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平成29年2月2日(第47回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:コーワソニア株式会社 高橋嘉一郎 社長
●チャレンジ企業紹介コーナー:株式会社上州農産

プロローグ

司会

こんにちは。ご案内役の奈良のりえです。大企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送している「チャレンジ・ザ・ドリーム」。今日のトップインタビューは、郵便受けの製造販売を中心事業に、携帯電話の販売店や飲食店など幅広い事業を展開している太田市のコーワソニア株式会社の高橋嘉一郎社長、59歳です。創業者である父を高校生のときに亡くし、大学卒業後に母親が社長を務めていた会社に入社。新しい事業にも挑戦して業績を伸ばしてきました。昨年度のグループ全体の売上高は50億円で、社長就任時の8倍以上に伸ばしています。まさに第二創業という言葉が当てはまる高橋社長に、チャレンジの様子を伺っていきます。そして番組後半は訪問インタビュー。「水で戻す乾燥納豆」を独自開発し、海外への挑戦を始めた前橋市の株式会社上州農産をご紹介します。

トップインタビュー

コーワソニア株式会社 高橋嘉一郎 社長

司会
コーワソニア株式会社の高橋嘉一郎社長にFM GUNMAのスタジオにお越しいただきました。高橋社長、どうぞよろしくお願いいたします。
高橋社長

よろしくお願いします。

塗装工場として創業

司会
コーワソニアは、もともとは1960年(昭和35年)にお父さまが創業したそうですね。
高橋社長
そうです。
司会
どういった業態でご商売をスタートされたんですか。
高橋社長
小さな塗装工場を始めたというのがきっかけだったと思います。
司会
その後は業態を変えていったんですか。
高橋社長
はい。私の祖父が公共住宅用の郵便受けの仕事を、実は国から持ってきたということがあったんですね。
司会
すごいやり手なおじいさまですね(笑)。
高橋社長
いやいや。当時、東京界隈で結構、高島平団地とか、多摩ニュータウンとか、あるいはもうちょっと埼玉寄りで草加団地とか、高度成長期に伴って、そういったプロジェクトが盛り上がって、仕事がものすごくあったんです。父の運転するトラックの助手席に乗って、いろいろな団地に荷下ろしの手伝いに行ったことをよく覚えています。
司会
そのお父さまなんですけれども、高校生のときにお亡くなりになられたと伺っております。そして、会社もお母さまがお継ぎになったわけですよね。
高橋社長
そうですね。ちょうど父が亡くなってからすぐに、会社と自宅のある場所が区画整理ということで、家も会社も移転をしたんですけれども、そのときに比較的当時大きな塗装ラインもつくったんですよね。それで興和製作所として再スタートを切ったわけです。時々母から、私が大学にいるころ、東京のアパートに電話がかかってくるんですね。今日は取引先に行って、こんなつらいことがあったとか、大変なことがあったとか。それって、話を聞いてほしい、愚痴を聞いてほしいというのもあったとは思うんですけれども、実は私の気持ちがほかに行かないように、将来はおまえがこの会社を継ぐんだよということを暗に言いたかったんじゃないかと思います。

入社当時の会社の様子

司会
大学卒業後に会社に入社をされるわけですけれども、その当時の会社の様子というのは、どのように社長の目に映っていらっしゃいました?
高橋社長
1年間、尾島にある大手家電メーカーさんに現場実習でお世話になったんですね。いろいろな現場を回ったんですけれども、中には当時うちの会社で納めた塗装品が品質不良で怒られたこともありましたし、また、品質管理課で「おまえのうちの会社なんかつぶすのはわけはないんだ」ということも言われたこともありました。叱られながら涙を流していたことも覚えています。でも、今から思えば、そのときにそんなことを言われて、やはり内心「こんちくしょう」と思っているわけですよね。それが自分の力の基になっているなというような気がしています。
司会
お母さまが経営者としていらしたわけですけれども、また普段のお母さまとは違う様子などもご覧になっていたと思いますけど、いかがでしたか?
高橋社長
そうですね。1年の現場実習が終わって、その後うちの会社に入ったわけなんですが、塗装工場なんで、職人気質の社員が多いんです。なんか声の大きい者の言うことをきくみたいな、そんな風潮があるんですね。
司会
ああ。ちょっと社長のイメージとは違うかなというような。
高橋社長
そうかもしれません。母はそういった人たちを褒めたり、すかしたりしながら、おだてて気持ちよくして、仕事してもらう。そういうことが大変得意でしたね。女性だからこそ、そういうこともできたんでしょうし、自分が社長になった場合には、俺にはできないなあっていうふうには思っていました、当時からね。それなので余計、会社を引き継ぐのが大変かなと思っていた時期でもありました。

転機となった青年会議所への入会

司会
その後、青年会議所に入会したことが、一つの転機になったんですって?
高橋社長
そうですね。そのときに母から勧められて入ったんですけれども。
司会
お母さまはどうして勧めたんでしょうね?
高橋社長
当時は工場と自宅のずっと往復でしたから、そんな私を見て、母からも帝王学を教えられないし、外で学んできなさいと、たぶんそういう意味だったと思うんです。それで青年会議所に入会をしました。あるとき、その青年会議所で講師を呼んだのですが、日本青年会議所の副会頭の田舞徳太郎さんというすごい人がいまして、この人は、人を育てなきゃ駄目だということで、日創研という人材育成の会社をつくった人なんです。そこに研修に来てくださいと言われまして、しぶしぶその研修に参加をしました。なんか嫌な研修だとは聞いていたんですけれども。
司会
厳しいとか、そういうことですか。
高橋社長
はい。
司会
参加してみて……。
高橋社長
その研修の中で実は田舞さんからはっきりと頭ごなしに「高橋さん、あなたが責任者だ」と、「環境のせいにしたら駄目だよ。リーダーというのは、その状況を生み出している責任者である」と言われまして、それからなんか、自分が責任者なんだなと、今までは全部他人事で済んでいたなというふうに、なにか目が覚めたような気がしました。
司会
今、高橋社長が欲しい言葉というか、どういうふうに進んでいったらいいんだろうというところを見抜いていらっしゃったんですかね。
高橋社長
二世経営者、三世経営者は、少なからずして同じようなところってあると思うんです。
司会
壁ですね。
高橋社長
はい。自分がつくってきたわけじゃないですからね。与えられた環境なので、初めはやはり他人事のように感じているわけです。それがいつかは自分事に切り替えなければならない。そこが大きな転機だとは思うんです。

36歳で社長就任

司会
1993年で社長に就任されたそうなんですが、高橋社長、36歳のときですか。
高橋社長
はい、そうですね。そのとき青年会議所の理事長もやらなければならない年で。
司会
同じ時期ですか。
高橋社長
そうなんですね。
司会
同じ年に?
高橋社長
はい。しかも当時、CIブームで、会社の社名変更とか、本社の移転を行ったんです。
司会
でも、くしくも1993年といいますと……。
高橋社長
そうです。バブルがはじけた年なんです(笑)。移転を考えたときにはまだ専務だったんですけれども、「おまえの覚悟で借金するならしなさい」と母親に言われまして、当時5億円ぐらい借金をして、本社の建物を今ある太田市の中根に建てたんです。それで社名も、興和製作所からコーワソニアにしたんです。JCの理事長と社長になって、それから多額の借金を背負って、「1993年、どうしようかな」と思って、ちょっと自分もその1年間を迎える勇気がわかなかったというか、非常に不安に思っていたとき、ある雑誌の中に見つけたんですが、摂心会という座禅を組む会があったんですよ。茨城県の利根川の河川敷にある、もう使わなくなった校舎でやるっていうことで。
司会
座禅を組むんですか。
高橋社長
そうです。それで、その摂心会に参加しました。ストーブもないので、寒くない格好をしてきてくださいと。いろいろな問題を抱えている人たちが、きっと集まっていたんでしょうね。その中に混じって、自分も5日間、座禅を組んだり、写経をしたり、太極拳をやったりしました。忘れられないのは、夜寒いときに、座禅をし終わったときに、あったかい梅茶をもらったんです。
司会
ああ、またこれが心にも体にも染みそうですね。
高橋社長
そうなんですよ。それを飲みながらぼろぼろ涙が出てくるんです。なんかよくわからないですけれども、ありがたみというか、そういうものを痛感したという感じがしましたね。
司会
気持ちの整理をつけるために、この年末年始の日々というのは必要だった。まさにその涙が出たときが、その瞬間なんですかね。
高橋社長
そうですね。かといって、そのときの体験がずっと残っているわけじゃないんです。でも、いざとなったときに、ああいう思いをしたなっていうことが、やはりよぎってくるんです。そのときに、「よし、頑張ろう」というふうに気持ちが入れ替えられるんですよ、きっと。
司会
この後、新規事業への挑戦を次々と行っていくわけですが、そのお話を伺う前に、ここで1曲お届けしたいと思います。今日は高橋社長に2曲選んでいただいているんですけれども、まず1曲目が、これ、7(seven)というグループ、ユニットですか。
高橋社長
はい。日本の有名なスタジオミュージシャンが集まってつくったユニットだと思います。
司会
はい。著名な方ばかり。
高橋社長
ええ。特にギタリストの松原正樹さん、もう既にお亡くなりになっていますけれども、その方が昔から大好きだったので、選びました。
司会
はい、ではお届けいたしましょう。『A Memory Of Majorca』。

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