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平成28年6月2日(第39回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:株式会社オープンハウス 荒井正昭社長
●チャレンジ企業紹介コーナー:株式会社BMZ

プロローグ

司会

こんにちは。ご案内役の奈良のりえです。大企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送している「チャレンジ・ザ・ドリーム」。今日のトップインタビューは、「東京に、家を持とう。」のキャッチフレーズと、織田裕二さん出演のテレビCMでおなじみの株式会社オープンハウスの荒井正昭社長、50歳です。オープンハウスは東京の不動産会社ですが、荒井社長は群馬県の出身です。都内の不動産会社勤務を経て独立。リーマンショックの逆風の中で急成長を果たし、2013年には東証一部に上場。昨年9月期の決算の売上高は1,793億円に上ります。まさに今、乗りに乗っている会社ですが、どうやったらそんな成功を収められるのでしょう。荒井社長に、その道のりや成功のポイントを伺っていきます。そして番組後半は訪問インタビュー。靴の中敷き、インソールで世界にチャレンジする、みなかみ町の株式会社BMZをご紹介します。

トップインタビュー

株式会社オープンハウス 荒井正昭 社長

司会
株式会社オープンハウスの荒井正昭社長にFMぐんまのスタジオにお越しいただきました。どうぞ今日はよろしくお願いいたします。
荒井社長
よろしくお願いします。

創業までの道のり

司会
オープンハウスといいますと、犬の着ぐるみを着た織田裕二さんのテレビCMを思い浮かべる方も多いと思うんですけれども、荒井社長、評判はいかがですか。
荒井社長
おかげさまで非常に評判はよろしくて、会社の認知度もコマーシャルを始めてから非常に高まりました。
司会
「東京に、家を持とう。」がキャッチフレーズのオープンハウスなんですけれども、荒井社長は群馬のご出身なんですよね。
荒井社長
はい、そうです。旧新田郡薮塚本町です。平成17年3月に合併しまして、現在は太田市になっております。
司会
小さいころはどのようなお子さんだったんですか。
荒井社長
どちらかというと元気な、明るい、何も考えない、まさに子どもらしい子どもだったと思います。
司会
何も考えない(笑)。
荒井社長
はい。
司会
勉強よりも、むしろ遊びのほうが好きというか。
荒井社長
勉強は、ほとんどしたことがないくらいですね。
司会
結構自由奔放なお子さんだったということなんでしょうかね。
荒井社長
はい、おっしゃるとおりだと思います。
司会
そして、高校も群馬でいらっしゃるんですか。
荒井社長
そうです。群馬県立桐生南高等学校の出身です。
司会
築地銀だこの佐瀬社長とご一緒なんですね。
荒井社長

はい、佐瀬さんが3つ上ですね。同じ野球部の先輩です。

司会
そうですか。その後、東京に出たということですね。
荒井社長
そうです。みんな結構浪人しようというふうでしたので、仲間みんなで東京の予備校に行きました。当時、10人単位で東京の予備校に行ったという感じです。
司会
なるほど。大学でどういうことを学びたいと思ったのですか。
荒井社長
司法書士になりたかったので、法学部に行って、資格を取りたかったです。
司会
司法書士というのは、またどうしてですか。
荒井社長
国家試験ですし、司法試験ほど難しくないです。固い仕事をしていながら、当時、これからかなり社会的に仕事が増えていくだろうというふうに思っていましたので、司法書士になりたかったわけです。父親が一部不動産業の仕事をしていたものですから、司法書士という仕事は有望だという話を聞いていましたので、これは司法書士になってみようというふうに思っていました。
司会
その後はどのように進まれていったんですか。
荒井社長
18歳に高校を卒業して東京に出て、1年終わりまして、周りの友達はみんな大学に入ったんですけれども、あまりにも東京の生活が楽しくて、勉強をほとんどしませんでした。じゃあもう1年浪人しようということで、ですから2浪ですね。さらにこの2年目がもっと楽しくなりまして、またもやということで、3年目、もう一回浪人しようと思ったところ、さすがに母親から涙を流されて、「いい加減にしておくれ」と言われました。これは申し訳ないなと思い、何とかしなきゃいけないなということで、2年間東京に出ていて、ただ群馬に帰ってくるのもいけないと思い、取りあえずフリーターとして東京に残りました。
司会
そういった中で、たぶん社長の中でも、このままではいけないだろうという思いが、きっとおありだったと思いますが、いかがですか。
荒井社長
おっしゃるとおりで、1年くらいアルバイトをしていたんですけども、さすがにこのままではまずいと思い、司法書士の専門学校に2年間通って資格を取ろうと思いました。もうさすがに親にお金はもらえないので、自分で働いて貯金をして、司法書士の学校に2年間通えるだけの費用を自分で稼ごうと決めました。当時、バブルの始まるころですので、歩合給で稼げるということでしたので、不動産会社を選択したわけです。
司会
実際に働いてみて、いかがでしたか?
荒井社長
やっていることは適当なんですけれども、自分にはかなり自信があるほうでしたので、成果は出るだろうと思いましたら、半年間全く成果が出ませんでした。
司会
そうですよね、根拠のない自信だけでは、なかなか実績というのは出てこないですよね。
荒井社長
おっしゃるとおりです。
司会
転機はいつぐらいに訪れましたか?
荒井社長
転機は、25歳ぐらいのときだと思います。
司会
お勤めになってから何年位ですか。
荒井社長
丸3年ですね。
司会
3年ですか。
荒井社長
このままじゃまずいなというふうに思い始めました。最初から本気でやろうと思ったんですけれども、かなり惰性で3年間働いてしまいましたから、もう一度本気になってこの1年間、仕事をしてみようというふうに、25歳ぐらいのときに思いました。
司会
ここで、いよいよご自身としたら、本気でトップを狙うぐらいの思いというのが。
荒井社長
そうですね。入社したときからトップを狙うと思って入ったんですけれども、3年間は口だけだったです。4年目からは本当にトップになろうと思い、なれなければ死のうというふうに思っていました。そのときの覚悟は人生で一番の覚悟ですね。
司会
なぜそこまで覚悟したんですか。
荒井社長
当時25歳ぐらいの時、おぼろげながらに、自分の人生はこのまま30歳を迎えて、「何となくこんなことを言って終わっていっちゃうのかな。ちょっとさすがにそれは困るな」というふうに思いまして、この1年、頑張ってみようというふうに思いました。
司会
そこでの成果はいかがでしたか。
荒井社長
おかげさまで営業成績はトップを取りまして、そこからサラリーマン生活の間は、業績は、ほとんどトップクラスでした。
司会
すごいですね。ただ、トップになろうと思って覚悟を決めれば、なれるものですかね。
荒井社長
僕のイメージでいきますと、誰でも普通の才能があれば、できると思います。
司会
そのときのご自身の心持ちですよね、心構えとして変えたことというのはありましたか。
荒井社長
言い訳しないこと。要するに、例えばトップが取れなかったとしても、今まではどちらかというと取れない言い訳が多かったんですけれども、もうとにかく言い訳しないと決めました。
司会
人のせいにしたりとかしないということですね。
荒井社長
そうですね。それまでの自分を見ると、うまくいかないことは会社のせいですとか、上司のせい、景気のせい、お客さまのせい、自分以外の何かのせいにしていたと思います。じゃあ本当に一番を取ろうと思ったら、何かのせいにしていても何も解決しないですから、上司のせいにしても上司が変わるわけじゃないですし、会社のせいにしても会社が変わるわけじゃないですし、景気のせいにしても景気がよくなるわけではないですから、それじゃあその中で何ができるんだろうというふうに思考が変わりました。
司会
自分に厳しいですね。
荒井社長

厳しいというか、やはり本当に一番になりたいと思ったら、人のせいにしていたら、たぶん何も解決しないので、解決できるのは自分自身だなというふうに、そのとき初めてわかった感じですね。

司会
実感したからこそ、自己改革をしたわけですね。
荒井社長
そうですね。格好いい言葉で言うと、そういうことです。
司会
この会社で学んだということは大きかったでしょうね。
荒井社長
おかげさまで本当に大きかったです。10年近く働いていたんですけれども、3年たってから一生懸命仕事をするようになって、自分のスキルも上がりました。会社自体も成長していましたので、組織の成長と個人の成長を両方体験できるというのは、なかなかないことです。これは本当にうれしかったです。
司会
そのような貴重な経験をなさって、そこでずっとトップであり続けるというのも一つの選択だと思うんですけれども、社長はどうやら、その道は選ばなかったんですね。
荒井社長
そうですね。会社自体が成長よりもやはり安定、どこの企業にもあると思うのですが、成長よりも安定というものを求めてきましたので、僕みたいなキャリアの人間は、やはり安定を求めたところでたぶん駄目になるだろうと思いました。成長し続けるような組織のほうがいいなというふうに思っていました。もう少し挑戦してみたい、もっと自己成長してみたいという思いがありました。
司会
そして、創業をされたわけですか。
荒井社長
はい、そうですね。
司会
スタートというのは何人ぐらいで?
荒井社長
スタートは3人です。
司会
3人でですか。そのお二人というのは、仲のいい方とかですか?
荒井社長
そうですね、元部下ですね。
司会
起業したい、創業したいと思っても、それはすぐにできるものではなく、当たり前ですけど、資金調達なども出てきますよね。
荒井社長
おっしゃるとおりですね。
司会
そのあたりは、社長、どうなさったんですか。
荒井社長
これも普通の話を聞くと、一生懸命お金をためて、「自己資金をためました」という話が多いんですけれども……。
司会
そうですね。
荒井社長
父親から借りました。
司会
(笑)また、潔く明かしますね。
荒井社長
格好悪いんですけれども、全然貯金してなかったものですから、父親に説明したら出してくれました。1997年の夏に会社を辞めまして、創業したのが同じく97年の9月です。
司会
あっという間に創業ですけれども、世の中はもうバブルもはじけていますし、不動産業界はいかがでしたか?
荒井社長
世の中では、1997年というのはかなりいろいろなことがありました。
司会
かなりいろいろなこと?
荒井社長
はい。山一證券や北海道拓殖銀行が経営破綻したり、1998年には日本長期信用銀行や日本債券信用銀行が経営破綻しました。特に山一證券が経営破綻したときは相当なショックでした。ですから、起業したと同時に、かなりな金融不況になっていったという時期です。
司会
本当に厳しい時期に創業を決断されたんですね。
荒井社長
はいそうです。ただし、私自身、世の中の景気がどうだとか、金融がどうだとかいうことは、当時全く知識がなかったものですから、その辺は恐れずに起業できました。当社が当時営んでいた不動産の戸建ての仲介は、それほど厳しくありませんでした。新しく取引する分には、ずいぶん価格も安くなっていましたので、住宅においては動きがいい時代でした。
司会
この後は、オープンハウスが成長していく様子を詳しく聞かせていただこうと思いますが、その前に、ここで1曲お届けしたいと思います。今日は松田聖子さんの曲を選んでいただいたんですけれども、これはどういう選曲ですか、社長。
荒井社長
そうですね。やはり高校を卒業して東京に出ていくというのは、当時はやはり今よりも距離感があったものですから、それなりにこの松田聖子さんの『制服』という詞と被るようなところがあったかなと思います。
司会
自分と重ね合わせたということですね。
荒井社長
はい。
司会

わかりました。それではお届けしましょう。松田聖子で『制服』。

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