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平成28年7月7日(第40回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:株式会社小林機械 小林良文社長
●保証協会からのお知らせ:日本政策金融公庫と群馬県信用保証協会との創業連携パッケージ「“創”思“創”愛」について
●チャレンジ企業紹介コーナー:株式会社オルビス

プロローグ

司会

こんにちは。ご案内役の奈良のりえです。大企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送している「チャレンジ・ザ・ドリーム」。今日のトップインタビューは、工場で使う工作機械やプレス機の中古機械の修理・販売などを手がけている、館林市の株式会社小林機械の小林良文社長47歳です。小林機械は、館林市と埼玉県本庄市の2カ所に機械の修理・展示を行うマシンプラザを持ち、国内外の会社と取引を行っていて、昨年の売上高は35億円に上ります。そんな小林機械は、25年前の1991年に小林社長が21歳の若さで創業しました。それも大阪府堺市の出身で、単身で群馬に来て仕事を始めたというから驚きです。ガッツあふれる小林社長に挑戦の様子を伺っていきます。そして番組後半は訪問インタビュー。食肉加工や惣菜調理などを手がける高崎市の株式会社オルビスを紹介します。

トップインタビュー

株式会社小林機械 小林良文 社長

司会
株式会社小林機械の小林良文社長にFMぐんまのスタジオにお越しいただきました。今日はどうぞよろしくお願いいたします。
小林社長
よろしくお願いします。
司会
小林社長は大阪のご出身だそうですね。
小林社長
はい。
司会
やはりイントネーションとかも、群馬と少し違いますか。
小林社長
群馬の人には全然関西弁が抜けないなと言われますけれども、大阪に帰ったら、なまってんなと言われます。
司会
そうですか。なまっているではなくて。
小林社長
東京弁と。
司会
東京弁ということなんですね。今日はたっぷりとお話を伺っていきたいと思うんですけれども、小さいころというのは、どんなお子さんでしたか。
小林社長
あまり家にいなかったような子どもですかね。
司会
外で遊んでいるというイメージですか。
小林社長
はい。
司会
ご兄弟は。
小林社長
兄と妹がいて、3人兄弟の真ん中です。
司会
ご実家は何かされていたんですか。
小林社長
機械販売の会社をやっていました。
司会
では、いずれはやはり会社を継ぎたいというような思いがあったんでしょうかね。
小林社長
全然なかったです。
司会
そうなんですか。では、小さいときは何になりたいとか、将来こんなふうに進みたいという夢、どんなものを持っていらっしゃいましたか。
小林社長
何でもよかったんです。料理人でも、自衛隊でも。早く独立して、あまり親に頼りたくないなという感じが強かったですね。
司会
それは、もう高校時代ぐらいからですか。
小林社長
中学校ぐらいですね。
司会
早く一人立ちしたいなということでしょうか。
小林社長

はい。

高校卒業後、実家で働く

司会
独立心旺盛ですね。では、高校をご卒業された後というのは、どのような進路を選ばれたんですか。
小林社長
ちょうど円高不況で、あまり就職先がなかったんですよね。それで迷っていたときに、父親が「やることがないんだったら、うちの会社を手伝え」ということで、ええ給料をくれるっていうからね、それやったらやりますっていうんで、一緒にやり始めたんです。
司会
ずいぶんとさっぱりと、独立心が旺盛な割には、折れましたね。
小林社長
ええ、それでやってみて、最初の2〜3カ月ぐらい、あまり面白くなかったんですけど、でもやり始めたらすごい面白い仕事で、仕事がよかったんで、どんどん、どんどんはまっていったんですよね。
司会
なるほど。機械の販売ですよね。
小林社長
はい。
司会
販売のお仕事が面白かったということですか。
小林社長
特にうちは中古品を扱っていたんで、キャッシュバリューというか、すごいお得感が出せたので。
司会
いわゆるもうかるということですか。
小林社長
いや、お客さんに持っていったときに、そのまま使えたりすると、すごい喜ばれて、「おまえの機械、よかった」とか言ってもらえるので、もっとええのを探したろ、みたいになって。
司会
ああ、そうですか。それで、ご自分でお探しに行ったりとか。
小林社長
はい。
司会
お得意さんなども、ご自分で開拓、いわゆる営業とかもしたんですか。
小林社長
はい、もういっぱいやりました。
司会
その業界自体で、営業というのは普通にやっていたことなんですか。
小林社長

あまり中古ということに限定しますと、なかなか営業する業界ではなかったと思います。

司会
それはどうしてですか。
小林社長
ものがあれば、お客さん、見に来て買ってくれるという時代やったと思うんですよね。
司会
ちょうど時代とすると、好景気にわいていたころですか。
小林社長
そうです、バブルでした。
司会
そういう中で待ちのビジネス、商売ではなくて、ご自分で営業に行ったのはどうしてですか。
小林社長
やはり最初は父親のお客さんばかり最初回っていたんですけど、それを引き継いで自分のお客さんにできるかっていったら、ちょっと不安になってきました。そこで、自分のお客さんが欲しかったので、自分で探しに行ったんですね。お客さんもすごく忙しかったので、その機械が欲しいけど売ってない。新品の機械は納期がかかる時代だったので、「こういう機械があったら欲しいんやけど、探してきてくれないか」ということで、僕が足を使って探して見つけていけば、「ありがとう、ありがとう」みたいな感じになったので、自然にもう勝手にはまっていくみたいな感じだったんですね。
司会
お仕事、充実していて楽しかったでしょうね。
小林社長
はい。
司会
ただ、独立心も旺盛ですし、ご自分でいろんなことを開拓していく小林社長ですから、それだけではやはり物足りなかったのではないかと思いますが、そのあたり、どうですか。
小林社長
いったんストックヤードに置いて、店売りをしていたんですけれども、倉庫自体が小さかったので、もっと大きな倉庫も探していました。でも、当時、大阪もバブルで、土地の価格がすごい高かったので、なかなかいい物件に巡り合えなかったんですよね。

大阪から群馬へ

司会
そこで何か手を打ったんですか。
小林社長
そこで、親戚が群馬県にありましたので、群馬県の親戚を頼って、群馬で同じ仕事をしようと思って来たんです。
司会
では、ご自分で、もう仕事をしようと決めて、群馬に来たということなんですか。
小林社長
はい。民宿を借りて、回っていたんですけどね。
司会
なぜ社長は独立しようと思ったんですか。
小林社長
どうせ自分のお客さんをつくっていくから、あまりしがらみがないほうがやりやすいかなというのはありました。最初、様子だけ見に来たような感じで回ってみました。大阪の人は、群馬県って山だらけやと思っていると思うんですね。僕も半分そんな感じで来たんですけれど、結構意外に関東平野に入っていますし、すごい大きな工場とか、町工場とかあって、大阪ではあまり町工場で大きな会社というのはないんですね。こちらは規模の大きい町工場、個人の町工場がいっぱいあって、北関東工業地帯とかって言われていて、ここやったら絶対商売になるなと思ったんですよね。
司会
不安というのはありませんでした。
小林社長
若かったので、もうわくわくしていましたね。
司会
お幾つでしたっけ。そのころというのは。
小林社長
21歳です。
司会
21歳。創業当時、1991年になるわけですね。どんなお仕事からスタートいたしましたか。
小林社長
最初はもう飛び込み営業で、昔のゼンリンの地図を見て、何々製作所とか、工業所とか、鉄工所とか、もうしらみつぶしに回っていったんですね。蛍光ペンで印を付けて。
司会
営業の成果はどうでしたか。
小林社長
その頃はまだバブルで製造業の景気がよかったので、「こういうフライス、ないか」とか、「旋盤が欲しい」とか、すぐ声をかけてもらえたので、別にストレスなしに仕事には入れたんですよね。
司会
機械の売買の仲介を、最初になさっていたということですね。
小林社長
はい。
司会
館林が中心ですか。
小林社長
そうですね、栃木県ぐらいまでその当時は行っていたかもしれないですね。
司会
結構、エリアは広く。
小林社長
はい。最終的に1年ぐらい経ったときには、関東甲信越ぐらいは回っていました。
司会
1日、何件ぐらい?
小林社長
1日30件を回ろうと思って。
司会
30件ですか。
小林社長
はい、心、弱いんで、決めておかないと逃げ出したくなるから、取りあえずそのルールだけは自分で勝手に決めてやっていました。
司会
毎回とてもいいお返事というわけにはいかないですよね。
小林社長
はい、泣きそうになったりね、「怖い人、おるな」とか、「ここはもう来んとこ」と思ったりとかね、ありましたけど(笑)。
司会
そういう中で、自分に甘くなったりすることはなかったんですか。
小林社長
そこでやはり逃げたら、僕は腕立て伏せとかも始めるんですけど、3日とか、続いても1週間ぐらいですぐやめてしまうんで、今日はいいかなと思ったら、もう次の日はもうやらないから、営業もそんな感じだったと思うので、ここだけはちょっと譲れないところだなと思いました。
司会
創業当初というのは、お一人で、ずっとやっていらしたんですか。
小林社長
はい。1人でずっとやっていました。
司会
それがどのぐらい続いたんですか。
小林社長
群馬に来て、3〜4カ月たって、いけるなとなったんで、親戚の土地を借りて、倉庫をつくったんですよ。50坪ぐらいの小さな工場だったんですけど。その隣に家をつくって、それが8月に完成したんですよね。
司会
それもお一人で。
小林社長
はい、その倉庫ができたと同時に結婚したんですよね。
司会
奥さまを大阪から。
小林社長
呼んだ。
司会
呼んだんですか。奥さまは抵抗なく、ご結婚を決意してくださいましたか。
小林社長
はい。同い年なんで、新しいところで何かするっていうのには、わくわくしていたのかなと思いますけど。
司会
そういう意味では、奥さまのご理解というのは大きかったですね。
小林社長
はい。
司会
さて、創業から3年で会社にしていますけれども、このころというのはどんな様子でしたか。
小林社長
バブルが崩壊して、世間は景気が悪くなっていたんですけれども、うちの会社の業績自体はどんどん伸びていっていました。
司会
バブル崩壊のあおりを受けなかったのは、今振り返ると、どうしてだと思いますか。
小林社長
もう倉庫ができた瞬間がバブル崩壊みたいだったので、いい思いというのは、もうブローカーというか、そういう動きをしているときだけなんですよね。
司会
創業がそうでしたから、3年目はむしろ覚悟も決まっていたし、着実に業績もよくなっていったということですか。
小林社長
店もできたしね、嫁はんもおるしね、もうそんなん、やるしかないぐらいの境遇になりまして。
司会
3年後というのは、社員を増やしたりとかしていたんですか。
小林社長
そのときはシルバーのおじいちゃんに1人、掃除に入ってもらっていましたが、若い子は使っては辞めて、使っては辞めてということで、2〜3カ月でみんな辞めていったんですよ。
司会
それはどうしてでしょうね。
小林社長
うーん、僕がちょっと厳しかったかもしれないですね。まあ、自分ができたんやから、おまえもできるやろぐらいのことで強く言っていたかもしれないですね。
司会
そういったところから、また次のステップへと小林機械が進むわけですけれども、その話は次のパートでお聞きしたいと思います。ここで1曲、お届けします。今日はMr. Childrenの曲をリクエストいただいております。『星になれたら』、これは社長にとってどんな曲ですか。
小林社長

これは、まちを出て遠くに行って、自分を試すみたいな内容が含まれている歌なんですよ。僕が大阪へ帰ったら、大阪の友達が「これはおまえの歌やな」とか言ってくれるんで、大好きな歌です。

チャレンジ・ザ・ドリーム目次



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