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平成29年1月5日(第46回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:プラス株式会社 今泉嘉久 会長

プロローグ

司会

明けましておめでとうございます。ご案内役の奈良のりえです。大企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送している「チャレンジ・ザ・ドリーム」。新年1回目の放送の今日は、オフィス家具や文具の製造販売などを手がけるプラス株式会社の今泉嘉久会長、74歳へのトップインタビューを、ロングバージョンでお届けします。プラスは東京で創業した会社ですが、前橋市内にオフィス家具工場を含む産業複合施設「プラスランド」があり、群馬に根差した会社でもあります。そんなプラスの今泉会長は、1983年(昭和58年)に創業者である父の跡を継いで40歳で社長に就任。新商品の開発などで注目を集めるとともに、「プラスランド」やベトナム工場をつくり本格的メーカーに発展させました。また、販売方法にも新風を吹き込み、オフィス用品通販「アスクル」のビジネスモデルを開発・創業しました。東京虎ノ門の本社を訪問して、新規事業への挑戦や、会社づくりについてのお考えなどを伺ってきました。新年にふさわしい元気が出るお話をいただきましたので、ぜひお楽しみに。

トップインタビュー

プラス株式会社 今泉嘉久 会長

司会
東京虎ノ門にあるプラス株式会社の本社にお邪魔しています。今泉嘉久会長にお話を伺います。今日はどうぞよろしくお願いいたします。
今泉会長

よろしくお願いします。

オフィスはメディア

司会
まるでオフィスというより、会長、ホテルのラウンジのようですね。見せるオフィス、そんなイメージを受けたんですけれども。
今泉会長
そうですね。それを意図して、特にここの玄関をつくったんですが、僕自身は、オフィスというのはメディアだと思っているんです。その会社が目指す方向とか、これをお客さま、それから社員の人たちに伝えるのに一番いい道具なんです。あまりたくさん言葉でしゃべるよりも、今日のようにオフィスをご覧いただいて、大体「あ、たぶんおしゃれな方向を目指しているな」とか、「質実剛健だな」とか、こういうふうによくわかるじゃないですか。そのための道具としては、オフィスはとても重要な道具ですよ。
司会
そんなオフィスもプロデュースしていくプラスの、今日はいろいろお話を伺っていきたいと思います。
今泉会長
よろしくお願いします。

プラスの誕生

司会
プラスは会長のお父さまが東京で創業したそうですね。
今泉会長
そうです。昭和23年に、私の父が経営しておりました今泉商店という文房具の卸の会社と、それから私のおじが経営しておりました鈴木商店という大企業に文房具を売っている会社が合併して当社が誕生しました。この2人は義理の兄弟で、とても仲が良かったんです。で、両方とも同じ千代田区で似たような商売をやっているんだったらば、合併しようよと言ってできたのが千代田文具というね、千代田区にあったから千代田文具という、割と簡単なイージーなネーミングなんですけれども、そういう会社をつくったわけです。これが私どもの、言ってみれば創業なわけです。そして、創業から11年後の昭和34年には、社名をプラスにしました。今泉商店プラス鈴木商店で、将来は今泉も鈴木もないだろうというので、真ん中のプラスだけ残したんですよ。
司会
そうだったんですか。
今泉会長
それが当社の社名の由来だというふうに、後から誰かが付けたんでしょうけれども、聞かされていました。
司会
そのころ、カタカナで「プラス」というお名前を付けるというところが、なんか粋ですねえ。
今泉会長
そうですよね。当時、昭和34年に千代田文具という社名からプラス株式会社に変えたわけですけれども、これは、ソニーさんが東通工という会社をソニー株式会社に変えられたのが昭和33年というふうに伺っていまして、たぶんうちの父が触発されたんです。そして、当時、面白いのは、私どもの業界というのは、○○万年筆や、○○鉛筆、○○工業、○○商事などが必ず付いていたんですよ。要するに自分は何屋さんだというのを明確にしている。ところが、ソニーさんもそうだったんですけれども、うちもプラス株式会社、全然前にも後ろにも何も付いてないんです。僕は高校生でね、父に「なんでこんな居心地の悪い、プラス事務機とか、プラス文具とか、何か付けたほうがよくないか」っておやじに言ったんですよ。そしたら父が、「おまえ、こうしときゃ、将来何でもできるじゃないか」って。だから、結構すごい、なにか野心を持っていたというか、柔軟性が非常に高い。で、今、その柔軟性が、この会社にもちゃんと遺伝子としてあるなという気がしますね。
司会
おっしゃるとおりですね。
今泉会長
だから、名前って意外と大事なんですよね。
司会
大切ですね。
今泉会長
どんな名前を付けるかっていうのは。

アメリカ留学を経てプラスに入社

司会
その高校のころというのは、会長は会社を継ぐというお気持ちはあったんですか。
今泉会長
そう、小学生のときから「いずれはおまえだ」という具合にずっと言われ続けてきましたから、会社のことに関してはやっぱり、子ども心に関心はありましたよ。ただし、大学に入ったころになって、もっと別のことをやりたいという強い意志があって、相当父は入れるのに苦労したみたいですね。逃げ回りましたから。特にアメリカへ行って、いろいろなものごとを見てきたら、なんで僕は親の会社を継がなきゃいけないんだなんていうふうに当時は思いました。
司会
大学を卒業してからアメリカに留学をなさったわけですか。
今泉会長
ええ、留学をして。
司会
それは何か目的があって会長は行かれたんですか。
今泉会長
そう、2つ。一つは、もちろん英語をうまくなりたいっていう。これからどう考えても英語だと、当時思いましたよ。それからもう一つは、アメリカ人の持つ、自由闊達な、あの文化というか、ものの考え方っていうのかな。日本人は割と、やっぱりこの狭い中で、がんじがらめの中でみんなが生きているじゃないですか。そうでない、あのアメリカの文化っていうか、雰囲気というか、これに対する強い憧れがあって、これを学びたいと思いましたね。実際に僕はそれを学んできたと思います。
司会
そのやっぱり学びというのは、その後もさまざまなところで生かされました?
今泉会長
と思います。今やっているいろんなことが、原点は、「あの時、アメリカに行って、風土みたいなものを身に付けたから、だからこんなことができるんだな」と感じるようなことはたくさんありますよ。
司会
慶応大学を卒業後にアメリカに留学。そして1966年(昭和41年)にプラスに入社されたそうですね。
今泉会長
そうです。

メーカー転身への想い

司会
当時のプラスというのはどんな会社でした?
今泉会長
もともとはプラスというのは、前身となる2社である今泉商店が問屋、それから鈴木商店が大企業向けの文房具の小売りでした。ですから営業系の会社なんです。その雰囲気が強く残っていましてね。営業一番、といった感じの会社でした。けれども、単に売るだけの会社の将来ってあるんだろうかって思って、やっぱり技術力を持ったメーカーに転身をしていきたいなと強く思いました。それが、その後の、私が社長になってからのメーカーになるための投資につながっているわけですよ。
司会
そのために、入社されてから何かアクションというのは起こされたんですか。
今泉会長
問屋さんというのは、今まで世の中に売れているものをそのまま右から左に流していくと。それで売れるものを探し当てるというようなことが仕事だと思うんですけれども、それを今度メーカーは、自らものをつくっていかなきゃいけないから、ゼロから何かを生み出すという作業を会社の中でやっていかなきゃいけないんだよっていうことを言い続けてきたような気がします。だから、最近、よくゼロイチって僕は社内で話すんですけど、ゼロから何かを生み出すことこそが企業の成長の源泉だというふうに言っているんだけれども、それは問屋からメーカーになっていくっていうときの考え方と、根っこは同じかなっていう気がします。
司会
会長がもう入社されたころから、会社の中で実践していこうというふうに思ったわけですか。
今泉会長
当時、日本では問屋無用論みたいなことが始終、ちまたで言われていて、問屋の先はないよというようなことを言われていたので、かなり問屋に対して、ネガティブな考え方を持っていたということもありますね、世の中の風潮が。で、父たちも実は、まだもちろん僕が入社したころは元気でしたから、彼らも全く同じ考え方を持っていて。そこで、何をしたかっていうと、まず最初に、製造設備は持たないけれども、ブランドを持ったんですよ。それは今、アパレルなどで、製造卸と呼ばれている、問屋なんだけれどもメーカー機能も持っている業態に近いかもしれませんね。つくるというメーカー機能じゃなくて、ブランドを持つ。これを早くからやっていて、結構総売上のうちの10%か、15%ぐらいは私たちのというブランドが付いた商品でした。
司会
ああ、そうですか。
今泉会長
だから、メーカー化しやすい根っこはあったっていうことだと思うんです。

社長に就任、社員の服装自由化を実施

司会
1983年にお父さまが急逝されて、社長に就任されたそうなんですけど、このとき40歳だったとお聞きしています。会社をこんな方向にもっていきたいというふうなお考えはありましたか。
今泉会長
業態から言えば、卸からメーカーに移していきたいなと、これがもう基本です。あともう一つは、会社の雰囲気が、やっぱりもっとみんなが自由闊達にものが言えるような、雰囲気のいい会社にしたいなと思いました。
司会
逆を返すと、まだそういう感じではなかった?
今泉会長
そうですね。創業期っていうのは、会社の中の上下関係などは、特にうちの父たちはみんな軍隊に行っていますから、割と、何ていうかな、非常にカチッとした感じがしましたけれども。それで、なんとかそれをもっと自由な雰囲気の会社にするためにどうしたらいいかと考えました。まず最初にやったのが、服装の自由化なんですよ。当時はみんな、女性たちは制服を着ているんです。男の人もネクタイを締めてスーツでというのが、もうしごく当たり前だった。これを、お客さまのところに伺う営業マンは、お客さまに失礼があっちゃいけませんから、スーツを着る、ネクタイを締めるというのはしょうがないけれども、それ以外の人たちはもう全部自分の、いわゆる好きな服装で会社に来るようにしようと。そうしたら、最初はやっぱり反対されて。特に女性たちが、自分の私服で仕事をすると私服が汚れるって言うんですよ。
司会
ああ、そうですか。
今泉会長
で、それを予防するために事務服を着ているんだと。それを、事務服を着ちゃ駄目だよという的なことを言われると困るみたいな。じゃあ事務服を用意しましょうと。どっちでもいいふうにしましょうと。半年で全員、みんな私服になりましたね。
司会
変わりましたか(笑)。
今泉会長
うん、最初のうち、何か文句を言っていた人はどうしたんだろうぐらいな感じでしたけど、やはり自由化するっていうことは、人間って、自由に生きたいんだと思うんですよ。そして、服装を変えたら、みんなジーンズで来たり、そんなふうになってくるとね、どんどん、どんどん雰囲気が変わってくるんですよ。
司会
社内が明るくなってきました?
今泉会長
社内も明るくなるし、発言も、なんていうかな、割とフランクな発言というか、自由闊達な意見の交換ができるようになるし。だから、意外と形って大事ですよ。
司会
大切ですねえ。
今泉会長
一見、形なんかって思うけど。だからさっきのオフィスもそうなの。オフィスもやっぱり、まず、自由闊達にみんなが意見を交換できるような場所をつくってあげるということも大事なことなんだなというのを、ちょっと手前みそだけれども、うち、ほら、オフィス家具を売っているからね(笑)
司会
さて、まだまだお話を伺っていきたいと思うんですが、ここでいったんブレーク、1曲お届けいたいと思います。今日は会長に素敵な曲を選んでいただいたんですが、まず1曲目がフランク・シナトラのナンバーです。どうしてこの曲をお選びになりましたか。
今泉会長
皆さんがおそらく、フランク・シナトラで思い出すのが『マイ・ウェイ』なんですが、それほど何ていうか、歌い上げるというよりは、さらっとした歌のほうがいいなと。実はフランク・シナトラの味ってそっちじゃないかというふうに思って、前からこの歌が好きだったんです。
司会
はい。ご自身もよくお歌いになられると。
今泉会長
そうそう、そう。下手ですけど。人前で歌うなと言われていますが(笑)。
司会

それではお届けいたしましょう。『Strangers in the Night』。

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