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平成29年5月11日(第50回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:設楽印刷機材株式会社 設楽誠一 社長
●保証協会からのお知らせ:当座貸越根保証Gライトカードについて
●チャレンジ企業紹介コーナー:株式会社パンフォーユー

プロローグ

司会

こんにちは。ご案内役の奈良のりえです。夢への挑戦をテーマに企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送している「チャレンジ・ザ・ドリーム」、今日のトップインタビューは設楽印刷機材株式会社の設楽誠一社長、66歳です。設楽印刷機材は名前のとおり、印刷機材の販売などを手がけている会社で、群馬県内はもちろん、埼玉、栃木、茨城、長野、新潟、福島の各県や、東京、大阪でも販売を行っています。1954年に前橋市内で創業し、技術の進化などで業界の様子が変わっていく中、変化に対応して発展してきました。設楽社長に変化への対応の様子や先の読み方などについてお話を伺っていきます。そして番組後半は訪問インタビュー。オーダーメイドのパンを通信販売する会社パンフォーユーを起業した桐生市の矢野健太さん、28歳をご紹介します。

トップインタビュー

設楽印刷機材株式会社 設楽誠一 社長

司会
設楽印刷機材株式会社の設楽誠一社長にFM GUNMAのスタジオにお越しいただきました。設楽社長、どうぞよろしくお願いいたします。
設楽社長

はい、よろしくお願いします。


〔収録風景:スタジオにて〕

印刷機材とは

司会
まず基本的なことから教えてください。御社は印刷機材の販売などを手がけているということですけれども、印刷の機材というのは例えばどういったものがあるんですか。
設楽社長
私どもで販売している商品にはいろいろな種類がございますけれども、皆さんがイメージされてピンと来るような商品で言いますと、新聞を刷る印刷機ですね。ちらし、パンフレット、大量のものを高速で刷る商業オフセット輪転機のような大きい機械まで販売させていただいております。

創業期

司会
創業は1954年(昭和29年)と聞いています。お父さまが個人経営でスタートさせたそうですね。
設楽社長
はい。父は伊勢崎の印刷会社の5人兄弟の長男で生まれました。本来ならば長男ですから跡を継ぐのが当然なんですけれども、父には将来構想があったんでしょう。実家の印刷会社は自分の弟に任せて、父自身は前橋で機材の販売を手がけたのがきっかけでございます。
司会
設楽社長が子どものころに、会社を見たことはありました?
設楽社長
ええ、当時は県庁前の長屋の一角で1階が仕事場で、2階が住まいでしたので。父と母が朝早くから夜遅くまで本当にもう働きずくめという後ろ姿を見て育ったんですけれども、その姿は今でも覚えております。それで、大変に厳しい父だったものですから……。
司会
そうですか。
設楽社長
家庭と仕事場が一緒だっただけに、私が学校から帰ってくると、必ずお客さんがいるんですよ。まず、お客さんと会ったときにはあいさつします。ランドセルを下ろして、帽子を取って、頭を下げて。それで、父親のしつけなんでしょうね。大人と話しちゃいけないと言うんです。非常に厳格な父でしたので、よく叩かれたことは覚えているんですけどね(笑)。でも、優しい父でもありました。

入社の経緯

司会
それから時が経ち、その後、入社をすることになるんですけれども、やはり継ぐという気持ちから入社をしたんですか。
設楽社長
いえ、私は入社するつもりはありませんでした。
司会
あら?
設楽社長
はい(笑)。大学を卒業して普通に就職試験も受けましたし、当時は東証一部・総合商社に職を置くことになりました。厳しい父なものですから、「うちに帰ってこい」とか、「跡を継げ」とか一切言わない人でした。
司会
そのような中で、商社に修業に出たというか、印刷業界とは全く違うお仕事に身を置きましたが、結局入社をなさったわけですよね。
設楽社長
はい。
司会
これは、お父さまが「帰ってきて」と言ったわけではなく、社長が何かのタイミングで帰ってきたいなと思ったんですか。
設楽社長
はい。それなりの理由がありまして。
司会
なるほど。
設楽社長
正直言いますと、運勢上のことなんですけどね。
司会
運勢?
設楽社長
ええ。私が行ったのは大阪なんですけどね、あまりにも年回りがよくないとか、周りの人……特に親戚筋に言われたりして。私は会社のトップの人に転勤させてくれとお願いして、転勤先が決まりました。それがなんと福岡で、同じ線上なんです。
司会
なるほど、方角を本当は変えたかったのに(笑)。
設楽社長
そうなんです(笑)。
司会
もっと遠くなってしまって、もっと方位の力が強くなったような。
設楽社長
はい。それで、これ以上会社に迷惑をかけてもということがありまして、自分から身を引きました……結局辞めるしかないと。それで前橋に戻って就活をやっていましたが、ちょうどオイルパニックで景気が悪くなってきて、それこそ就職はなかなか厳しいという状況で1年待ちました。そのときに、父の会社から「若いときにプラプラしたんじゃあまり芳しくない。アルバイトでいいから、うちを手伝わないか」ということで……倉庫番に。
司会
倉庫番?
設楽社長
ええ、倉庫番から入りました。アルバイトで。
司会
ああ、そうですか。
設楽社長
それで、また就職の時期が来ましたが、待てど暮らせど話はなく、こんな状態でいいのかと自問自答しまして、父に頼んで入れてもらいました。
司会
そうなんですか。
設楽社長
それで、入ったのは入ったんですけど、またアルバイトなんです。正社員にしてくれないんです(笑)。
司会
厳しいですね。一貫して厳しいですね。
設楽社長
それで会社に入っても、ベテランの方ばかりいらっしゃるんでね、私が入ったからといって何ができるわけじゃないですから、何か自分しかできないもの、自分ならできることを見つけなくちゃいけない。
司会
それは、何かをやってくださいとは指示されないんですか。
設楽社長
「仕事は自分から見つけるもんだ」と父に言われました。
司会
あ、いわゆる新規開拓……。
設楽社長
ですよ。
司会
ああ、そうですか。指導者の先輩がいるでもなく?
設楽社長
はい。
司会
すごいですね。
設楽社長
当時は営業エリアというのがありまして、他の営業の方々が一生懸命頑張っている地域に、ましてや社長の息子なわけですから、従業員さんとの関係もあまり刺激してもいけないと。最初は従業員さんの回っていないところ、あるいは市場開拓も含めて自分でやってみようということで、遠いところは車で3時間半以上かかるところまで出向いて資材の販売をしていました。それから1年ぐらいしましたら、近場でも当社になびいていただけない市場の開拓に行くことになると、従業員さんから私に行ってくれという声がかかるようになりまして、ほとんど今までお付き合いのない得意先ばかりを営業先に持ち、営業活動をするようになりました。

印刷機材の変化

司会
そのあたりが肌感覚でつかんでいく難しさ。誰が教えてくれるわけではないけれども、自分で切り開くというチャレンジングな姿勢というのが大変感じられました。続いては印刷業界の1980年代から90年代のころにかけて少し伺いたいんですけれども、ずいぶん印刷機材の変化があったようですね。
設楽社長
印刷というのは幾つかの工程がございまして、特に印刷機の前工程で、写植で文字を印字したり、写真を取り込むためのスキャニングですとか、製版という工程がございます。それらの工程をいかに短く、そして品質的にも、スピード的にもクリアできるような作業環境にということで、この当時大きく影響をもたらしたのがマッキントッシュ。
司会
マッキントッシュ。
設楽社長
はい。編集を含めたマシンとしてアメリカでは普及しつつありました。そんな情報を耳にしたものですから、約5年間、毎年アメリカへ行きました。どうやら文字も取り込めて、製版作業も編集作業も全部マッキントッシュでできちゃうよということで……。ソフトをつくっているデンバーのクオークというソフトメーカーへ行き「バージョンはどのぐらい上がった」とか、「上がったからここまでできる」とか聞いて喜んで帰ってきたんですけれども。それを機材商社として早く日本に位置付けるために、マッキントッシュを中心とした出力センターを私どもの会社の中につくりまして……。
司会
出力センターというのはどういうものですか。
設楽社長
データからフィルム出力をするという作業でございまして、現在は、そのデータを版に直接出力するという作業に変わりつつありますが、当時は、まずフィルムで4色出力をした後に、版を起こして、そしてその版を基に印刷するという方式でございました。
司会
その出力センターがなければ、幾らつくってもどうにもならないと。
設楽社長
はい。印刷業界さんの立場からしますと、独自で所有するということもあったかもしれませんけれども、非常に高額でございますし、データのつくり方によっては、思うように出力できない場合もあります。それを私どもは教育から指導させていただいたり、あるいは、そのデータのつくり方をフィルムに出力しやすいような環境にフォローしてあげたり、いろいろなことをさせてもらいながら、印刷業界のデジタル化のきっかけをつくらせていただいたかなと思っています。
司会
なるほど。それで設楽社長、マッキントッシュのそのシステムを売り始めたというのは、全国的に見て、結構早いほうだったんですか。
設楽社長
一番早いです。
司会
一番? おお、そうですか。
設楽社長
本当に手前味噌ですけれども、当時、私が歩くと、「マッキントッシュが歩いている」と言われたこともありますし……。
司会
格好いい。
設楽社長
同時にマッキントッシュのデジタル化に対して、発信基地は群馬の前橋だと言われました。日本全国で。
司会
なるほど、ここにミスターマッキントッシュがおられました(笑)。
設楽社長
ありがとうございます(笑)。
司会
そしてそういった中、1997年に社長に就任されたということですが、これは設楽社長がお幾つのときですか。
設楽社長
44歳でしょうかね。
司会
厳しいお父さまは、その頃どんな感じでしたでしょうか。
設楽社長
父が77歳。早いか、遅いかで言いますと、決して早くはないんじゃないかなと思うんですが、なかなか社長を譲れなかったという思いは、やっぱり創業者ですよね。
司会
そうですね。
設楽社長
私自身も社長になりたいという気持ちも毛頭持っていなかったので、父にもし何かあれば会社を誰が支えるんだということを考えたときに、やはり自分かなあという思いで社長を引き受けました。
司会
さて、それではここで1曲お届けしたいと思います。今日リクエストいただいた曲は、これは社長の思い出の曲と聞いておりますけれども、よくお若い頃に聞いていたんですか。
設楽社長
はい、学生のときに。
司会

学生のときに聞いた1曲ということで、先ほども口ずさんで歌っていらっしゃいました。お届けいたします。ピーター・ポール&マリーで『パフ』。


〔設楽印刷機材株式会社 本社〕


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