99年ぐらいですから、社長が入って2年後、まあ、矢継ぎ早ですね。
吉田社長
そうですね。この当時は、誰が先にそのエリアに民間斎場を建てるかという時期だったのではないかなということで、その地域のナンバー1となる規模、そしてサービスを提供するホールを次々にオープンしていますね。その当時は市の斎場しかなかったものですから、やはり民間の斎場っていうのが目新しい時期でもあったんだと思います。
司会
互助会システムを取っている会社というのは、ほかにももちろんあったわけですよね。その中で業界自体はどうでしたか。
吉田社長
同業種の中でも、設備投資ができて、施設の拡大ができているところとできていないところ、それとあと、営業募集に力を入れて、会員拡大ができているところとできていないところというので、同エリアの中でも、やはり強いところと弱いところというのがはっきりと明快になってきたのが、私が入社後の、この業界の再編の状況かなという感じがします。
司会
業界の再編があったわけですか。
吉田社長
そのエリアの中で勝ち組、負け組というのがはっきりしてきて、同業者内でのM&A、メモリードグループの中に同エリアの同業者の人たちがグループ入りしたりということでの再編が起こりました。
司会
それではここで1曲お届けしましょう。今日は社長に選んでいただきました。MAY’Sの『I WISH』だそうですが、これはどのような思い出の曲ですか。
吉田社長
この曲は、MAY’Sの2人が、ある機会で、この曲をぜひ聞いてくださいと持ってきた曲で、その曲を聞かせてもらったときに、ものすごくいいウエディングソングになると思い、CDをリリースをした曲です。
司会

それではお届けしましょう。MAY’Sで『I WISH』。

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