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平成28年5月12日(第38回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:株式会社磯部ガーデン 櫻井丘子会長
●チャレンジ企業紹介コーナー:株式会社中島自動車電装

プロローグ

司会

こんにちは。ご案内役の奈良のりえです。大企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送している「チャレンジ・ザ・ドリーム」。今日のトップインタビューは、株式会社磯部ガーデン会長で、「舌切雀のお宿 磯部ガーデン」女将の櫻井丘子さんです。磯部ガーデンは安中市の磯部温泉にある大型温泉旅館です。時代の移り変わりで旅館・ホテル業界にも大きな変化が訪れる中にあって、成長を続けています。変化への対応や女将の仕事など、櫻井会長に伺っていきます。そして番組後半は訪問インタビュー。フロン回収機やスプレー缶処理装置などの開発・製造・販売などを手掛ける伊勢崎市の株式会社中島自動車電装をご紹介します。

トップインタビュー

株式会社磯部ガーデン 櫻井丘子 会長

司会
株式会社磯部ガーデン会長で、「舌切雀のお宿 磯部ガーデン」女将の櫻井丘子さんにFMぐんまのスタジオにお越しいただきました。櫻井会長、今日はどうぞよろしくお願いいたします。
櫻井会長
お世話になります。よろしくお願いいたします。
司会
お着物をお召しになって、本当にたおやかな振る舞いが憧れの女性のお一人で、私もずっとお会いしたいと思っておりました。
櫻井会長
とんでもない。本当はお転婆でございますので(笑)。
司会
お転婆ですか、会長? 今日は白大島のお着物ですけれども、これは訪問着のような形で、結構皆さんが正式なところで着るものとは違うんだそうですね。
櫻井会長
こういう紬系統は、お仕事着として許されている着物でございますので、今日は大島にいたしました。
司会
そうですか。なるほど。とっても粋な着こなしですね。
櫻井会長

いえ、とんでもございません(笑)。

温泉の歴史、旅館の発展

司会
磯部ガーデンのある磯部温泉のことから、まずは伺っていきたいんですけれども、磯部温泉はいつごろからあるんですか。
櫻井会長
はい。温泉のことは鎌倉時代の昔からわかっていたようでございますが、天明3年の浅間山の噴火で、今の温泉が湧出量を増してできたと言われております。ドイツのカルルスバードの温泉と同じものだということがわかりましてから、当時のお客さまも大変増えたと言われております。
司会
それから、温泉マークの発祥の地とも言われているそうですね。
櫻井会長
はい。安中市でも温泉マーク発祥の地というキャッチフレーズを使っていただいております。万治4年、1661年、大体355年ぐらい前になりますけれども、この地方の土地の境界線の争いごとを江戸表に訴える評議所に出された地図の中に、磯部温泉の場所に三本、湯気が立っている温泉マークが記入されておりまして、それが世界でも一番古いマークらしいということです。実は最近、温泉組合の若い方々が温泉マークの記念の日をつくろうということで、日本記念日協会さんというのがあるそうですね。そちらに出しまして登録になったんですけれども、温泉マークは数字の“2”を三つ合わせてお皿を敷いたようなので、2月22日を温泉マークの日と、そう決めていただきました。
司会
そうですか。
櫻井会長
ええ。それがたまたま、ぐんまちゃんのお誕生日と同じなんですよ。
司会
言われてみればそうですね。
櫻井会長
そういうわけで、地元は大変盛り上がっております。
司会
ぐんまちゃんと一緒に盛り上がっていこうと。相乗効果ですね。
櫻井会長
群馬の温泉マークという形にしていただければ、ありがたいです。
司会
今や本当に日本=温泉というふうなシンボルになっているわけですから、それを背負っていく磯部温泉ということなのかもしれませんね。
櫻井会長
そう言っていただくとありがたいです。
司会
さて、磯部ガーデンは、「舌切雀のお宿」をキャッチフレーズにしているんですけれども、これは会長、どうしてですか。
櫻井会長
昔からこの辺りには舌切雀伝説が色濃く残っていたそうでございます。明治の時代に巌谷小波という童話収集家、童話作家の先生がお見えになって、当地にご逗留いただき、「ここが舌切雀のお宿と言っていいだろう」と、折り紙をつけていただきました。そのころから商標にも使わせていただいております。
司会
もう皆さん、舌切雀のお宿ということで、磯部ガーデンをよく知っているという方って多いと思うんですよね。
櫻井会長
ありがたいことです。
司会
それもある意味、戦略でしたね、女将。
櫻井会長
はい、さようですね。ご先祖様に大切なものを残していただきました。
司会
そうですね。今で言うイメージ戦略をご先祖様のころからなさっていたということなんでしょうか。さて、そんな磯部ガーデンですが、いつ創業したんですか。
櫻井会長
旅館としては明治の初めだと思われます。昔は旅人宿というふうな鑑札があったそうですけれども、会社としての創業は昭和8年、今期が84期になります。
司会
櫻井会長は創業家のお生まれですか。
櫻井会長
いえ、私は横浜で生まれました。
司会
そうなんですか。ということは、ご主人が創業家?
櫻井会長
さようですね。私はサラリーマン家庭から嫁ぎました。旅館の女将になるとは夢にも思っておりませんでした。
司会
ご結婚されてすぐに、群馬にいらしたんですか。群馬とのご縁というのは、昔あったんですか。
櫻井会長
結婚のときは主人は東京で建設会社に勤めておりました。両親がちょっと病気で倒れられたので、帰ってきまして、旅館を継ぐか、それとも1級建築士を利用して建築業を始めるかと、いろいろ迷ったらしいですけれども、やはり長男ということもあり、旅館を継ぐことに決めました。
司会
そのことについて、会長はどうでしたか。もう決まってしまったことは、付いていくしかないのかもしれないんですけれども、迷いはありませんでしたか?
櫻井会長
そうですね。私は家庭の奥さまという形の教育をされておりましたから、やはり主人の言うとおりというような感じでございました、そのころは。
司会
そのころは(笑)。では大学を卒業して、一時は何かお勤めをされてから、こちら群馬にいらしたんですか。
櫻井会長
ええ。大学にちょっと勤めていました。
司会
職員か何かでですか?
櫻井会長
はい。職員として採用されました。
司会
そうですか。では、今までおうちが何かご商売をなさっていたというところとは、ずいぶんかけ離れた環境だったわけですね。
櫻井会長
そうですね。
司会
それはなにか不思議なご縁を感じますよね。
櫻井会長
本当に。私の友人も、旅館の女将になるなんて思いもしなかったというのが大半の言葉でした。
司会
それを結婚を機に磯部温泉に来たというわけですか。いつぐらいになりますか。
櫻井会長
この前のオリンピックのころでございますね。あのころは大変小さい旅館でございまして……。
司会
東京オリンピックのころ、1960年ちょっとぐらいですね。
櫻井会長
そのくらいですね。木造の3階建てで、20室くらいで、大変のどかな、お正月は、お客さまと羽根つきをしたりね。
司会
ええ、楽しそう。
櫻井会長
お風呂も混浴だったんですよ。
司会
混浴?
櫻井会長
私たち夫婦が、夜遅くお風呂に入りますでしょう。男女別々の脱衣所から入りますとね、中は一緒なんですよ。女中さんたちが先に入っていて、「キャー、若だんなが来た、恥ずかしい」なんて言ってね、「俺のほうが恥ずかしいよ」なんていうふうなね、よい時代でした(笑)。
司会
なるほど(笑)。それもある意味、コミュニケーションを図る場だったかもしれないですよね。
櫻井会長
今はほとんど混浴はなくなりました。
司会
それから時代とともに磯部ガーデンも変わっていったようですけれども、その後はどうなっていきましたか。
櫻井会長
日本中の道路が整備されて、遠くからバスの団体がいらっしゃるようになりました。主人は、やはりそのときに近代的な鉄筋コンクリートの旅館を増築するということを決心したようでございます。海外にも研修に行ったりしておりましたので、どこから写真を撮っても日本の宿ということがわかるような旅館を目指しましてね、6階までコンクリートでつくったんですが、瓦屋根を6層かけて、それから四方見のお庭といいますか、回廊式庭園とかね、明るい吹き抜けに能舞台とか、「日本の宿のコンクリートルネッサンスだ」なんて大変自慢していた建物が建てられました。
司会
それがスタートというか、今の磯部ガーデンの形の大元になっていくわけなんですね。
櫻井会長

そうです。

司会
ずいぶん先進的な建物だったということですけれども、その後はどのようになっていったんですか。
櫻井会長
その後、残念なことに主人が病気でみまかりまして。
司会
それは会長がお幾つのときだったんですか。
櫻井会長
私が47歳、主人が49歳のときでございました。
司会
そうですか。それは会長も、ご自身もどうしたらいいのかわからなくなるような……。
櫻井会長
ええ。おかげさまで、一緒に仕事をいたしておりましたので、仕事の内容はわかっておりましたが、建築については主人の思いも残っていたかなと思いまして、こんな建築をしたらどうだろうということで、「建築をしたい」という希望を述べますと、「それではお金を貸してあげる」というふうな、女性でもお金の借りられる大変いい時期でございました。ですから2年後に31億円でその次の建物を建てまして、そのまた5年後に、もうバブルの最後でございましたけれども、45億円で最後の10階建ての建物を建てさせていただきました。
司会
投資して拡大路線をしていき、誘客をして回すというふうに考えていったんですかね。
櫻井会長
はい。大型旅館にするということは一番初めから考えておりましたが、やはりこれぐらいまでやらないと、ほかの大型旅館と比較されると、太刀打ちできないだろうと思いまして、ある程度の大きさを求めて建築いたしました。
司会
ダイナミックな展開ですね。
櫻井会長
時代ですね(笑)。時代が推し進めたような気がします。
司会
ところで、会長が女将になったのはいつですか。
櫻井会長
私、女将っていうのは、結婚してすぐそういうふうな形で呼ばれ始めたと思います。
司会
20代の前半ということですね。
櫻井会長
さようです。
司会
ここから女将というよりも、もうそこにいらして、嫁いで、旅館に足を踏み入れたときからが、女将ということなんですね。
櫻井会長
そうですね。
司会
社長と、女将と、それぞれをこなさなくてはいけないわけですよね。その辺の兼ね合いというのは難しくないですか。
櫻井会長
私だけの考えでございますけれども、女将っていうのは、主人の手伝いをする奥さまだと私は考えております。一般的には着物を着て、ごあいさつするというふうなのを思い浮かべられると思いますけれども、その女将さんそれぞれによって、外交的な方もいらっしゃいますしね、内部の仕事が好きな方もいろいろいらっしゃいます。特に接客とかムードづくり、食器の色とか、家具の柄とか、そういうふうな私どもの女将の趣味が生かされるチャンスというのは非常に多い職業でしたね。
司会
まさにセンスがそのまま形になる、おもてなしにつながるという。
櫻井会長
はい、それが大変面白かったですね。それであとは、やはり主人と一緒に仕事ができるというのが、特に一番素敵なことだと思うんです。
司会
女将として華やかな部分と、なかなか人には見せられないご苦労もたくさんあるのかなと思うんですけど、いかがですか。
櫻井会長
それは、やはり考え方で(笑)。
司会
考え方……。
櫻井会長
いろいろあると思いますけれどもね。
司会
あまり、ご自身で、女将だとか、経営している経営者だというふうに分けては考えていらっしゃらないんでしょうかね、会長は。
櫻井会長
さようでございますね。ちょっとなりゆきに流されているのかしれませんけれども、それほど深く、これは社長の仕事だ、これは女将の仕事だというふうなものを深く考えたことはございませんで、主人がみまかりましてから、それじゃあ主人の仕事もできるかなというふうな感じでね、一緒にやっておりましたことがよかったのではないかと思います。
司会
1人何役もこなしていらっしゃる、本当にバイタリティあふれる櫻井会長です。さあ、それではここで1曲お届けしましょう。この優雅なイメージからはちょっとかけ離れた曲で、私、驚いたんですけれども、YMOの『TECHNO POLIS』をリクエストいただきました。ちょうどバブルに上っていくような、日本が勢いがあったときの曲ということですね。
櫻井会長
はい。
司会
それではお届けいたしましょう。YMOで『TECHNO POLIS』。

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