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平成30年1月4日(第58回)放送【1】

【プログラム】
●トップインタビュー:サンデンホールディングス株式会社 牛久保雅美 名誉会長特別顧問


プロローグ

司会

明けましておめでとうございます。ご案内役の奈良のりえです。夢への挑戦をテーマに企業トップへのインタビューなどをおよそ1時間にわたって放送している「チャレンジ・ザ・ドリーム」。新年1回目の放送の今日は、サンデンホールディングス株式会社の名誉会長特別顧問 牛久保雅美さん、82歳へのトップインタビューをロングバージョンでお届けします。カーエアコン用コンプレッサーや、冷凍・冷蔵ショーケース、自動販売機の製造・販売などを手がけ、アメリカやヨーロッパ、アジア、オーストラリアなど世界23カ国・地域に54拠点を持つグローバル企業のサンデンですが、創業の地は伊勢崎市で、ここから世界に羽ばたきました。海外進出したころから事業に携わってきた牛久保名誉会長に、世界への挑戦の様子や、会社経営に対するお考えなどを伺っていきます。

トップインタビュー

サンデンホールディングス株式会社 牛久保雅美 名誉会長特別顧問

自らを「マイク」に

司会
サンデンホールディングス株式会社 名誉会長特別顧問の牛久保雅美さんに、FM GUNMAのスタジオにお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。牛久保名誉会長は社長時代、自らをマイクと呼んでほしいと社員の方々におっしゃったそうですね。
牛久保名誉会長

はい。


[収録風景:FM GUNMAスタジオにて]

司会
これはどうして、どういった意図からだったんでしょうね。
牛久保名誉会長
実は、私が社長になったとき、総務部長から、会社としてこれからいろいろな職務が増えてくる。○○部長だとか、○○常務だとかというように。その場合、都度その職制を付けて人の名前を呼ぶのは大変だということで、そういう職制では呼ばないで、みんな仲よく気楽に仕事ができる雰囲気をつくったほうがいいんじゃないかという提案がありましてね。「うん、いいじゃないか」と。私もどちらかというとそういう提案には賛成ですから。その総務部長曰く、「社長は1人しかいないんだから、社長だけは牛久保社長というふうに呼びましょうよ」と。「それ以外は、常務・専務・部長・本部長、もう一切『さん』でやりましょう」と言ったものですから、「いいよ。じゃあそれでやってみて」と。社長抜きだったのですが、「わかった」ということで始めたわけです。
司会
ええ。
牛久保名誉会長
そうしましたらね、上のほうの役員が、自分の部下からさん付けで呼ばれるので面白くないと。「何で私だけ。そう簡単に部下から気安く呼ばれる筋合いはない」と、どうももめているという話がありましてね。ああ、そうか。しかし、さん付けでやろうということについて、私としては賛成なので、「皆さんがそう言うのなら、社長の私もさん付けでいいよ」ということにしたんですよ。
司会
ああ、そうだったんですね。
牛久保名誉会長
ただし、それまで、私は海外関係の仕事をずっとやっていて、もともとマイク牛久保と呼ばれていたんです。海外では。ですから、全社的にマイクでいこうということで、皆さんに徹底してもらうために、社内の通達で私のにがお絵を描いてね、私をマイクと呼んでくださいと社内報で大宣伝をしたわけです。
司会
呼び名が変わるだけでもう、ずいぶんマインドも変わりますでしょう、きっと。
牛久保名誉会長
そうですねえ。
司会
会社の雰囲気が、例えば風通しがよくなるとか。
牛久保名誉会長
だと思うんですけどね。ただ一つ、最近になってものすごくまずいんじゃないのということが実は出てきている感じがしているんですよ。逆にね、職制に対して、プライドがなくなってきている。
司会
そうですか。
牛久保名誉会長

みんなでさん付けでしょう。そうするとね、○○専務と言われると、専務だから専務の仕事をしなければいけないじゃないか、常務だから常務としての仕事をしなければいけないじゃないか、リーダーにならなければいけないんじゃないかっていう雰囲気をやはり持つわけですよね。それがね、やはり10年、20年経つと、ものすごく薄くなってきたなという欠点もありますよね。ですからその時々に、どういう考えのもと行うべきかを考慮することこそ、私はリーダーの決めるべき仕事だと思いますよ。一長一短ありますよね。


[「さん付け運動」を社内報で展開]

入社までの経緯

司会
そうですね。さあ、そんな牛久保名誉会長に経営の様子などを今日は詳しく伺っていきたいと思います。はじめに、サンデンの沿革などを少し私からご紹介させていただきますと、サンデンは牛久保名誉会長のお父さまで群馬県の名誉県民でもある牛久保海平さんが、戦争中の1943年(昭和18年)に三共電器として設立し、戦後になって自転車用発電ランプを開発して成功しました。一方、牛久保名誉会長は、昭和10年のお生まれで、前橋高校から早稲田大学の理工学部に進まれました。子どものころから会長は、父の、お父さまの会社を継ぐのだという思いはあったんですか。
牛久保名誉会長
全くなかったですね。
司会
なかったんですか。
牛久保名誉会長

全くなかった。というのは、私は次男ですからね。兄貴がいたから。今はもう亡くなりましたけど。ですから、そういう面では非常にフリーで育ったと思いますね。私が電気工学をやったのは、おやじがやっていた織物工場が、戦時中に三共電器に切り替えたということもあります。私のおじが、もともと電気関係の技師で、終戦後すぐなんですけどね、仲間を7〜8人連れてきたんです。彼らの趣味が何だったかというと、ラジオをつくったり、オーディオをつくったりして楽しむことでした。それを見て、私も中学・高校のころそれを始めたわけです。それが面白くて電気工学という部門の学校に入りました。当時は、終戦後すぐですからね、電気が足りない時代。発電関係だとか、送電だとかそういう電気のことを強い電気と書いて強電というんですよ。それから、オーディオだとか、無線だとか、そちらのほうを弱電と言いましてね。私が始めたのは実はその強電のほうを基本で始めたんですよ。オーディオのほうは趣味。実は、私が大学を出るときの卒業論文はカラーテレビなんですよ。


[オーディオ機器に興味を持ち趣味でラジオ製作を行った前橋高校時代]

司会
カラーテレビ、ええ。
牛久保名誉会長
まだカラーテレビが日本になかったころ、アメリカのものを持ってきて、あるメーカーに行って、カラーテレビの卒論をつくったんですが、専門は発電のほうなんですよね。父親が三共電器という会社を経営していたので、あまり生活には困らなかったから、勝手なことをやっていたんですね。大体当時は、卒論をやった会社に就職していたんですよ。
司会
ああ、そういう流れができていたわけですね。
牛久保名誉会長
そうそう。ところがそこへ行かないで……。
司会
どうしてですか。
牛久保名誉会長
何となく面白くないなと。
司会
卒論でやってみたけれども……。
牛久保名誉会長
小さすぎるんですね、やはり、当時はね。
司会
そうですか。
牛久保名誉会長
それで大学院に入って、学校に残ったんですが、何をやりたかったかといったら、私は世界を飛び歩いてみたいという、基本的なベースを持っていました。そうしたら、イギリスの技術を持ってきて、日本で一番初めの原子力発電所を東海村につくるために、その電気関係のメーカーが、学校に人材募集に来たわけですよ。それでぜひ来ないかという話で。ということはイギリスに行けるなと。会社のお陰で(笑)。
司会
会社のお陰で夢がかなうと。
牛久保名誉会長
ええ。夢がかなうと。しかも日本で初めてだと。かなり面白いねということで。私自身、人のやったことの後を付いていくっていうのがあまり好きじゃない。何でも新しいものという考えがありましてね。
司会
その原発のほうのお仕事っていうのは、どのぐらいなさったんですか。
牛久保名誉会長
前の会社には10年間。
司会
10年間。
牛久保名誉会長
10年間いました。初めの原子力発電所は、5年間ぐらいでできる予定だったのが、8年かかったんですよ、実はね。小さいですけど、当時一番稼働率がいい発電所でした。ということで、自分なりに、かなりプライドを持って仕事ができるということは、やはり大事なことだと思いますよね。終わってから、今度はその仕事は、この会社では続かなくなってしまって、「あれ、もう大体これ、先、見えてきたな」と。それで、一方、おやじのやっている会社、サンデンを見ますとね、結構私の友達もサンデンに入っているわけですよね(笑)。
司会
ご友人が。ああ、そうですか。
牛久保名誉会長
電気関係ですから、まあ私も学生のころはアルバイトに三共電器に行っていたわけですよ。「北海道へ行って部品を取り換えてきてよ」なんていうアルバイトもずいぶんやったんですよ。それで、北海道をね、1人でリュックサックをしょってね、サンデンの新しい商品の部品が悪いからって、お店をずっと回って取り換えて。と同時に、北海道旅行を一緒にやってくるわけですよ(笑)。
司会
そして、1968年(昭和43年)に、当時まだ三共電器だったサンデンに正式に入社されたそうですね。
牛久保名誉会長
まあ私自身、電気の技術を持っていながら、よその会社にいてね、でも、おやじの周りではみんなが一生懸命になって仕事をしていると。これじゃあみんなに申し訳ないんじゃないかなという感じもして、おれも技術屋だから、みんなと一緒になって仕事をやりたいという思いがあったのが一つと、それから、会社の中で新しい仕事をやりたい、海外の仕事をやりたいという思いがあった。そのころも、社長になるっていうつもりはなかったですよ。
司会
では、名誉会長が入られたころっていうのは、まだ海外展開はもちろんしていなかったということなんですね。
牛久保名誉会長
ただ当時、もうぼちぼち日本も発展してきたから、輸出はしていたんですよ。その自転車用の発電ランプの輸出はしていたんだけれども、いわゆる実際に海外に行って仕事をするということはなくて、注文を受けて輸出していたんです。

マーケティングを学ぶ

司会
入社して、具体的にどんなお仕事をまずされたんですか。
牛久保名誉会長
サンデンに入ってね、本来なら技術屋ですから、群馬県のほうの技術の部門に入ってやるのが、まあ普通ですよね。でも私はそういうことじゃなくて、このサンデンの中で何か新しい事業を起こしたいということで、東京に残りました。そのときに、先ほど申し上げた技術屋のおじがね、「ある商品が売れないので、いわゆるマーケティング指導を日本能率協会の先生に頼んで今やってもらっている。そこの皆さんと一緒になってやってみたらどうだ」と。マーケティングの勉強をしたらどうだということで、そこへ入ったんですよね。
司会
名誉会長、「マーケティング」って、今ではもう本当に皆さんよく知っている言葉として使われていますけど、その当時、「マーケティング」って、日本に入ってきていたんですか。
牛久保名誉会長
入ってきたばかりですね。ですから、よくそういう講習会があったんですよね。私ももともとは技術屋ですから、マーケットなんてコンセプト、まるっきりありませんからね。それで話を聞いていて、「あれ、すごいな」と。科学というのは自然科学しかないと思っていたわけです。ところが経済学にも、商学にも、いろいろなところに科学っていうのがあるんだとマーケティングを勉強して初めて知ったんですよ。「そうか、社会科学にも、本当はこういう科学があるんだな」ということを実は初めて知ったんですよ。それで、「ああ、これを使わない手はないな」ということで、いろいろな面でサンデンのやっている商売を、マーケティング的な面から分析したんです。
司会
どういったことが見えてきて、どのように変わってきました?
牛久保名誉会長
当時売っていた商品はね、50万台ぐらい売ったら、もう売れなくなってしまうという需要予測がつくわけですよ。だけど、作っているほうは知らないわけですよね。「そうか。これはもうそんなに先はないんじゃないのか。じゃあ何かやらなければならないね」とマーケティングからするとそういう発想になってくるわけです。そうすると今度は、じゃあ、次に何なのかといった場合に、やはりマーケティング的な考えで「じゃあ、どういう商品をやったらいい?」となる。それでみんなからアイデアを求めて、何をやろうかということを考えたわけです。
司会
どんなものが出てきたんですか。
牛久保名誉会長
その中で温水ボイラー、今の、給湯器。それから冷蔵冷凍車。まあ、そんなようなものが5つか6つぐらい挙がって、その中に車のエアコンがあったんです。
司会
ええ。
牛久保名誉会長
それで、5つぐらいある中で、将来どうなると、今の世の中に対してはどうだと、世界ではどうなっているかを調べた場合に、車のエアコンが自動車産業の発展と同時に出るんじゃないかと。それに対してはまだ世界的に手が付けられていないことがわかった。一番のキーは、ほかの商品は、日本の国内では売れるけれども、給湯器は世界に持っていっても、今は話にならないと。車のエアコンだったら世界中歩けるねと。
司会
お好きな場所に、いろんなところへ行きながらビジネスをするという(笑)。
牛久保名誉会長
そう、仕事をやりながら世界中飛び周れるねと。
司会

そうした中で、サンデンの主力商品の一つであるコンプレッサーの生産がいよいよ始まるわけなんですが、そのあたりのお話は、この後伺っていきたいと思います。その前に1曲お届けいたしましょう。名誉会長は、いろいろな社会的な活動もなさっていて、その中でも群馬日仏協会の会長を務めたお話を伺っております。もちろんフランスにも何度も行かれて、お仕事でもプライベートでも。(笑)。曲は『オー・シャンゼリゼ』。


[仕事とプライベートを兼ねて仲間と共にヒマラヤ登頂]

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