静かな農村にデ・レーケの近代土木遺産を巡る
榛東村
先頃、とあるイベントに参加するため、神戸を訪れました。金曜日の夜に高速バスで出発し、大阪から電車に乗り継ぎ土曜の朝に神戸に到着、そして、その日の夜には大阪から高速バスに乗り、日曜の早朝に前橋に到着するという強行スケジュールだったのですが、バスでも苦もなく眠れるタイプの自分としては、なかなか快適な旅でした。神戸での自由時間は4時間弱と少なかったので、観光施設やお店をじっくりと味わうことはできなかったのですが、気になる地域をひたすら歩き回ってきました。最初に訪れたのは、阪急神戸本線春日野道駅の近くにある大安亭市場。市場といっても細長いアーケードつきの商店街で、散歩マニアの知り合いに、ぜひ行くべきと勧められたので足を運んでみたのですが、名前に違わず安売りの店がずらりと並び、昭和テイスト濃厚な、原色を多用した派手な店構えと、人々が行きかう活気のある様子は、確かに一見の価値のあるものでした。そこから三宮方面へと進み、旧居留地に点在する近代建築を鑑賞してから、横浜の中華街にも匹敵する元町の南京町で、点心を立ち食いしながらオリエンタルな異国情緒に浸りました。更に、傾斜地に古い洋館が建ち並ぶ北野の異人館街で、多国籍でエキゾチックな雰囲気の路地を歩き回り堪能しました。三宮駅周辺は大きな商業ビルが建ち並ぶ大都市としての顔を持っているのですが、その周りに、まったく違うタイプのまち並みが寄り集まっているところが、神戸の魅力であると思いました。神戸を訪れたのは今回が初めてだったのですが、今度訪れるときは、ゆっくり時間をかけて、おいしい料理を味わったり、名物のお土産を買ったりしたいと思います。
さて、今回は、榛東村新井地区を訪れることにしましょう。榛東村役場の隣にあるふれあい広場に車を停め、歩き始めます。芝生の広場や遊具、東屋などがあるふれあい広場を散策してから、西に向かうと、善成寺の少し先に「猪(しし)土手」の案内板が立っています。猪土手は、野生の猪や鹿が人里に降りてきて農作物を荒らすのを防ぐことを目的として、榛名山麓36ヶ村の住民が協力して築いた何キロにも及ぶ土手で、築年代は不明です。高さは2メートルほどあったそうですが、案内板の周囲を見ても、それらしい土手は見当たらず、現在ではだいぶ風化、崩壊が進んでいるようです。上野貯水池を通り越してしばらくすると「桃泉開拓百周年記念碑」が立つ十字路が現れ、左に折れ南に向かうとすぐに八幡川があり、橋のたもとに「八幡川とデ・レーケ」という案内板が立っています。ヨハネス・デ・レーケは、明治政府が近代化に当たって招聘した欧米人のひとりで、明治6年(1873)から明治36年(1903)にわたり日本に滞在し、河川の治水工事や築港で多くの業績を残しています。淀川、常願寺川等の改修、大阪港、三国港等の築港などの功績で知られますが、明治14〜16年には榛名山麓一帯の砂防工事の指導を行い、八幡川には4つの堰堤が作られ、今も現役としてその役割を担っています。ここからしばらくはこの4つの堰堤を巡ります。
日本中央バスの上野田・桃泉線が通る道を西に進むと、北側に榛東村第十二区コミュニティセンターが現れ、その裏手に、村内最古の神社、桃泉十二神社があります。明治時代に作られた神殿は昭和21年に占領軍の命令により解体されましたが、平成8年に現地に新築することができました。センターの南には火の見櫓があり、その脇の道を南に進むと八幡川にぶつかりますので、注意深く見回すと第1号堰堤が見つかります。再びバス路線の走る道まで戻って西に向かい、横道バス停のところを南に進むと、八幡川に架かる橋の近くに第2号堰堤があります。1号、2号とも、案内板もなく周囲も未整備の状況です。第3号堰堤は、更に分かりづらく、2号堰堤から西にしばらく進み、群馬衛星管制所の手前の杉林を南に突っ切ると八幡川にぶつかるので、川沿いを探すと見つかります。林の中の道なき道を行くので、冬場以外に踏み込むのは大変かもしれません。群馬衛星管制所の前の林道をしばらく西に行き、入口を紐で塞いである南へ逸れる細い道を進むと、案内板の先に第4号堰堤があります。近くには鉄製の大きな猪捕獲用の檻の罠が仕掛けられていました。ここまでのデ・レーケの近代土木遺産の探索は、道に迷い行きつ戻りつしながらようやく辿り着いた感じなので、今後、整備が進みアクセスが楽になることを期待します。

デ・レーケ式第4号石積堰堤
日本中央バスの上野田・桃泉線が通る道を東へと戻り、県道153号(水沢足門線)を引き続き東に進みます。神田バス停の先を北に曲がると、柳沢寺が現れます。寺の起源は800余年前まで遡り、広大な寺域に、文政年間(1818-1830)築の通用門、貞亨3年(1686)築の客殿、宝暦年間(1751-1763)築の赤門、寛永3年(1626)築の仁王門、元禄年間(1688-1704)の様式を示す本堂といった古い建築物がある中、ひときわ目を引くのが、平成10年築の真紅の五重塔です。柳沢寺の北側には常将神社があります。千葉常将の夫人により柳沢寺の諸堂宇が完成した後、常将を祀る神社として創建、現在の社殿は元禄14年(1701)に造営、天保15年(1844)に拝殿が再建されました。南に向かってしばらく進むと、八幡川を越えたところに、立派な杉並木を持つ新井八幡宮(八幡神社)があります。嘉禄2年(1226)に桃井義胤により建立され、現在の本殿等は火事のため明治41年に再建されたものです。当初は桃井八幡宮といいましたが、永正10年(1513)境内の湧き水を社の手洗いに使用したことから、村名を「新井」とするとともに社名も変更しました。八幡宮に隣接して八幡池があり、その上流には地元の方々の手で八幡ホタルの郷が整備されており、毎年6月には八幡ホタル祭りが開催されます。八幡宮から西に向かい、しんとう温泉ふれあい館に隣接する、平成21年10月に移転した榛東村役場のモダンな新庁舎を眺め、ふれあい広場に戻りました。

八幡貯水池
文/企画課 新井基之
●今回ご紹介したコース