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平成28年9月1日(第42回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:杉原エス・イー・アイ株式会社 杉原俊夫会長
●保証協会からのお知らせ:「ぐんまグッドサポートガイド」及び「信用保証ガイド」について
●チャレンジ企業紹介コーナー:株式会社ワイピーファーム

プロローグ

司会

こんにちは。ご案内役の奈良のりえです。大企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送している「チャレンジ・ザ・ドリーム」。今日のトップインタビューは、電子機器の受託製造事業や製品開発などを手がける伊勢崎の杉原エス・イー・アイ株式会社の杉原俊夫会長、74歳です。杉原会長は、父親が経営する電気設備会社に就職したものの、20代で電話交換機の組立工場を設立して独立。会社は電子機器の受託製造事業で成功し、従業員数およそ170人、年間の売上高は100億円を超えます。オリジナルのワイヤレスネットワーク機器の開発も行っています。杉原会長に、独立の様子や、新規事業への挑戦、経営のポイントなどを伺っていきます。そして番組後半は訪問インタビュー。遊休農地を利用して機能性野菜、つまり、栄養素を強化した野菜の栽培、販売などを行っている藤岡市の株式会社ワイピーファームをご紹介します。

トップインタビュー

杉原エス・イー・アイ株式会社 杉原俊夫 会長

司会
杉原エス・イー・アイ株式会社の杉原俊夫会長にFM GUNMAのスタジオにお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
杉原会長

こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。

エス・イー・アイとは

司会
今日はいろいろなお話を伺わせていただこうと思いますが、まず会長、基本的なことから教えてください。杉原エス・イー・アイの、エス・イー・アイというのは何の略ですか。
杉原会長
はい。これは、エスがソフトウェア、イーがエレクトロン、アイがインダストリーということで、エス・イー・アイという名前を付けさせていただきました。
司会
電気関係だけでなくて、ソフトウェアもなさっているというのが、このエス・イー・アイなわけですね。
杉原会長
そうでございます。

会社設立の様子

司会
そんな杉原エス・イー・アイの設立の様子を、まず伺っていこうと思います。会長のお父さまも会社を経営していたそうですね。
杉原会長
戦後すぐの物のない時代に、同級生が古河電工さんの重役で、電線を分けてもらえるチャンスに恵まれ、電気工事業がはじまりました。
司会
会社を継ぐという意思は、会長の中にあったんですか。
杉原会長
まだ子どもだったものですから、そういう意識はなくて、高校のころから、だんだん電気工事が大掛かりになってまいりまして、「これは私が継がなければいけないな」というふうに自分自身は思ったんですけれど、親が思っていたかどうかはわかりません。
司会
ご長男でいらっしゃるんですか。
杉原会長
いや、次男です。兄は昭和27年に大学を卒業しました。そのころはまだ電気工事は小規模だったので、銀行に入っておりました。
司会
そうなんですね。そうしますと学校卒業後は、すぐお父さまの会社に入られたんですか。
杉原会長
人の飯を食えというのがおやじの方針だったものですから、大学を卒業した後、父親の同級生が社長をしている沖電気さんの工事会社に就職しました。
司会
まずは、修業を積むというか、そんな感じだったんでしょうかね。
杉原会長
そうでございますね。

工場の新設と独立

司会
そして昭和43年に、お父さまの会社の工場を新設したことが、その後の独立へつながったそうですが、杉原会長、なぜ工場をつくることになったんですか。
杉原会長
3年間、電気工事の勉強に行った後に、42年に帰ってまいりました。電気工事だけでは限界があり、もっとビジネスを大きくするためには、製造の仕事を考える必要があり、42年から43年まで1年間、電話交換機の組立の仕事をするために、実習に行きました。その1年の間に工場を建てて、それで人を30人ぐらい募集をして、実習が終わったときに仕事が確立できるような形で工場を建てました。5年間だけ父親の会社の工場ということで、交換機の組立をさせていただきました。
司会
その後に、ご自身の中でも、やはり独り立ちをしてやっていこうというふうに変わっていったわけですね。
杉原会長
そうでございますね。
司会
変わるきっかけというのは、何かあったんですか。
杉原会長
独立するきっかけは製造業としての設備投資が必要だったものですから、独立して、資金を調達しないとビジネスがうまくいきませんでした。
司会
まずスタートのところでは、どういったことをなさったんですか。
杉原会長
電話交換機の電気的に動く部分の組立をさせていただき、回路的なチェックも全部できるような仕事をさせていただきました。技術が新しかったものですから、社員もいい仕事をしてくれましたので、お客さまに喜ばれて順調にいきました。

事業拡大の転機

司会
その後は、何か事業を拡大したりとか、また次の転機というのが訪れたんですか。
杉原会長
はい。電話交換機だけではなくて、お取引先から試験機をつくってみないかというお話があったものですから、交換機の試験機をつくらせていただきました。
司会
会長、交換機に、試験機って必要なんですか。
杉原会長
必要なんですね。私どもが納品させていただいたものは、大体2,000回線か3,000回線の交換機を入れさせていただいて、それをまとめると何万回線になるんですけれども、2,000回線とか3,000回線の回線が間違っていない試験機をつくらなければいけないということで、それをつくらせていただきました。
司会
そうですか。それは、ご自分で開発をするということですか。
杉原会長
アメリカからお取引先が新しい交換機を買い、それの試験機を輸入しようと思ったらアメリカでは大変高額だったものですから、それを私につくれという指示を受け、つくらさせていただき、うまくいきました。そして自信を持ちました。それから電話交換機の試験機でありますとか、その他新しい製品の試験機などつくらせていただくようになり、交換機の組立と、試験機をつくれるようになりました。それが会社の第二の発展につながったと思います。
司会
なるほど。それにしても、たぶんお客さまは、好き勝手に「これをつくってほしい」って言うと思うんですね。そういう中で、「これは大変だから無理だな」とか、「ちょっとな」ということはなかったんですか。
杉原会長
皆さん、そういうふうに無理だっておっしゃいますが、無理なことはないんですね。人間が考えることですから、必ずできると思って仕事をしていました。いつも考えていると、そういうアイデアが浮かびます。物事というのは、できると思っていればできますし、できないと思っていればできません。
司会
では経営は、順調に進みましたか。
杉原会長
初めは順調に進んだつもりだったんですけど、従業員がちょうど50人ぐらいのときには、なかなか利益が上がらなくて、それで、どうして利益が上がらないんだろうというふうにいろいろ悩んだ末、人を増やせば何とかなるかなということで、人を増やすように考えたんです。人が50人から100人になったときに、「仕事がなくなったら、その人たちをどうするんだろう」とか、また、「お金はどうするんだろう」とか、いろいろ悩みまして、なかなかその決断がつかなかったんです。皆さんもご存じのとおり、昔はみんな、アメリカの10年後、20年後を日本は追いかけていましたので、アメリカへ行って、どのような経営をされているのかぜひ見たいなと思っていましたら、運よくアメリカの中小企業を見る機会がございまして、アメリカに行きましたら、アメリカでは、難しいことを考えないで、仕事がなくなったら、皆さん、首にしていたんですね。考えてみたら、日本でも失業保険を払っていますし、だから仕事がなかったら退社をしていただくというふうに考えたら気が楽になりました。従業員を100人から、大体120人に増やしたんですけれども、これまで一度も首を切ったことはありません。
司会
そうですか。
杉原会長
アメリカは異民族の国でひとつひとつの製品を言葉も通じない方たちに作ってもらうわけですから、不良が出ないようなシステムをつくるための技術ははるかにアメリカのほうが進んでいました。この2つが大変勉強になって、次の飛躍になったと思います。
司会
なるほど。やはり従業員の人数というのも非常にキーポイントになってくると思うんですね。結局はどのぐらいの人数が安定というふうに会長は思われましたか。
杉原会長
初め、私ども、どうしようかと思って、人を増やせと言われて、120人ぐらいで大変利益が上がるようになりました。その頃たまたま同級生の会がございまして、その会に行きました。大学の経済の教授をしている同級生がおりまして、「おまえ、何人ぐらい使っているんだ」っていう話になって、「ちょうど120人ぐらいだ」と答えたら、「中小企業では一番もうかる人数なんだ」ということを教えてもらいました。それで、「ああ、なるほど、そうか。では、それからどうなるんだ」と尋ねたら、「中堅企業は200人になると今度は逆に利益が上がらなくなるよ」というお話を聞き、大変勉強になりました。「それでは、じゃあ120人で200人分の仕事をすれば、もっと利益が上がるな」と考えて、私は、120人でも、200人とか250人分の仕事ができるようなことを考えて、今それを実行しております。

社名の変更

司会
昭和62年(1987年)に社名を変更なさっているんですね。現在の杉原エス・イー・アイに、このときになったそうなんですけれども、なぜこの時期に社名変更したんですか。
杉原会長
はい、これには2つございまして、杉原製作所という名前で会社をしておりましたら、会社の内容がわからないので、仕事を頂く時も、「何をしているの?」というようなお話なんですね。従業員を募集するのも、杉原製作所だと、力仕事をやるような工場だというふうに皆さんに思われましたので、横文字としては割に早い時期だったのですが、これはもう名前を変える以外にないということで、ソフトウェアと、あと電気の、特に通信機関係の仕事をしているんですよということがPRできるような、ソフトウェア・エレクトロン・インダストリーという名前に変え、大変お客さまからも評価され、仕事も増えましたし、人を集めるのも大変楽になった覚えがございます。
司会
まさに社名というのは会社の顔なんですねえ。
杉原会長
そうでございますね。
司会
ここで1曲お届けしたいと思います。今日は杉原会長に選んでいただきました。まず1曲目が、谷村新司の『昴‐すばる‐』ですけれども、これは会長、どんな思い出の曲でしょう?
杉原会長

これは、若いとき、いろいろ考えて苦労しているときに、この歌に出合いまして、これを聞くと新しい発想ができまして、無限の宇宙を感じながら考え方を新たにいろいろ考えさせていただいた、大変恩のある音楽だと思っています。

チャレンジ・ザ・ドリーム目次



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