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平成29年12月7日(第57回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:エスビック株式会社 裄V佳雄 社長
●保証協会からのお知らせ:創業計画サポートガイド(平成29年 改訂版)の発行について
●チャレンジ企業紹介コーナー:株式会社プラスエヌ


プロローグ

司会

こんにちは。ご案内役の奈良のりえです。夢への挑戦をテーマに企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送している「チャレンジ・ザ・ドリーム」。今日のトップインタビューは、コンクリートブロックなどの製造販売を手がけている高崎市のエスビック株式会社 裄V佳雄社長、68歳です。エスビックは業界1位の売上高と生産量を誇り、1社でコンクリートブロックの全国シェアのおよそ2割、東日本ではおよそ4割を占めています。これだけの業績ということは、何か他社にないものがあることと思いますが、ブロックって差別化の要素がそれほどあるものなのでしょうか。業界1位の秘密などについて裄V社長に伺っていきます。そして番組後半は訪問インタビュー。2児の母親で、訪問看護、訪問リハビリテーションの会社を立ち上げた高崎市の野口和恵社長にお話を伺います。

トップインタビュー

エスビック株式会社 裄V佳雄 社長

司会
エスビック株式会社 裄V佳雄社長にFM GUNMAのスタジオにお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
裄V社長

こちらこそよろしくお願いいたします。


[収録風景:FM GUNMAスタジオにて]

コンクリートブロック業界1位

司会
エスビックは、コンクリートブロックで業界1位の売上高と生産量を誇るそうですね。
裄V社長
一応そういうことになっております。
司会
規模としてはどのぐらいなんですか。
裄V社長
売上では全国のシェアがおよそ2割です。
司会
2割。
裄V社長
数量的には全国6工場で毎日平均20万本出荷しております。大型トラック1台におよそ1,000本積みますので、毎日200台出荷している勘定になります。
司会
現在、売上でいくとどれぐらいなんですか。
裄V社長
12月20日で今年の決算になりますが、112億円前後です。
司会
そんなエスビックがあることも関係していると思うんですけれども、群馬県はコンクリートブロックの生産量が全国1位なんだそうですね。群馬県が有利な理由というのがあるんですか。
裄V社長
はい。群馬県は軽量ブロックの原料になります軽石が豊富にあります。なおかつ、東京まで110キロ程度で、日本で一番大きな市場がすぐ近くにあります。原料に近く、消費地にも近いという、日本で一番有利な場所です。

創業時の様子

司会
そうした中、エスビックは1952年(昭和27年)に社長の岳父、義理のお父さまでいらっしゃる裄V本次さんが創立したそうですね。
裄V社長
はい、そうです。岳父の話によりますと、関東大震災以来、れんがとか、ブロックとか、組積材が非常に大きな被害を受けたということで、実質的に使用禁止という状態が続いたんですが、戦後、米軍が進駐したときに、兵舎等の頑丈な建物はコンクリートブロックでつくり始めたものですから、65年前の11月27日の新聞に、大臣許可で補強ブロック造を使ってよろしいと。その記事を岳父が見まして、翌日に「新日本ブロック研究所」というのを設立したわけです。前橋の三和練炭というところで、軽石とコンクリートを混ぜて固めただけのブロックをつくっているという話があったんです。それで、これを見て、箕郷では、軽石のことを「カラバイシ」って呼んでいたんですが、それなら切り通しとか、そういうところに見えていたんで、これを使えば軽いブロックができるとひらめいたんだそうです。
司会
そしてこれは今後建築部材としていけるなとご判断されて。
裄V社長
はい。それはね、当時木と紙でできているのが日本の家だったわけですね。コンクリートブロックなら軽くて燃えない。耐久性も高いコンクリートブロックこそ、新時代に対応する生活必需品であると。社名を研究所としたのは、どう作って良いかわからないから。それで、今の国交省ですが、そこの窯業建材課みたいなところに行きましたら、すぐに東工大の建築科の先生とか、あと、ブロックマシーンを扱っている商社とか、そういうことを丁寧に教えてくれたそうです。
司会
戦後の焼け野原のような状態を、何とかして日本も建て直そうとしたときに、やはりこれは必要だと皆さんも感じてくださり、そしてそれを受け取ってくれたからこそなんでしょうかね。
裄V社長
ですからもう半年後ぐらいには、製造を始めているんですね。
司会
研究所でしたけれども、もう実際にスタートして稼働して。
裄V社長
もう昭和28年から出荷していましたから。

裄V社長の入社の経緯、入社直後

司会
裄V社長は、本次さんのお嬢さんとご結婚されてエスビックに入社したと伺っているんですけれども、もともとはどういったお仕事をされていたんですか。
裄V社長
私は、日産グループの今年130周年を迎える日産化学工業の技術スタッフでした。初代社長が高峰譲吉博士。人工で肥料を作り豊かにするために設立した会社で、いわゆる化学では草分けの会社に技術スタッフとして採用されて、4年勤務したときに、ご縁がありまして岳父本次の長女と結婚して、ちょうど40年になります。
司会
社長はエスビックに入られて、どのようなお仕事をまず担当されたんですか。
裄V社長
今でも感謝していますが、岳父に用意していただいたポストは、スタッフなしの企画課長です。
司会
1人ですか。
裄V社長
上はいますけどね。
司会
企画をするわけですね。新しいことを生み出していくということですか。
裄V社長
はい。きれいなブロックをつくれと。
司会
きれいなブロック。それまでは、きれいというところよりも実用性というところを重視していたということでしょうかね。
裄V社長
はい。いわゆる皆さんがイメージするスタンダードブロック、まあ普通ブロックなんですが……。
司会
普通のブロック、はい。
裄V社長
我が社は、もうその当時で日本一のコンクリートブロックのメーカーでした。それからオイルショックを境目に、数量がどんどん減ってきました。そういう中で化粧ブロックという、きれいなブロックが出回り始めて、我が社はかなり遅れをとり始めていたんですね。
司会
でも数で勝負して、業界ナンバーワンだったわけですよね。
裄V社長
ええ。でも、大きい分だけ、オイルショックで非常に熱源のコストが上がりましたので、23億円の売上で経常利益が8,000万円の赤字だったんですね。そのときはまだ黄色信号だったんですが、私が入った昭和54年1月期決算では、同じぐらいの売上で2億円の赤字になっていたんです。もう赤信号だったということです。新しいものをつくらなければという危機感の中で、自由に発想して欲しいと。
司会
どうやって発想していったんですか。
裄V社長
まず市場調査です。ほかの会社がつくっている化粧ブロックなるものを全てリストアップする。それで、副社長、営業の総責任者にお願い致しましたら、全営業員にアンケートしてよろしいということでしたので、お客様は、何を欲しがっているか10ページぐらいのアンケートを、全員に出していただきました。
司会
全員というのは、その当時は何人ぐらい、いらしたんですか。
裄V社長
社員はグループで350人ぐらいいましたですかね。その内、営業員はせいぜい20人ぐらいでした。その全員に化粧ブロック開発についてアンケートを取って、副社長に全営業員を集めていただき、皆さんの意見を集約すると、こういうブロックが欲しいということですねとフィードバックしました。ぜひそれでやってほしいということでスタートしたわけですが、入社して3カ月後に恐ろしいことが起きたんです。
司会
何ですか。
裄V社長
宮城県沖地震です。あのときに、津波じゃないんですよ、ブロック塀のように鉄筋で補強していない天然石が倒れて、全部で25人死亡した中で、ブロック塀の下敷きで亡くなったと報道された。明らかにブロック塀と思われるのは11人ぐらいなんですけど、ブロック業界が急速に衰え始めたんです。美しいブロック、それにもう一つ追加条件が即座に挙がりました。
司会
何ですか。
裄V社長
「佳雄君、美しく、かつ、倒れないブロックを開発しろ」。
司会
安全なもの?
裄V社長
ええ。もともと商品名は、「新日本ブロック、SB」なんで、エスビー・ストーンって決まっていたんですね。
司会
名前がもう先に決まっていたんですか。
裄V社長
よく考えてみて、「新日本ブロック」のSBに、「セーフティブロック」のSBの意味も含めました。だから形状も直しましたよ。倒れないようにするのには、横に入れる鉄筋のところを深掘りにしないといけないので、大きいえぐりにしたのと、透かしブロックというのは鉄筋が入らないので、模様を小さめにして、わざわざ超硬チップでポール穴を削り出しました。
司会
いろんなご苦労があって誕生したということですけれども、このエスビー・ストーンというのは売れましたか。
裄V社長
ええ。今でも思い出しますけど、おそらく4〜5年で月間1億円を超えるようになり、最盛期には年間20億円になりました。23億円の会社がそれだけで20億円上乗せになったんです。これから1カ月2億円も売れる新製品はなかなか難しいと思います。
司会
本当に社員一丸となってつくり上げた商品が、会社をまさに救ったんですね。
裄V社長
はい。

事業拡大

司会
そして1980年代から90年代にかけて、工場や営業所を次々と開設するなど、事業を拡大していきますけれども、何が事業拡大のエンジンになったんでしょう。
裄V社長
お客さまのニーズが増えるでしょう。そうすると、能力を拡大しなきゃいけないので。私が入ったときは3工場だけなんですね。そのままずっときたんですが、どんどん好景気になりまして、昭和63年から平成元年にかけて、3工場を新設したんです。
司会
その時期に設備投資をしたと。
裄V社長
まあバブル景気でしたから、もう世の中がワーッとなったときに、どんどん出荷も増えるわけですね。そのとき最初に竣工したのが綿貫工場なんですね、国道354バイパスの。
司会
ええ。
裄V社長
それと、新規事業として、インターロッキングブロックの工場を高崎工場の中につくりました。高崎は東京まで110キロありますけど、茨城の常総市、そこは60キロしかないので、配送が1日2往復できるんですね。そこにつくば工場を新設しました。
司会
バブル景気に沸いていて、例えば不動産とか、いろいろなほかのものにも手を出してなんていう企業も多かった中、御社は設備投資だというふうに、本業でいくんだという。
裄V社長
はい。うちはメーカーに徹すると、そういうことなんですね。
司会
なるほど。そして1997年に47歳で社長に就任されました。
裄V社長
はい。
司会
この後はそのあたりのお話を詳しく伺っていこうと思いますが、その前に1曲お届けしたいと思います。今日は、もう群馬を代表する尾瀬と言えばあの曲ですね。『夏の思い出』をお届けしたいと思うのですが、これは何か思い出の曲ですか。
裄V社長
はい。大学へ行ったらぜひ尾瀬へ行ってみたいなと。群馬大学工学部に受かったんですが、尾瀬ハイク募集というのが掲示されまして、5月の連休ぐらいですけど、尾瀬ハイクに応募しました。素晴らしい水芭蕉を覚えております。
司会

そんなとっておきの思い出とともに、それではお届けいたしましょう。ダーク・ダックスで『夏の思い出』。


[綿貫工場では、屋上を有効活用した太陽光発電事業を平成25年2月より開始]

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